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ブレイキングダウンの映画を見に行ったら、”うまい脚本とはどういうことか”がはっきりした【BLUE FIGHT 〜蒼き若者たちのブレイキングダウン〜(1/31公開)】

1月31日公開、三池崇史監督「BLUE FIGHT 〜蒼き若者たちのブレイキングダウン〜」を試写にて鑑賞。

朝倉未来率いる大人気格闘大会「Breaking Down」の世界観を軸にした格闘青春映画。少年院で朝倉未来のスピーチを聞いた青年2人は出所後、大会出場を目指してトレーニングを続けるが、過去の因縁から来るケンカ抗争に巻き込まれていく。

あまり頻繁に口にはしないので知らない人も多いと思うが、僕は何を隠そう、ブレイキングダウンのファンだ。

格闘技には一切興味がない僕は、なぜかこの大会に不思議と惹かれ続けている。

ブレイキングダウンの魅力については、かつてポッドキャストで熱く語ったのでここでは省くが(コミュニティ限定音源で残ってるはず)、「映画ファン」と「ブレイキングダウンファン」という2つを併せ持つ、おそらく数少ないクラスタの僕のもとに試写の招待が来たときは不安でいっぱいになった。

そして不安は的中した。

正直に書こう。

この映画は「ブレイキングダウンファン」にとっても「映画ファン」にとっても、あまり得をしない作りになってしまっている。

まず、脚本に問題がある。

お話は少年院での主人公青年2人の出会いから、出所、大会へ向けたトレーニング、そしてクライマックスへと進んでいき、合間に過去の因縁に関する回想シーンが挟まれるのだが、この一連の流れがとても鈍重に感じられる。

一つ一つのシーンが、「これはこの2人の因縁のシーン」「これはこの2人が親睦を深めるシーン」「これはこの人の過去のシーン」というように、それぞれのパートが分断されており、主人公が大会へ出場するまでの大きなお話の流れの中に、これらのサブストーリーたちが組み込まれておらず、上手く溶け込んでない。

これに加えて、映画は主人公たちだけでなく、彼らの因縁の相手である青年とその不良グループの話もたっぷり時間を使って唐突に描き始めるので、途中から「これなんの話だっけ?」という状態に観客を陥れる。

言い換えれば、一つのシーンで一つのエピソードしか描けていないため、説明ばかりでなかなか話が前に進まず、クライマックスへ向けた盛り上がりを作ることに失敗している。

本作の脚本を担当した樹林伸は、漫画「金田一少年の事件簿」や「神の雫」の原作者だが、調べてみたところ、今まで彼は映画用脚本を担当したことがないようで納得してしまった。

漫画や小説と違い、映画は自動的に進む時間間隔の中でお話が進むので、映画の始まりから終わりまで常に時間が進んでいる(一本のお話が常に前に進んでいる)、という脚本の書き方が重要なのではないか。

(余談だが、最近トイ・ストーリー4を見返していて、この「メインのお話を止めずに主人公以外のお話を同時に描いていく」というのがピクサーはうまいと感じた)

未鑑賞だが、本作は昨年、一部の観客にパイロット版として劇場公開版よりも短い90分版を先行公開していたらしい。

今回公開されるバージョンが完全版ということだろうが、実はそちらの短いバージョンの方が作品としてはスッキリしていて楽しめるのではないだろうか。

また本作には「ブレイキングダウン映画」としての売りの一つである、ブレイキングダウン選手のカメオ出演がたっぷり仕込まれているのだが、ファンサービスであるこの要素も、結果的に映画への没入感の妨げになっていると感じた。

この映画の世界には当然のように「ブレイキングダウン」という大会が存在し、その試合にはブレイキングダウン選手が出場しているようなのだが、同時に映画に登場する半グレ集団としてもブレイキングダウン選手がカメオ出演しているので、見ていて「この人はブレイキングダウン選手だけど、半グレ集団にも所属してるってこと?」という混乱が生じる。

つまり「ブレイキングダウン選手役のブレイキングダウン選手」と「半グレ集団役のブレイキングダウン選手」という2つのラインが混在していて、ややこしい。

そして極めつけは日本映画史上最悪と言っても良い、有名YouTuberたちのカメオ出演シーンたち。

詳しくは自らの目で確かめてほしいが、有名YouTuberや有名人の本当に意味のないびっくり出演的なシーンも壊滅的にテンポが悪く、「有名人の無駄遣い(笑)」という悪ノリにすらならない「ああ…そうですか…」という冷めた気持ちで見てしまった。

カメオ出演枠だけにとどまらず、映画全体でこのタイプのおふざけノリを多用しすぎ、意外性が完全に消え失せてしまっている(実際に完成披露試写会では、観客に失笑されてしまっていた)。

だがもちろん、本作に良い点がないわけではない。

ブレイキングダウン出場を目指す少年院あがりの主人公青年2人を演じた木下暖日と吉澤要人はオーディションで選ばれたらしいが(木下はオーディション当日まで演技経験がゼロだったらしい)、2人の対称的な演技スタイルとそれぞれの存在感には間違いなく観客を引き付けるものがあり、今後が楽しみな役者でもある。

GACKT演じる半グレチームのリーダー御堂(というかあれは演技をしてないGACKTそのものだが)の一種、異様とも言える体つきも予想以上にインパクトがありハマっていた。

しかし、本作が抱えるもっとも大きな問題は、本作を見てブレイキングダウンの魅力がちっとも伝わらない点だ。

本作の”どんな境遇でも諦めなければ夢は叶う”という至極真っ当なメッセージにおいて、もっとも大事なはずの「夢」の象徴である肝心の大会については、映画冒頭で主催者朝倉未来が登場し、彼が主催する”なんだかすごい大会”という言葉でしか表現されない。

ブレイキングダウンというものが一体どういう大会なのか、そこにはどんな「夢」が描かれているのか、を映画冒頭に一度きちんと描いておくべきではないだろうか。

「本作を見に来る観客は、ブレイキングダウンがどういうものかをすでに知っているだろうからわざわざ見せなくてもいい」という判断なのかもしれないが、冒頭に熱いファイトシーンや実際の生々しい試合映像を使用するなどすれば「ただのファン向けムービー」から少しは脱することが出来たかもしれない。

そういえば本作には、昭和や平成の「格闘漫画」等にはつきものだったヒロインという存在が欠落していて(主人公2人の色恋は一切描かれない)、代わりにフォロワー数十万人のインフルエンサーの女の子がなんとなく登場するのが興味深い。

ヤンキー文化においても、今は「純愛」ではなく「フォロワー数」の方が重要なのだ。

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