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最後の映画『最後の乗客』

『侍タイムスリッパー』を劇場鑑賞映画のラストとのたまった、その舌の根も乾かないうちに『最後の乗客』を(大変に遅ればせで)観てきた。ところは横浜。シネマ・ジャック&ベティだ。『侍タイ』は川崎のチネチッタだった。

俺がなぜ劇場鑑賞を卒業しようとしたのかは過去、グダグダと語ったけど、直近のスマホ害や、(いわゆる)客ガチャのハズレっぷりの酷さが、チッタの場合、特に顕著だったのもあった。(会員だから必然チッタ鑑賞が多い)

チネチッタは立派にシネコンだ。イオンやユナイテッドや、その他のシネコン然り。スマホ害や客ガチャなんてのは、何もシネコンだからハズレ率が高いわけじゃあないんだが、それでもミニシアターや二番館あたりの、映画にかける思い入れ強めの客が入るハコよりは事故に遭う確率がグッと上がる気はしてる。

渋谷のユーロスペース。シネコンではない。シネコンではないが、大事故に遭ったことがある。それは『茶飲友達』の回だ。ユーロと数多のシネコン。まぁ対極の存在だよね。かかる作品も客層も特殊っちゃ特殊だわ。そこに大ヒット『茶飲友達』。題材が題材だから年配の方々や高齢者(?)も大挙した。

俺が観た回。何度も何度も、延々と着信のバイブが周囲に響いてた。バイブが響き渡るくらい、皆が固唾を呑むシーンが多かった証拠だ。その犯人が大挙した年配、高齢者だったのかは不明だが、シネコンサービスデーや平日午前中の高齢者多め回なんかにハズレるパターンを、よもやユーロで味わうことになるとは夢にも思わなかった。

そして、映画は台無しになった。近年、稀にみる台無し回と言ってもいい。タラレバだし、今となっては上映中にデカい声で注意喚起しても良かったと後悔している。それほどのクソ回になった。作品が作品だけに悔しくてたまらなかったし、当然ながら殺意も湧く。

ユーロのスタッフさんは「返金します」と言ってくれた。でも、返金が目的じゃないし、事実、返金も固辞した。何度も言うが返金されたところで映画の初見ってのは戻ってこない。その他の劇場の責任者と話す時にユーロの「返金します」って話をする。「ユーロだったら返金しますよ?オタクはどうなの?」ではないのね。その話をすると各責任者は言葉をなくす。それか口ごもってムニャムニャ言い出すのがいいところ。

ユーロスペースは潔いってことだよ。
毅然としてる。そして、即答だ。

よく聞けよ?その他の劇場。
俺は “ユーロのスタッフさん” と書いた。
その他の劇場は責任者だ。わかるか?
ユーロはスタッフさんからして毅然としてんだよ。
この男前。その他シネコン責任者のクソ。
(ちなみに男前だけど、対応してくれたのは女性だ)

こんなこと書くと返金目的のバカが出てくるから本当は書きたくないのと、『最後の乗客』を観てきたのにユーロを崇める内容になってしまうので、本当は “映画館トンデモ野郎列伝” シリーズにでも書けばいいんだが、流れなのでご容赦。

なもんで、「もう二度とシネコンでは観ない」ではない。シネコンだろうがミニシアターだろうが、どこの、どんな回。全時間帯、全曜日。ハズレる時はハズレる。むしろアタリ回に喜ぶ、そんなクソな映画鑑賞なんざゴメンだわ!ってんで憤ってたわけ。でも、『最後の乗客』に行ってしまった。

日没の早さに浮かび上がる佇まい

私事だけど時系列。
どちらが早かったんだろう。
『最後の乗客』のポスタービジュアルを俺のアンテナが捉えたのと、『侍タイムスリッパー』。正確な日時は不明だが、『シュリ 4Kデジタルリマスター』で卒映を意識した頃と前後したのか?も今となってはわからない。

ひとつ言えることは勿論。
二作品に共通する冨家ノリマサさんの存在だ。
もし『最後の乗客』を先に観ていたら、当然『侍タイ』に足を運んだだろうし、今回のように『侍タイ』から『最後の乗客』へと流れるのも当然っちゃ当然だった。

でも実は、『最後の乗客』を以前から認識しておきながら、本作に冨家さんが出演されてることは『侍タイ』を観るまで知らなかった。なもんで、時代劇+現代劇の『侍タイ』における冨家さんを先に鑑賞して、今回の完全現代劇『最後の乗客』の順番が、もしも逆だったらどんな印象になったのか?ってのはある。(あんまり関係ないか・笑)

しかしね。
これホント。エンドロールが流れるまで知らなかった。
「え?主演って岩田(華怜)さんだったの?」
まったくもう、冨家さん主演作として観てた。
(ダブル主演みたいなもんだろうけどさ)

なんかもうね?
嬉しくて嬉しくてニヤニヤしっぱなしだった。
のっけから冨家さんが出てくる。タクシーで。
あの風見恭一郎が「なんで?」って佇まいだもん。
悪い癖で、風見恭一郎のアフターストーリーなんかを即興で思いめぐらせてしまったりしながら、盟友タケちゃんとのやり取りだったりに引き込まれてゆく。

監督も常々口にしてたように、冨家さんのカッコよさが滲み出ちゃってんだよね。とある地方の。タクシー運転手の。とある地方とかタクシー運転手さんを蔑んでるわけじゃないけどさ。『侍タイ』風見恭一郎あとの役どころとして観る(臨む)には、その落差を埋めるのに、結構な荒業を要したのも事実。(強制補正みたいなね)

なんだけれども!

