地元の人々に支えられ、変化し続け、 120年以上続いてきた映画館 ――長野松竹相生座・ロキシーについて
※本記事は、宣伝会議 第43期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成しています。2021年11月に取材を行いました。
(公開するにあたって、内容の加筆修正を行いました。)
地元の人々に支えられ、変化し続け、120年以上続いてきた映画館
――長野松竹相生座・ロキシーについて
2020年(令和2)、新型コロナの感染拡大を防ぐため、休館する映画館が相次いだ。そのため、映画産業は、厳しい状況となり、大きな影響を受けた。長野松竹相生座・ロキシーは、長野市の中心部の権堂地域にあり、長く続いてきた映画館である。
以降、「長野松竹相生座・ロキシー」を「相生座」と略す。相生座は、長野市の権堂駅からアーケード街を歩いて十分ほどの場所にあり、今では珍しくなった木造映画館である。
長年続いてきた理由、今後の展望について知りたいと思い、支配人である田上真里さんにお話を伺った。相生座など長野市の映画館の歴史を研究し、2017年(平成29)に『長野のまちと映画館 120年とその未来』を出版した小林竜太郎さんにもお話を伺った。
[1章]
相生座の現在
①相生座のこれまでの歩み
長野県で最も古い映画館である相生座は、120年以上営業されている。元は、「千歳座」という名前で、1882年(明治25)に開場した。
1919年(大正8)に相生座に名前が改められた。
1972年(昭和47)に劇場を分割し、長野松竹相生座と長野ロキシーに分かれ、2スクリーンとなる。1984年(昭和59)に現在と同じ3スクリーンとなる。相生座は、スクリーンが3つあり、それぞれに名前がついている。「長野松竹相生座」は176席で2階席がある。「長野ロキシー1」は264席で2階席がある。「長野ロキシー2」は76席あり、1984年(昭和59)に、「シネサロン長野ロキシー」として上映が開始された。収容人数は、516人である。
同館では、松竹の作品、単館系の作品、旧作など様々な作品が上映され、
映画監督を招いたイベントも定期的に開かれている。映画館の運営会社は、たびたび変更されている。かつては、大映の直営館、松竹の直営館などであった。
「座」という名称は、かつて映画館で芝居や寄席が行われていたことを表している。長野県には、他に岡谷市に「岡谷スカラ座」、塩尻市に「塩尻東座」、伊那市に「伊那旭座」があり、県内に四館現存している。座という映画館は、現在あまり残っていない。
ロキシーという名称も現在は珍しくなった。ロキシーは、第二次大戦後、東京の浅草にあった「金龍館」が「浅草ロキシー」に名前を変更したことから始まる。ロキシーという映画館は、戦後各地にあったが、多くの映画館が閉館した。長野ロキシーは、現在でも残っている珍しい例となった。
相生座は現在、長野映画興業株式会社が経営を行っている。会社は2017年(平成29)に創立100年を迎えた。会社は2019年(令和元)、相生座に名前が変更されて、100周年を迎えた。今は3名の社員と2名のアルバイト、忙しいときは別の2名を雇い、計7人で運営している。
②田上真里さんの映画に対する想い
相生座の支配人である田上さんは、映画業界で長年働いてきた。1971年(昭和46)に長野市で生まれた。茨城県の大学に進学し、大学を卒業後、東映の直営館であった長野東映で10年近く劇場スタッフとして働いた。
長野東映で働いているとき、当時長野県では見ることが難しかったヨーロッパの作品、アジアの作品などのいわゆるミニシアター系作品の自主上映を行っていた。ミニシアターとは、独自に選んだ映画を上映する映画館のことで単館映画館ともいわれる。その後、3年間は別の仕事に就いていたが、現在の会社から声がかかった。そして、2007年(平成19)に長野映画興業株式会社に入社する。
「今から20年前までは、長野県では、映画は、大手の作品しか見ることができず、ミニシアター作品を見るためには、都内の映画館まで行く必要がありました。長野東宝グランドにて、ミニシアター系作品の特集上映は行われておりましたが、その以外にも多くの作品がありましたので、埋もれている良質な作品を長野でも見られるようにしたいと思いました。
