秋だから焼き魚を食べて、昔のことばかりを思い出すのはアラフィフあるある?
画面を見ることもなくつけっぱなしにしていたテレビから「秋シャケ漁が。。。」という声が聞こえて、そこから頭の中が焼き魚でいっぱいになりました。
「焼き魚 ランチ」とマップ検索しても、喜茂別はもちろん、倶知安ニセコまで広域に調べても良さげなものは出てきません。
というわけで、港町の岩内町へ
ストレートにここにくることはあまりないのですが、喜茂別からでも50分、倶知安からだと20分台で着く距離でした。
店員さんに「これを食べれば間違いないってありますか?」と聞いてみましたが、「ハラスを頼まれる方が多いです」との答え。
この時点でここに来たことを少し後悔しましたが、紅はらすを頼みました。
そして、思い出すのは過去のこと
先週東京で滞在していた、方南町駅の周りに住んでいたことがあります。
結婚する前のことでした。あまり自炊もしなかったころ。
20年以上前のことですが、そのときにすでに古い、と言える食堂がありました。先日探したときには新しいマンションが建っていました。
さんま、シャケ、ニシンなど、焼き魚がメニューのほとんどです。
しじみ汁が美味しかった。真ん中に調理場があってそれを取り囲むようにコの字型のカウンターだけの食堂
定食を食べていると、網に入ったしじみを業者が納品してくる様子が好きでした。網に入ったしじみが納品される様子が、僕にとっての東京の大衆食堂って感じがしました。北海道ではおそらく発泡スチロールに入って納品されるんじゃないかと思います。
納品されたしじみは即座に店のおばさんによって、がしゃがしゃ洗われて砂抜きされていました。
納豆と生卵、時々イカの塩辛やタラコなんかを追加注文
焼き魚はすでに焼きあがっているのだけれども、注文が入ると温め直されて出されるものです。
それでも美味しかった。
名前も忘れたあの食堂があったから、僕の方南町生活の質は高かった。
思い出の中で美化されているのかもしれないけれども「おいしさ」というのはなんなのだろうか、と思います。
いまここで食べているものを通して昔を思い出してしまうようなことは老化の始まりかもしれませんね。
これからは未来に起こることを待つよりも、過去を振り返るためになぞる行動が増えるような気がしました。