やっぱ物語が進むにつれ、
「あ、これは冨家さんカッコよくていいんだ」
「風見恭一郎の残像で接して間違いじゃないんだ」
と、グイグイ引き込まれてく。
だから、そう。

冨家さん遠藤の最適解。

もう、これに尽きた。
父と娘。その難しさと繋がり。
父と娘だけになってしまった事情。
が、生み出す、これまた微妙なその後。
『彼女の人生は間違いじゃない』
(2017年 廣木隆一監督作)
一瞬も二瞬もよぎったのは、
きっと俺だけじゃないんじゃないだろうか?

『最後の乗客』なるタイトル。
“深夜のタクシーが乗せたのは、3人の乗客と秘密”
予告編はおろか、常に事前情報を最大限排除して臨みながらも、膨らむ期待と勝手な先入観。そのせめぎあいを楽しみながら、当日あらぬ方向に展開する物語に一喜一憂する、させられる醍醐味。勿論、今回も十二分に。嬉しい裏切りの数々に包まれた。

55分なのに、55分を思わせぬ深さ。
先述した「岩田さん主演なの?」の、
「彼女目線で(脳内)再構築すれば」
その再発見。
今となっては、
意地悪に突っ込めば悩ましい辻褄(笑)
55分で駆け抜けた爽やかな魔法。

日々の淡々を思わせながらグググーッと引き込んで、まさかの感涙。思考を錯綜させて静かに余韻を残す。その余白をこちらに委ね、それぞれの着地点こそが、この物語の答えなんだな。

ーーー(以下、物語の核心ネタバレ含)ーーー

あの日、件の災害で命を落とした登場人物。
『最後の乗客』The Last Pssenger
当の彼らは、あの日から変わらずなわけだ。
“気づいていない” んだな。
2008年アン・ハサウェイ主演映画。
『パッセンジャーズ』Passengersを思い出した。
飛行機事故のその後。『最後の乗客』と同じく、自分が事故で命を落としたことに気づかない。気づくまでを描いた作品。とても静かで、とても不穏。なのに、最後は涙が溢れる切ない展開。サントラも素晴らしく、こんなことって、もしかしたら目に見えないだけで、きっと周りにあるよね?と思わせる物語だった。

それはファンタジーなのかも知れない。
非科学事象で胡散臭いのかも知れない。

だけど『パッセンジャーズ』
だけど『最後の乗客』
大事な人。愛する人への、
潰えぬ思い。その深さと永遠。
せめて映画の中だけでも。
今、実生活で大切にしている人へ、
自分の想いが問われるキッカケになる。
そんな、じんわり沁みいるお話だったな。

ーーー(さらに、物語の核心ネタバレ含)ーーー

岩田さん扮する遠藤みずき。
物語も解明期に向かう頃、父とのやり取りの最中、ポリポリと掻く左手首リストカットの痕(涙)。「あ、そっか、彼女もまたコチラ側の(気づかぬ)住人だったんだな(涙々)」と思った。

あの日から10年。日々の重圧や悲しみから立ち直れない衝動で、生命を投げうってしまった彼女が、ラスト目覚める。それは父が現世に返したから。自殺しかけ、生死をさまよう中での父娘全理解。父が次世に旅立つ、確かにあったひとときのアルミホイル。

が、

手首を切った末に目覚めたのが病院のベッドだった、などと想像してしまったんだよね。でもまぁ、最後に映し出されるあの静かな海が、その後の余韻とか余白を、いつまでもいつまでもこちらに問いかけてくるからさ。勝手な病院オチなんかクソなんだけど(笑)。

不謹慎だけど、思い出したこと。
いつだったか、デリヘル嬢を呼んだら出身が福島の子だったんだよね。ホントかどうか知らないけど、大学生で19だったか21だったかな。

福島出身ってことで、いやでもその話題。「大変だったでしょ?」ってなるわ。だけど彼女。「いつまでもその話(に、辟易する)」って言ってたことを思い出した。

真の当事者の言葉。

薄っぺらい第三者の思いやり(のつもり)。
〇〇県だったら〇〇〇が名産だよね?
みたいな会話の取っ掛かりで発した後悔。

「頑張ろう!」
「頑張って!」
毎年毎年、思い出させる強制と辛さ。
転じて、
監督仰るところの「忘れさられる焦燥」
その、どちらもどちらもの見つけられない答え。

ど感涙!のキャッチの、その先に。観てる時より、観終わったあとの自問自答が延々と渦巻く、今でもグルグル回る秀作だった。劇場鑑賞最後の映画にしようと臨み、「やっぱり映画は劇場鑑賞だよね」の映画になってしまう始末に言葉がない。

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