また、自主上映の経験から、長野には良質な作品を好む観客が存在していることが分かっていました」と田上さんは話した。
長野東宝グランドは、長野グランドシネマズの前身の映画館である。2006年(平成18)に閉館し、同年に長野グランドシネマズが同じ権堂地域に開館した。同館では、主に東宝の作品が上映され、松竹の作品も上映されている。松竹作品の多くは、長野グランドシネマズに出されていった。相生座は、以前は松竹の直営館として大手の作品を上映していた。山田洋二監督の作品は、相生座でも上映が可能だったため、長野グランドシネマズ、相生座の両方で上映された。最近の映画では、『キネマの神様』が上映された。
入社後、他の映画館との差別化を図るため、田上さんは、今まで長野県で見ることができなかった映画の上映を始めていった。
相生座が長年続いてきた理由は、
「必死で努力し、時代とともに変わり続けたからです。作品ごとにお客さんが来てくれて、地元の人に支えられてきたからです」と話す。
上映可能な作品は、映画館ごとに決められている。現在上映されている作品は、松竹作品の一部、クロックワークス、ビターズ・エンドなどの作品である。作品を選ぶときは、松竹マルチプレックスシアターズ番組編成部に依頼を行う。そこを通して照会いただいた作品を見て、どの作品を上映するか相生座で決定している。また、映画の希望を受け付けるリクエストフォームを作成し、お客様が好む作品を見落としていないかどうか参考にしている。
現在は、ヨーロッパの作品、ドキュメンタリー作品がお客さんに人気がある。過去上映された作品では、『ゲキ×シネ(劇団☆新感線)』、インド映画の『バーフバリ』などが人気を博した。『バーフバリ』は三部作すべてが相生座で上映された。
田上さんは、「映画作品の予測は、難しいです」と話す。期待した作品が予想よりも入らないことがあるという。
③現在の長野市の他の映画館
長野市で営業している他の映画館は、長野グランドシネマズと長野千石劇場の2館である。映画館は市内の中心部に集中している。かつて長野市には、10以上の映画館が営業していた。しかし多くの映画館が閉館していった。
映画館には2つの種類があり、1つは『シネマコンプレックス』(シネコン)、もう1つは『単館映画館』である。
シネマコンプレックスは、同一の施設に複数のスクリーンが設置されている映画館である。座席には段差がつき、映画を見るために効率的に設計されている。
単館映画館は、建物の中に1つのスクリーンがある映画館のことである。2つ、3つのスクリーンがある映画館もある。座席は平面で段差はついていない。
長野グランドシネマズは、シネマコンプレックスに該当し、相生座、長野千石劇場は、既存の単館映画館に該当する。
長野グランドシネマズは、長野市で一番大きな映画館であり、一番多くの作品が上映されている。同館は、2006年(平成18)にシネマコンプレックスとして開館した。長野市の権堂駅の近くで、市内の中心部に位置している。主に東宝の作品が上映され、松竹の作品も上映されている。スクリーンは8つあり、収容人数は、1,365人である。同館は、中谷商事が経営を行い、会社は、長野電鉄が建設した建物に、約10億円を投じて、同館を開設した。
長野千石劇場は、長野駅の近くにある映画館である。1950年(昭和25)に鉄筋建築として開館した。主に東映の作品が上映されている。スクリーンは3つあり、座席数は340席である。スクリーン1が200席、スクリーン2が100席、スクリーン3が40席である。スクリーン3は、1999年(平成11)に増設された。
[2章]
映画館の歴史を研究した
小林竜太郎さんの相生座への想い
相生座など長野市の映画館の歴史を研究した小林さんに、田上さんのインタビュー後にお話を伺った。
小林さんは、2017年(平成29)に長野郷土史研究会テキストブックとして、『長野のまちと映画館ー120年とその未来』を出版した。雑誌『長野』で発表された様々なテーマの論稿をまとめた書籍である。「長野のまち」という言葉は、行政上の区分ではなく、隣接した都市も含まれている。
