観客の胸を射抜く「ソー」シリーズ新作 【次に観るなら、この映画】7月9日編
毎週土曜日にオススメの新作映画をレビューする【次に観るなら、この映画】。今週は3本ご紹介します。
①「マイティ・ソー」シリーズ第4作「ソー ラブ&サンダー」(7月8日から映画館で公開中)
②日本の山岳コミックの傑作をフランスでアニメーション映画化した「神々の山嶺(いただき)」(7月8日から映画館で公開中)
③断崖絶壁に命綱なしで挑む若き天才アルピニストに密着したドキュメンタリー「アルピニスト」(7月8日から映画館で公開中)
劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!
「ソー ラブ&サンダー」(7月8日から映画館で公開中)
◇ソーの熱き“愛と雷”は、笑劇を衝撃に変えて脳天を射抜く!!(文:尾崎一男)
ああ、思えば遠くへ来たものよ。ケネス・ブラナーによるシェイクスピア調の玉座争い(「マイティ・ソー」)から、近年のアホアホな笑劇ポップ路線へと、雷神ソー(クリス・ヘムズワース)のソロ映画は11年間ですっかり方途が変わってしまった。
しかし最新作は、ここにきての原点回帰。ゴッドブッチャーの悪名どおり神々を殺していく復讐者ゴア(クリスチャン・ベール)との対決や、元カノだった天文物理学者ジェーン(ナタリー・ポートマン)への接触を経て、彼のスーパーヒーローとしてのアイデンティティを再確認していく。そりゃ「アベンジャーズ エンドゲーム」(19)で醜く肥大化したソーを、MCUの次期フェーズに適合させるには必要な矯正だろう。とはいえ、かつて自分を正義に導いた重要人物と今いちど向き合い、加えて神を全否定するようなヤツが今回のスーパーヴィランとなるところ、難しく話が展開するのではと気を揉んでしまう。
いやいや、そこは案じることなかれ。前述のラブでサンダーな情動が、深謀なく脳天を突き抜ける。タイカ・ワイティティが掌理する演出は前回の「マイティ・ソー バトルロイヤル」(17)同様、笑いを点火剤にし、しれっと観る者を胸アツ展開へと押しやる、人を食ったようなテイスト全開だ。それはマッチョにソー化したジェーンや、へっぴり腰な神の総帥ゼウス(ラッセル・クロウ)などに顕著で(前者は無神経に笑えない事情が絡むが)、唯一ダークなコントラストを放つゴアの存在も、扮するベールのストイックな演技姿勢を反映しておりシニカルだ。
そういう点で、映画は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ(14・17)のジェームズ・ガンと似た感性を共有している。いっぽうで、あてどなく彼らとつるんでいたソーの、本作における切り離しのタイミングは「ガンとは違うのだよ、ガンとは!」と主張しているかのよう。とまれ、こんな調子で“愛と雷“なる突発的なサブタイトルに、ガンズ・アンド・ローゼズの引用以上の説得力を持たせていくのだ。笑劇を衝撃に変えて観客の胸を射抜く、創造のジャングルへようこそ♪
なので本作を観た後、タイカに新「スター・ウォーズ」を任せるのも悪くないかも? と、ソー(そう)感じさせてくれたのも大きな収穫だった。いささか我田引水な主張だが、あの天衣無縫な柔軟さを作風とする彼なら、SWを本来のフットワークに戻してくれそうな気がする。
「神々の山嶺(いただき)」(7月8日から映画館で公開中)
◇孤高の漫画家への敬意が生んだ“未知なる領域”への挑戦(文:髙橋直樹)
この映画には三つのリスペクトがある。第一は世界最高峰のエベレストと自然への畏怖。第二は山頂を目指す孤高のクライマーに対する敬意。そして第三の最重要ファクターは、夢枕獏の原作を漫画で描いた谷口ジロー氏への感謝を込めた尊敬の念である。
画面に漲る緊張感。登場人物たちの心の揺れを露わにする繊細な翳りの表現。穏やかに山男たちを迎えながらも、ある瞬間に容赦なく極限へと追いつめる大自然の驚異。リアルでありながらも省略を効かせて心象を重ねた日本の風景と、屹然と立ち塞がる山々の威圧感との対比。山頂を目指す男が入念に準備した登山装備品を一枚絵で見せる省略術。標高8000メートルのデス・ゾーンがもたらす色彩。無駄のないタイトな編集。リアルを追求した音響。すべてが映画完成前に天に召された谷口へのリスペクトで貫かれ、実写では到達できない“未知なる領域”へと観客を誘う。
