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呪われた遺伝子と感じてしまう、毒親の遺伝子を受け入れる思考法

僕の親は、正直全く尊敬出来無い人でした
子供の頃の僕の親への印象は、
ハッキリ言ってしまうと「愚か者」でした。

父は、家でブリーフ一丁で歩く
ギャンブル好きでお酒飲んでDVする
自分の作った借金にイライラして
立場が悪くなれば、喚けば済むと思っているような馬鹿です。  

母も、そんな父と結婚するような
子供の僕の語ることに理屈で返せない馬鹿です
僕は怒られる真っ当な理屈も説明されないまま
何回も叱られました、叱るのは良いですが
せめて納得の出来る筋の通る理屈で叱って欲しかったというのを覚えています。

顔も声も僕の劣等感を煽る様な感じです
趣味も何もない、下らないことに拘る
この人は何が楽しくて生きているんだろう?

僕はこの二人の子供に産まれて
正直劣等感しかありませんでした。

得意げに成功してるような人の
話しを聞く度
こう思ってました。

「才能と環境と容姿、ほぼ全て僕より恵まれてるんたから上手く行くわな、僕と全く同じ遺伝子と環境で上手く行ってから偉そうに語って欲しい」

そんな事が現実的に無理なのは百も承知でした
でもどうしても思ってしまいます
「僕の遺伝子は劣等種のものだ」そして
「上手く行ってる人は、環境と遺伝子が優れてるんだろうな、だから僕の遺伝子は呪いである」

僕は二人の子供にしてはマシな顔はしてますが
二人の嫌な部分が受け継がれてる顔をしてました
常に身体がダルく、運動では周りの人の下の中みたいな感じで、知力も二人の子供にしてはマシですが
多分良くは無いと思います。


僕はあまりモテなかったし劣等感の塊でした
僕は自分の遺伝子の劣等感を解消するために
成功しようと無理して稼ごうとしました。

長くなるので詳しくは端折りますが
僕は自分の遺伝子による劣等感から頑張ったせいで
お金持ちになろうとした夢も
折角出来た最愛の女性も
全て失い鬱病になりました。

僕はその時、自分の
「文章力」「分析力」「忍耐力」
は少なからず才能だと思っていましたが、
この才能すら呪いの一部なんじゃないか?と
この遺伝子に産まれて悔しくて仕方ありませんでした。 

それから数年が経ち、僕は心理学やスピリチュアル等を学び気が付いた事があります。

まず1つ
「親が未熟なのは当たり前である」

僕は人の親になったことはありませんが
子供にとって親は
「正しく愛のある者で、尊敬に値する知性を持ち、確かに価値のある愛を与えてくれる存在」
つまり「神」の代わりで居て貰いたいと思っています。

あなたはそう思ってなかったかも知れませんが
僕はそう思っていました。

この願望からしたら、僕の親は真逆の人です
でも考えてみて欲しいのです。

「正しく愛のある者で、尊敬に値する知性を持ち、確かに価値のある愛を与えてくれる存在」

そんな人に中々なれるものではありません
僕の親は極端過ぎますが、神様の代わりを
出来る人なんてこの世に何人居るでしょうか? 

2つ
「未熟な人の割には愛してくれていた」

正直僕は今でも親のことはどうかと思う所はあります
それでも父親は、借金あるのにゲーム買ってくれたり
兄弟で僕だけには手を上げませんでした。

母親も毎日ご飯作ってくれたり
掃除も洗濯もしてくれてはいました。

二人の未熟さを考えれば
相当愛してくれていたんだなと
気が付く事が出来ました。


3つ
「肉体を自分と思う必要は無い」

肉体を自分だと思えば、劣っている遺伝子は
呪われた遺伝子になり、その肉体に産まれた人は 
「常に呪われた人生」を歩まなければなりません。

ですが、違う見方が出来ます
考えて欲しいのです
身体を自分と思う必要、本当にあるのでしょうか?。

僕は自分の中にある
「純粋な愛」のみを
本当の自分だと思うようにしました。

そうすれば呪われた遺伝子に悩む必要はありません
何故なら「親」が本当の「神」に変わりますから。

そう、そしてあなたも
「神の子で、愛そのもの」
なのです。

急には難しいかも知れませんが
参考にしてくれると嬉しいです。

ここまで読んで頂きありがとうございました!。

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