母のこと〜オシャレな母

享年90才。母はもう両親のところに行ってもいいと言ったと、母が亡くなってから知りました。ちょっとそれを聞いて悲しい。父よりも37年も長生きした母。父の位牌を守って供養してきました母は「こうやってずっと供養させるために長生きさせてんのか、父ちゃんは(父のこと)。」と月命日に欠かさず供えるお膳を準備するたびに、父の位牌に向けて話しかけていました。

年代に限らないことかもしれませんが、人生が長ければ長いほど苦労が多かったように思います。もちろん幸せを感じたこともその分多いと思いますが。

そんな母から聞いた話、私が見聞きしたり思ったこと、母への想いなど残していきたいと思います。

母は、私にいろんな話を聞かせてくれました。この年にしては文字も達者だし新聞も読んでいました。子供時代はろくに学校にも通えず、長女である母は弟妹の面倒を見るのが日課だったそうです。
四歳年上の父は全く読み書きができず、運転免許を取るときに母から特訓を受けたそうです。母は「父ちゃんの免許は私がとってやっと同じだ」とよく笑っていました。

そんな母に、学校にもまともに行けなくてどうやって文字を覚えたのか聞いたことがあります。母は、両親に隠れて女性雑誌を読んでいたそうです。それが読みたくて字を覚えたと言います。母の父親、私の祖父にあたる人は学がある人だったらしく、鉄工業を営む父親の血を受け継いていたのかもしれません。

そう言えば、若かりしころの写真を見ると、ちょっと周りと違うオシャレさんだったのが伺えます。チェックのアンサンブルを着こなした写真など見てオシャレだなぁと思ったこともあります。孫娘のネイルを見て「ばあちゃんもしてみたい」と言ってみたり、花がらの衣装だったり鮮やかな色合いの洋服を着ていると羨ましがり、母と身長の近い娘が面白がって着せようとしてみたりしてました。

また、私なんかは仕事を辞めてからは髪すらボサボサしてても平気なのに、母は美容院に通い、若々しさを保つ人でした。またコロナ禍で美容院に出向くのも奥になってからは髪の毛が伸びてしまいましたが、毎日櫛を通し綺麗に束ねていました。・・・私も見習わないとね。

母が亡くなって二年半経ちました。顔立ちは全く似てない母と私。でも、本当に母が大好きでした。母のさまざまの言葉を思い出すだけでいまだに涙腺がゆるっとしてしまいます。娘も絵に描いたようなおばあちゃん子で、娘と二人で母の話になると二人でうるうるしてしまうほど。

感謝を忘れない人で、私の心の支えでした。
そんな母のことを、私の記事など読んでくれる方は本当に少ないけど、でもここに残すことで、私の心の中でずっと生きていってくれることと思います。



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