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アート化された都市伝説ホラーは観客をどこへ連れてゆくか 【次に観るなら、この映画】10月16日編

 毎週土曜日にオススメ映画3本をレビュー。

①1992年製作のカルトホラーを、「ゲット・アウト」「アス」のジョーダン・ピール製作・脚本で新たに映画化した「キャンディマン」(10月15日から映画館で公開)

②1990年代前半のUKロックシーンを舞台に、冴えない高校生から辛口音楽ライターに転身した少女の奮闘を描いた青春ドラマ「ビルド・ア・ガール」(10月22日公開)

③巨匠リドリー・スコット監督による歴史ミステリー「最後の決闘裁判」(10月15日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

◇鏡と血しぶきが彩る幻惑的なイメージでアート化された都市伝説の恐怖(文:映画ライター 高橋諭治)

「キャンディマン」(10月15日から映画館で公開)

 クライヴ・バーカー原作、バーナード・ローズ監督の1992年作品「キャンディマン」は、複雑な背景を持つホラー映画だった。鏡の前でその名を5回唱えると出現するキャンディマンのルーツは、19世紀末に白人たちになぶり殺しにされた黒人画家ダニエル・ロビタイル。

 彼の遺灰がまかれた設定になっている貧困層向け公営住宅カブリーニ・グリーンは米シカゴに実在しており、現地ロケで撮られた特異な景観が映画に生々しい現実感を吹き込んでいた。大学院生の白人女性ヘレン(ヴァージニア・マドセン)は、都市伝説を取材するため荒廃したカブリーニ・グリーンに足を踏み入れ、夢うつつの恋に落ちるようにしてキャンディマンの魔力に囚われていった。

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 いささか説明が長くなったが、それには理由がある。若き日に上記の「キャンディマン」を観て衝撃を受けたジョーダン・ピールは、29年ぶりとなる同名タイトルの製作、脚本を手がけるにあたり、リメイクではなく続編を志向した。舞台となるのは、新たな再開発によって高級住宅や高層ビルが建ち並ぶカブリーニ・グリーン。前作の主人公ヘレンの物語さえも都市伝説化したこの呪われた土地で、新たな惨劇が巻き起こる。

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 とはいえ、キャンディマンが鋭いカギ爪をふるって暴れまくるストレートなスラッシャー映画を期待すると面食らう。ピールに抜擢された新鋭のニア・ダコスタ監督は、殺人シーンを直接見せず、スーパーナチュラルな存在であるキャンディマンの凶行を幻惑的なイメージで映し出す。とりわけ中盤のアートギャラリーにおける殺戮シーンが鮮烈だ。ギャラリー内の鏡にフラッシュし、影絵のごとく怪しいシルエットを浮かび上がらせるキャンディマンは、まるで前衛的な芸術作品のモチーフのよう。そう、まさしく本作は都市伝説の魔物の“アート化”を実践した異色作なのである。

 今回の主人公アンソニーは若きアーティスト。ハチに刺されたことをきっかけに、奇怪な絵画を描き始める彼のおぞましい運命を通して、ピールとダコスタ監督は人種差別という視点からもキャンディマンを再定義していく。時代を超えて今なお繰り返される人種差別の蛮行、その無数の被害者たちを象徴するキャンディマンは“ひとり”とは限らないのだ!

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 かくしてビジュアルとテーマの両面で異彩を放つ本作は、1992年版の続編にとどまらず、独創的なアイデアに満ちあふれた再創造バージョンにもなった。何の前知識も持たず、スクリーンというキャンバスにほとばしる鏡と血しぶきの恐怖アートを体感するのも大いに結構だが、より理解を深めるには前作の予習をお勧めしたい。

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◇共感度抜群で悩めるシックスティーンを好演!成長するって、やっぱり苦い。(文:映画.com編集顧問 髙橋直樹)

「ビルド・ア・ガール」(10月22日公開)

 ロンドンまで車で約2時間半、ウォルバーハンプトンには心奪われる男子もいなくて刺激もない。この街で暮らす16歳のジョアンナは、5ページの課題に33ページも費やすほど書くことが好きだ。

 「ビルド・ア・ガール」は、弱冠15歳で作家デビュー、メロディメーカー誌で最年少ロック評論家、17歳でタイム紙のコラムニスト、TVでも活躍するキャトリン・モランの実体験を基にした同名小説を、彼女自身が脚本化。オアシス、blurもブレイク前夜、まだSNSもない1993年、ひとりの少女が音楽ライターを経験することでビルドアップされていく。

