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志村けんさんと沢田研二の“友情”が魂を揺さぶる おすすめ良作を紹介【次に見るなら、この映画】7月31日編

 毎週土曜日にオススメ映画3本をレビュー。

①志村けんさんが主演するはずだった山田洋次監督作「キネマの神様」(8月6日から映画館で公開)

②トニー賞4冠とグラミー賞最優秀ミュージカルアルバム賞を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化「イン・ザ・ハイツ」(映画館で公開中)

③第2次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所の実態を克明に描いた衝撃作「アウシュヴィッツ・レポート」(映画館で公開中)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!


◇沢田研二と志村けんさん、揺るがぬ友情が手繰り寄せた魂の邂逅(文:映画.com副編集長 大塚史貴)

「キネマの神様」(8月6日から映画館で公開)

 映画を60年間撮り続けてきた名匠・山田洋次監督をもってしても、通算89本目となる「キネマの神様」がこんなにも苦難続きの作品になるとは当初、思ってもみなかったはずだ。

 松竹映画100周年を記念して製作された今作は、新型コロナウイルスに感染した主演・志村けんさんの死去、政府による緊急事態宣言発出による製作の長期中断と、撮影の折り返し地点で大きな哀しみと喪失感に包まれたまま立ち止まらざるを得なくなってしまったのだから。

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 苦境に立たされた山田組を救ったのが、沢田研二だ。若い世代は知らなくて当然だが、志村さんと沢田はかつて同じ所属事務所の先輩・後輩として仲が良く、テレビ番組やラジオ番組で幾度となく共演するなど、長きにわたり友情を育んできた。

 志村さんが演じるはずだった主人公・ゴウ役のオファーを受けた沢田に、困惑の色がなかったと言えば嘘になるだろう。だがしかし、山田監督をはじめとする製作サイドの思いを汲み、即断即決の様相で志村さんからのバトンを受け取ったと聞く。

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 原田マハが自身の家族、経験をもとに書き上げた思い入れのある同名小説を原作に、山田監督が松竹らしい“家族”をテーマとした映画へと昇華。菅田将暉が若き日の姿を演じるゴウは、かつて撮影所で助監督として働き何よりも映画を愛していたが、現在では家族にも見放されたギャンブル中毒のダメ親父。50年近く前、ゴウと旧友のテラシンは時代を代表する名監督やスターに囲まれながら、青春を駆け抜けていた。ふたりが食堂の娘に恋心を抱いたことで、運命の歯車が狂い始めていく……。

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 本編を見るにつけ、志村さんの口から発せられることを前提に“当て書き”されたであろうセリフが散見されるが、そんなことは先刻承知とばかりに沢田はすべてを引き受け、それでいて躍動感あふれるゴウ像を提示してくる。

 劇中、志村さんが愛した「東村山音頭」を沢田が楽しげに歌うシーンは不意に胸に迫りくるものがあるが、観客は現実世界と物語がリンクする瞬間を目の当たりにすることができるだろう。それにしても、筆舌に尽くし難い志村さんへの思いを胸に多くを語らず茨の道を突き進み、銀幕の中で志村さんと邂逅してみせた沢田の男気には脱帽と形容するほかない。

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 そして、活況を呈していた撮影所の描写に心躍るのは、山田監督が当時、実際にその場に身を置き、ひたむきに映画製作に取り組んでいたからこそ成せた業で、そこに映り込む名も無き“活動屋”たちの姿も含め見ているだけで心が和む。

 また、食堂の娘に扮した永野芽郁が実に魅力的で、特筆すべき点として挙げられる。映画監督役のリリー・フランキーに啖呵を切るシーンなど、瑞々しい表情が幾つも切り取られており、今後の出演作に大きく期待を抱かせる芝居であった。

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◇ミュージカルもドラマも見ごたえ満点。原作舞台ファンも嬉しい愛に溢れた映画化(文:映画評論家 矢崎由紀子)

「イン・ザ・ハイツ」(映画館で公開中)

 オリジナルの舞台ミュージカルはブッシュ政権下で誕生し、トランプ政権下で映画化された。とくに、「違法に国境を越えた者は例外なく起訴する」というトランプ政権の不寛容政策が、映画に大きな影響を与えている。主人公ウスナビ(アンソニー・ラモス)の従兄弟の不法滞在がプロットに絡むのは、映画版のオリジナルだ。

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 舞台は、中南米系移民が多く住むマンハッタン北部のワシントン・ハイツ。出身地のドミニカ共和国へ帰ることを夢見るウスナビを筆頭に、登場人物は全員、自分の居場所に関する葛藤や問題を抱えている。白人エリートが集う大学に入り、疎外感にさいなまれている移民2世のニーナ。