伝説の登山家ジョン・マロリーは「なぜ登るのか」と問われ、「そこにエベレストがあるからだ」と答えた。
1924年、エベレスト登頂目前の標高8390メートル地点で37歳のマロリーは遺体となって発見された。登攀途上だったのか、それとも登頂成功後だったのか。常にカメラを携帯していたマロリーが残したフィルムを現像できればその成否が明らかになる。
日本のエベレスト登山隊を取材していたカメラマンの深町誠は、カトマンズのバーでマロリーのカメラを買わないかと声をかけられる。まさかと思いながら店を出た彼は、路地裏でカメラを奪い取った屈強な男の横顔を目にして驚愕する。トップクライマーでありながら、突然姿を消した羽生丈二だったからだ。
なぜ彼がここにいるのか。帰国後、羽生の来歴を調べ始めた深町は、弛みなき努力を続ける孤高の登山家に惹きつけられていく。
エベレスト登頂をめぐるミステリーを端緒に、山に魅せられながらも立ち向かうことを諦めかけていたカメラマンと、一途に山頂を目指すクライマー、ふたりの今が交錯した先で何が待ち受けるのか…。
谷口ジローからフランスの制作チームへ。これは夢を諦めない人間を描くヒューマンドラマであり、命を賭けて登攀に挑むアスリートを追うアドヴェンチャーであり、アニメという表現で“未知なる領域”に挑戦したクリエイターたちの結晶である。クライマックスに訪れる究極の問いかけは、我が道を歩みたいと願う誰の心にもグサリと突き刺さるに違いない。
「アルピニスト」(7月8日から映画館で公開中)
◇泣けるドキュメンタリー「アルピニスト」。「フリーソロ」を遙かに凌ぐ天才クライマー(文:映画.com編集長 駒井尚文)
今年見たドキュメンタリーで、もっとも感情を揺さぶられた1本です。その理由は、本編を最後まで見れば誰だって分かります。できるだけ、ネタバレしないように書いてみます。
監督はピーター・モーティマーとニック・ローゼン。これまで、アウトドアを題材としたドキュメンタリーを数々制作してきました。そんな彼らが、カナダにいる登山家の評判を耳にします。単独で、命綱をつけず、登頂不可能と言われてきた難しい山を次々に制覇する若き天才登山家の評判を。
その登山家は、SNSで成果をポストすることもなければ、メディアの取材も受けないので、その偉業の数々は登山仲間しか知りません。監督たちは、仲間のクチコミをもとにアメリカからカナダに飛び、彼と長時間過ごすことで信頼関係を作り、彼が山に登る姿を撮影することに成功します。その映像の数々は、本当に驚異的です。
一般的にドキュメンタリー映画は、大まかなプロットはあれど、緻密に練られた脚本があるわけではありません。なので、撮る対象にできるだけ長時間密着したり、関係者へのインタビューを厚めに行って映像を蓄積していきます。しかし、単にそれだけだと「オチがない」「カタルシスが乏しい」ドキュメンタリーになってしまうので、終盤にイベントを用意することが多い。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」や「香川一区」といった選挙に関するドキュメンタリーがいい例で、カメラは選挙活動に密着し、支持者のインタビューを織り交ぜつつ、クライマックスは必ず「選挙の開票結果(=テレビ中継)を見守る候補者(=主人公)」という構成になっています。当選するか落選するかがクライマックス。なので、選挙結果によって映画の印象は全く違うものになります。もちろん、映画の製作者は、カメラを回し始めた時点では選挙の結果を知る由はありません。勝っても負けても、映画を完成させます。
さて、「アルピニスト」に戻りましょう。「アルピニスト」は、若き登山家に密着するドキュメンタリーです。3年前のオスカー案件「フリーソロ」も凄かったけど、それより凄い。1時間半、口を半開きにして見入ってしまいました。
監督たちは、どんな映画にすべきか、自分たちの描いた青写真をもとにカメラを回し始めたはず。クライマックスに、飛び切り大きなカタルシスも設定済み。しかし結果的に、青写真とは全然違う映画が出来上がったということで間違いないでしょう。見る者の感情を激しく揺さぶる、泣けるドキュメンタリーが。見終わって、ドキュメンタリーの本質や存在意義についても考えさせられる、重要な1本です。