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 大手音楽紙に採用されたジョアンナはある秘策を練る。歳の差を跳ね飛ばす別人“ドリー・ワイルド”となって記事を書くのだ。兄から借りた9ポンド48ペンスを元手に、髪を赤く染め、黒のシルクハットとコスチュームを調達すると、物怖じせずにライヴ会場へと駆け込んでいく。

 最先端の音楽シーンは刺激だらけ。しかも書ける。勢いづいたドリーに、ロック界のスター、ジョン・カイトの取材依頼が舞い込む。運命の男がいた。紛れもなく初恋。彼への想いを夢中に書いた彼女の原稿は、まさかの“愛のポエム”。当然原稿はボツになり、編集部出禁の窮地に立たされてしまう。

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 「読者が求めるすべてを蹴散すような記事」を書け。編集マンの助言に、初恋を胸に秘めた彼女は超辛口ライターに変貌、ダメ出し連発の辛辣な記事を書きまくる。

 受けた。たちまち売れっ子になり、音楽が諦められない父、双子の育児に追われる義母、音楽同人誌を続ける兄との生活を支える一家の稼ぎ頭に。だが、朱に交われば赤くなる。特ダネ狙いの編集メンとプチセレブ気分を後押しする取り巻きに囲まれ、ドリーの暴走はもはや制御不能になっていく。

 書くことが大好きな夢想家のジョアンナと音楽業界の売れっ子ドリー。まるでジキルとハイドのようなヒロインに、「レディ・バード」(2017)の級友役で注目され、ガリ勉女子が遊びに目覚める「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」(2019)で八面六臂の大奮闘を見せたビーニー・フェルドスタイン。

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 今回も共感度抜群で悩めるシックスティーンを好演。愚痴ったり、悩みを打ち明けたり、女性監督が用意した寝室の“GODWALL”からあれこれとアドバイスを贈る“神のごとき存在”たちとのやりとりも楽しい。

 “なにものも僕の世界を変えることはない” 上映が終わった後、ジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニバース」のフレーズがリフレインしていた。成長するって、やっぱり苦い。

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◇中世の#MeTooを、R・スコットが「羅生門」的なアプローチで残酷なまでに燻り出す(文:フリージャーナリスト 佐藤久理子)

「最後の決闘裁判」(10月15日から映画館で公開)

 あまりに血みどろな映画である。だが、それも尤もだ。時は中世のフランス、すべてが権力と腕力で解決された時代であり、そこには権謀術数こそあれど道徳や情が入り込む余地はない。

 そんな時代に起こった実話を元にした本作は、いまで言う#MeToo事件を描いている。

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 無骨で直情型の武勇として名を馳せるジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)と結婚したマルグリット(ジョディ・カマー)は、彼の留守中、その友人であり漁色家として知られるジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)に計画的に襲われる。

 彼女は事件を告発するが、ル・グリが否定したため、裁判は当時の形式にのっとり、決闘により解決されることになる。建前としては、真実は神のみが知るところでその神が運命の決定を下す、というものだが、要するに武力での解決であり、もしも夫が負ければマルグリットも偽証罪として火あぶりになる。なんという不条理だろう。

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 こうして、男ふたりのプライドを掛けた世紀の決闘が始まる。見るからに重そうな甲冑がぶつかり合い、剣が肉に突き刺さる闘いは、思わず目をそむけたくなるような、肉弾戦ならではのショックとヴァイオレンスに満ちている。

 だが本作には、大きな捻りがある。それは物語が「羅生門」さながら、異なる視点から描かれていること。カルージュ、マルグリット、ル・グリという3つの視点からリピートされる描写は、その違いにより、各キャラクターの多面性、認識の差を浮き彫りにする。

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 たとえばカルージュにとってル・グリは共に生死を賭けて闘った友であり、彼の視点から世界が描かれるとき、カルージュは処世術には欠けていても誠実で愛すべき男に感じられる。一方マルグリットにとって、そんな彼との夫婦生活には微かなほつれが生まれ、感情の食い違いが乗じる。そして女性の扱いに長けたル・グリの危険な側面も、彼女は敏感に察知する。

 一方、これがル・グリの視点になると、カルージュは自信過剰の愚かな男であり、マルグリットは自分の魅力に降伏したことになる。女に拒否されたことのない彼にとって、強姦という言葉は存在しないのだ。そこにこの問題の難しさがある。

 ベン・アフレックと共に脚本にも参加したデイモンが、誠実さから愚かさまでの幅を演じきり、不快な尊大さを滲み出すドライバーとみごとな対峙を繰り広げる。だが本作での主役はあくまで、見えない血を流すマルグリット/カマーだ。ラスト・シーンの彼女の表情は、まるで我々にこのテーマを問いかけるかのようであり、観客の脳裏にいつまでも残り続けるだろう。

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