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「人は皆完璧」を信じられる考え方

あなたも、よくスピリチュアル的な情報の中で
「人は皆完璧である」
という様な事を聞いたことあると思います。

以前の僕はそんな事信じたくても信じられませんでした、あなたもそうではないでしょうか?

「あのスピリチュアル系の配信者さんは本当にそんな事信じているのだろうか?」

「取り敢えず、本当は信じてないけど信じたいだけ
という脳内お花畑なだけなのではないだろうか?」

「お金が欲しいから、信じたいけど信じられない様な価値観を配信しているだけなんじゃないか?

僕も色々考えました
自分も他人も失敗だらけ
あの人の容姿も能力も考え方も、少なくともどれかは
お世辞にも完璧とは思えませんよね?

実際、自分が尊敬している数少ない人物でさえ
「これはどうなんだ…」と思う部分が
正直あったりします
あなたもそう感じるのではないでしょうか?。

完璧というのは、悪い所なんて全くない
完全な状態の事
それで「自分もあの人も完璧」
何を言っているんだろうか?
よくそんなことが言えますね!
本当に完璧だったらこんな苦労してませんけど?

僕もそう思ってました
自分どころか
「完璧な人など何処にも存在しない」
これはこれで一つの視点から見れば
真実なんだと思います。

そう、僕等が当たり前に持っている
ある視点から見れば…。

その視点とは「自我」的な視点です
優れているとか劣っているとか「差」を
大切にしたり
「正しい」とか「間違えてる」とか
「罪がある」とか「あの人は特別」だとか
そういうモノの見方です。

それが悪いとは言いません
僕等はどうしても…というか
デフォルトで、その見方をしてしまいやすい
人という生き物です
ある程度は仕方がないのかも知れません。

では、もう一つの視点とは何か?
ダメダメな僕等が「完璧」と
何の罪悪感も抱かず言える様な
そんな視点とは何か?

それは「愛」の視点です
もし、この世の人々の
肉体や、恨みや苦しみ、欠乏感等の
負の想念が無かったら?
心の陰りがなかったとしたら?
スピリチュアルで言う所の
「恐れ」が完全になくなったら?

想像してみて欲しいのです
そこにはきっと「愛」の意識のみが残る筈です

そしてあなたに質問です
そこにある「愛」というモノは
不完璧な存在なのでしょうか?

きっとそれは
「完璧な存在」
です。

そして僕は、今これを読んでくれている
あなたに伝えたい言葉があります

「あなたは、今のこの時点で完全な愛の存在です」

変わらずとも、成長せずとも
罪を重ねた様に見えても
望まぬ肉体に産まれても
根源的には愛の存在なのです。

そんな「性善説」をも超えた
「性愛説」信じられたなら
あなたの中にある漠然とした自信のなさや
罪深さを心の中から消せるでしょう。 

と、言うことで
世間で言われている
「人は皆完璧」
とは、こういうことを言っているのだと思います。

ここまで読んでくれてありがとうございました!

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