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認知症の父親役でオスカーを受賞した注目作など、今週のオススメ新作3本 良作映画を紹介【次に見るなら、この映画】5月8日編

 毎週土曜日にオススメ映画をレビュー。

 今週は、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「スナッチ」のガイ・リッチー監督によるクライムサスペンス、アンソニー・ホプキンスがアカデミー賞主演男優賞に輝いた「ファーザー」、フランスの名匠ロベール・ゲディギャン監督の人間ドラマの3本です。

①マシュー・マコノヒー、チャーリー・ハナム、ヒュー・グラントら豪華キャストが顔をそろえた「ジェントルメン」(公開中)

②名優アンソニー・ホプキンスが認知症の父親役を演じた「ファーザー」(5月14日公開)

③マルセイユ近郊の海辺の街を舞台に、3人兄妹の人生を描く「海辺の家族たち」(5月14日公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!


◇20年ぶりの原点回帰は、より洗練された痛快さ、狂おしさでいっぱい(文:牛津厚信)

「ジェントルメン」(公開中)

 いざ本作に触れたなら誰もが上映中、心の中でこう叫ばずにはいられないはず。「ガイ・リッチーが帰ってきた!!」と。近年はかつてない規模のファンタジーやアドベンチャーへの挑戦が続いていた彼だが、この人の本領といえば、ロンドンの下町を修羅場に替え、ギャングに一攫千金のチャンスを与え、さらに言えば、絡まりすぎた糸を瞬時にバンッ!とほどいて見せる魔法のような豪腕ぶりにこそある。嬉しいことに今回はその全部載せ。まさに王の凱旋という言葉がふさわしい。

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 すなわち、簡単に表現するなら、熱狂的な人気を誇る初期作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98)や「スナッチ」(00)路線への原点回帰とったところか。もちろん、同じことをそのまま繰り返すだけでは芸がない。二周目らしく、豪華俳優陣の演技はしなやかさを増し、しかもリッチー演出は洗練され、ブレがなく貫禄たっぷり。そもそも「コードネーム U.N.C.L.E.」(15)でカメオ的に登場したヒュー・グラントを、今回は語り部役として出ずっぱり、喋りっぱなし状態にするなんて、こんな贅沢な起用法、他にあるだろうか。

 そして物語の柱を担うのは、アメリカ出身という設定で、不思議なほどの落ち着きと野性味を併せ持つマシュー・マコノヒーだ。長らく大麻ビジネスを切り盛りしてきた主人公は、そろそろ肩の荷を下ろし余生を楽しみたいお年頃。するとその権力の空白地帯を狙った有象無象が方々から顔を出し、なんとも賑やかで荒唐無稽な抗争劇がスタートする。

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 とにかく冒頭からノンストップで状況が二転三転し続けるので、うっかりしていると振り落とされそうな気もするが、そこはサービス精神旺盛なリッチー作品なのでご安心を。事態が混沌化するとコリン・ファレルが、お揃いのトラックスーツに身を包んだヒップホップ&アクション・チームを従えて現れ、細かいこだわりなんてきれいさっぱり吹き飛ばしてくれる。

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 要は弱肉強食。最後に落とし前をつけるのは誰かという話。と同時に、テーマは権力の移り変わりにも及ぶ。人生の潮目を感じた時、どう動くか。きっとハリウッドの隅々まで経験し尽くしたガイ・リッチーだからこそ、いま誰よりも自身の今後について深く思いを馳せているのだろう。その結果、彼は再びこの主戦場へと帰ってきた。以前と比べてジェントルに。しかしより激しく、気高く、狂おしく。まさに人生の新章突入にふさわしい覇気と小粋さに満ちた痛快作である。


◇非凡な劇作家と名優コンビが、目眩のするような映画術で老いることの真実を描く(文:佐藤久理子)

「ファーザー」(5月14日公開)

 気丈な親が、まるで子供のように振る舞い自分を頼るようになる。親子の関係が逆転していくことへの戸惑い、せつなさ、思いの通じないもどかしさ。認知症の家族を持ったことがある人にとっては、きっとよく知る感情に違いない。

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 下馬評通りアンソニー・ホプキンスがアカデミー賞主演男優賞に輝いた本作は、記憶を失って行く父と、人生の再スタートを切ろうとしている娘の物語だ。自身の著名な戯曲を自ら映画化して監督デビューを果たしたフロリアン・ゼレールは、人間が老いる上で避けられない問題を、親子の絆を通して見つめる。