 一方、移民1世のアブエラは、アメリカン・ドリームを求めて故郷を離れた選択が正しかったのだろうかと述懐する。ハイツを出ていく者たちもいる。家賃の高騰にたまりかねてブロンクスへ移るのは、美容室を営む女性たち。反対に、デザイナーを志すバネッサは、より家賃の高いダウンタウンをめざす。

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 彼らが織りなす群像劇は、「移民にとってホームはどこか?」という、移民国家アメリカならではのテーマを掘り下げている。そして、すべての観客に、あなたは居たい場所に居るか、送りたい人生を送っているか、と問いかける。ドラマのクオリティの高さは、この映画のいちばんの魅力だ。

 ミュージカル・シーンも見ごたえ満点。「ブルース・ブラザース」、「サタデー・ナイト・フィーバー」、「百万弗の人魚」、「恋愛準決勝戦」など、名作へのオマージュを感じさせる場面には、ジョン・M・チュウ監督のミュージカル映画愛が溢れている。白眉は、舞台初演からアブエラを演じているオルガ・メレディスのソロ「パシエンシア・イ・フェ(忍耐と信仰)」。地下鉄をモチーフにした幻想的な演出と、メレディスの熱唱に涙を誘われる。

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 オリジナルの舞台ファンには、原作&作詞&作曲を手がけたリン=マニュエル・ミランダが、ピラグア(プエルトリコのかき氷)売りの役で出演しているのも嬉しいポイント。ライバルのアイスクリーム売りを演じるのは、初代ベニー役(ニーナの恋人)のクリストファー・ジャクソンだ。

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◇「悲劇はまだ終わっていない」エンドロールで流れる思慮深くも大胆な実験的試み(文:映画.com DanKnighton)

「アウシュヴィッツ・レポート」(映画館で公開中)

 2021年、世界が歴史的なストレスにさらされている中、第93回アカデミー賞国際長編映画賞のスロバキア代表に選出された「アウシュヴィッツ・レポート」は映画ファンが現実逃避や気晴らしのために見るような娯楽作品ではない。

 しかし、著名な哲学者ジョージ・サンタヤーナの名言が引用されるイントロダクションは全ての観客の関心を引くはずだ。「過去を覚えていない人は、過去を繰り返す運命にある」。

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 寛容、平和、人間性などの価値観を理想とする現代社会に生きていることを肯定するために、ホロコーストのような重いテーマについての映画を見るのではない。むしろ、その残虐行為と地続きの世界で同じ空気を吸う我々が過ちを繰り返さないよう、国際社会としてそれを覚えておく道徳上の義務があることを再確認するためだ。

 本作の中心はアウシュヴィッツ強制収容所に投獄されたスロバキアのユダヤ人たち。彼らは収容所からの集団逃亡を企て、代表としてアルフレートとヴァルターを収容所の隅に積まれたベニヤ板の下の穴に隠す。

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 二人は数日間身を潜め脱出のチャンスを伺うが、その間にも同じ監房の囚人たちは二人の行方を捜す看守たちに尋問され、拷問され、処刑されていく。その悲惨さは凄まじく、ある場面では生き埋めにされ地面から頭だけ出された状態の大勢の囚人たちが、その上を走り回る馬に容赦なく踏みつけられる。

 アルフレートとヴァルターは地元住民の手助けでなんとかポーランドまで逃げきり、そこで赤十字の役員に収容所の悲惨な状況を訴える。ドイツが収容所を「難民キャンプ」であると宣伝していたために、連合国は石けんや布などの支援物品を送っていた。

 彼はその連合国の疑り深い代表者であり、最初は二人の主張を疑ってかかる。このシーンは、戦争が終わったことでアウシュヴィッツの残虐行為が忘れ去られようとしていたという恐ろしい事実を描いている。ユダヤ人大量虐殺は世界中からより多くの人間を焼却炉に送るための、ナチスによる大きなプロジェクトの基礎に過ぎなかったのだ。

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 本作のトーンやテンポは過去10年間アカデミー賞にノミネートされたホロコースト映画、例えば「ソハの地下水道」や「サウルの息子」に似ているが、大きく異なる点は「悲劇はまだ終わっていない」というニヒリズム的アプローチだ。悲劇とは映画のストーリーそのものではない。

 物語が終わり、エンドロールに流れる移民や同性愛者などの「よそ者」に対する不信感や差別を煽る現代の政治家の発言や、メディアで発信された声のサウンドコラージュでそれが表現される(そう、もちろんトランプの声も聞こえる)。このエンドロールはパワフルな映画のメッセージを補完する、思慮深くも大胆な実験的試みであり、映画史上最も感動させられるエンドロールの一つだ。

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