 ホプキンスはこの主人公アンソニーを、彼自身に大きなトラウマを与えた父親を思い出しながら演じたという。あるときはおどけてダンスを踊るかと思えば、次の瞬間、人が変わったかのように不機嫌で攻撃的になる。その驚くべき演技は、悲しみのみならず、ユーモア、軽妙さ、はたまた恐れ、ノスタルジー、悔恨といった感情の幅を自在に行き来する。

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 ゼレールの脚本が巧みなのは、そこにもうひとつ「過去の亡霊」というテーマを加えることで、親子の関係を一層複雑なものにしたことにある。娘のアンには、じつは亡くなった妹のルーシーがいて、彼女の方が父のお気に入りだった。彼の頭のなかでは、ルーシーはいまだ世界のどこかを旅している。屈辱と憎しみ。アンは父に対する愛憎の狭間で揺れ動く。それを巧みに表現するオリヴィア・コールマンもまた、控えめながらホプキンスに劣らぬ名演を見せている。

 もっとも、本作が欧米でこれほど評価された大きな理由は、その映像スタイルにあるだろう。ゼレール監督はこれが一作目とは思えないほど鮮やかに、演劇的な要素を映像的な表現に切り替えている。とくにアンソニーの頭のなかの混乱を、時間感覚が麻痺するようなシチュエーションの反復を用いたり、ふたりの俳優に同じ役を演じさせ他者の認識を曖昧にすることで観客に体感させるのだ。まったく見知らぬ人間が居間にいて、娘の夫だと名乗るかと思えば、見慣れぬ女が娘として振る舞い、夫などいないと主張する。不条理で不確かな世界に身を置く恐怖が、ひしひしと伝わって来る。

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 結局のところ老いは誰にとっても避けられないものであり、どう老いていくかなど知る由もない。そんな手に負えない難題を冷徹に、しかし細やかな配慮と慈しみをもって描き出す本作は、心に重い錨を降ろす。

◇美しい入り江の町を舞台に描かれる、確執を抱えた家族の再会と明日への希望(文:高森郁哉)

「海辺の家族たち」(5月14日公開)

 「地中海で一番美しい海岸」「沿岸地域で唯一真の姿を残した場所」と劇中の台詞で紹介される、マルセイユ近郊のメジャン入り江。その湾景を望む一軒家のバルコニーで、老いた父親が後悔を口にして倒れた。父から小さなレストランを継ぎ実家で同居する長男アルマン(ジェラール・メイラン)のもとに、教授職をリストラされた次男ジョゼフ(ジャン=ピエール・ダルッサン)、人気女優でパリに暮らす末っ子アンジェル(アリアンヌ・アスカリッド)がやってくる。20年前のある出来事が原因で、アンジェルは家族と疎遠になっていた。

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 2017年のヴェネツィア国際映画祭コンペ部門に出品された本作「海辺の家族たち」。監督のロベール・ゲディギャンはマルセイユで生まれ育ったフランス人だが、父親は20世紀初頭に起きたアルメニア人虐殺からフランスに逃れてきた移民で、マルセイユの港湾で働いていた。そうした出自と育った環境の影響で、労働者や移民・難民といった社会的弱者に寄り添う眼差しで家族や小さなコミュニティーを描く一貫した作風は、日本語字幕版が鑑賞可能な「マルセイユの恋」「幼なじみ」「キリマンジャロの雪」でも確かめられる。

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 ゲディギャンの一貫したスタイルは、ロケ地にマルセイユや西の近郊エスタック地区(メジャン入り江はさらに西のはずれ)を選ぶことと、先に紹介したメイラン、ダルッサン、そして監督の妻でもあるアスカリッドの3人を起用し続けてきたことにも表れている。そんな一貫性の賜物が、中盤で挿入される回想シーン。実はこれ、1985年の監督作「Ki lo sa ?」から抜粋された映像なのだが、やはり先の俳優3人が船着き場でふざけあっているので、本作において3兄妹がまだ仲良しだった若かりし頃のフラッシュバックとして完璧に機能している。

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 ゲディギャンは淡々とした筆致に控え目なユーモアも時折添えて、過去と現在のさまざまな別れや、新たな恋の始まりを綴っていく。そして終盤、予想外の出会いによって3兄妹は明日に向かって歩き出すきっかけを得る。それは、悲しみや憎しみや分断を克服する力として、愛と善に希望を託す監督のつつましい意思表示だ。たしかに理想主義かもしれない。それでも、ラストシーンのバルコニーに訪れるささやかな奇跡は、長く反響するこだまのように、観客の心に温かな余韻を残し続けるだろう。

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