同書では、相生座など、長野市の映画館の歴史について述べている。他に、2006年(平成18)に長野市で閉館した長野東宝グランド、長野東映、長野東宝中劇に関する論稿、日本最古の映画館が残る長野と新潟県高田についての論稿がある。
小林さんは、1977年(昭和52)に生まれ、現在の飯綱町で育った。小学生のときから長野市で暮らすようになった。祖父の小林計一郎さんが、長野郷土史研究会を立ち上げ、1964年(昭和39)に機関誌『長野』を創刊した。
小林さんは「祖父、父が郷土史家で存在が大きかったため、別の分野を学びたいと思いました」と話した。
京都の大学に進学し、西洋史としてドイツの教育のテーマで研究を行った。しかし、大学院に進学した2000年(平成12)頃、海外のことと自分の問題意識が結びつかなくなったという。
2000年(平成12)に長野市の大型店であった長野そごうが倒産し、同年の年末にダイエーが閉店した。生まれ育った街の姿が大きく変わったことを実感するようになった。そして、2003年(平成15)は、善光寺の御開帳があり、父や母が郷土史の案内を行っていた。小林さんも身近なテーマに向き合いたいと思うように気持ちが変わった。
そして、株式会社光竜堂を設立した。会社を立ち上げて15年目となる。外部のデザイナーの方1名と印刷所の人と協力して、出版、編集の仕事を行っている。現在は、株式会社光竜堂の代表取締役を務めている。同時に長野郷土史研究会青年部長として、機関誌『長野』の編集を行っている。他にも長野市の映画館、銭湯、祭り、路地、鉄道、バス、デパートなどの調査研究を行っている。
小林さんの祖父は、「地域の歴史を研究することは、あらゆる学問の基礎になる」と話していた。郷土史は、身近に素材がある。小林さんは、自分が生まれ育った身近な地域のこれからの発展を願うようになった。
地域研究のために、近現代の書籍と自分の足を使って、フィールドワークを行っている。善光寺に関する本、歴史に関する本を出版している。街に行くときは、映画館へよく通っていたという。映画館に人のぬくもりを感じたからだ。
相生座に注目するようになったきっかけは、『権堂町史』という書籍に出会ったことだった。調査し、相生座が、現存している一番古い歴史を持った映画館だということが分かったという。
相生座について、現支配人の田上さんが入社した頃から、「これまで東京などでしか見られなかった映画が、長野県でも見られるようになりました」と話した。
小林さんは、長野市に古い映画館が残った理由を、2つ挙げている。
1つは、相生座が空襲で焼けなかったことである。1945年(昭和20)に長野市も空襲にあっている。しかし、大都市ほど激しくなかったため、古い建物が残った。もう1つは、高度成長期に権堂地域が大きく変化しなかったからである。長野市は善光寺の門前町として、発展してきた。第二次大戦後、同地域が長野市の中心となっていた。同地域はあまり再開発されず、歴史ある建物が残ることになった。そして、その間に長野駅前周辺が再開発され、長野市の中心地となっていった。
[3章]
今後も相生座が続いていくために
現在、映画は配信サービスで見ることが可能となり、映画館へ足を運ぶ人は減っている。そのような状況の中、コロナ禍で感染拡大を防ぐため、多くの映画館は、休館となった。
一般社団法人である日本映画製作者連盟によると、2019年(令和元)の年間興行収入は、261,180百万円である。それに対して、2020年(令和2)の年間興行収入は、2000年(平成12)以降最低となる143,285百万円となった。
結果として、117,895百万円の大幅減で、前年比で54.9%である。
2019年(令和元)の観客動員数は、194,910千人だった。2020年(令和2)の観客動員数は、106,137千人だった。結果として、88,773千人の減少で、前年比で54.5%である。
しかし、一人当たりの消費額は、2019年(令和元)が1,340円、2020年(令和2)が1,350円となり、増加している。
相生座が休館となる前に上映されていた作品は、『パラサイト 半地下の家族』だった。
「2020年(令和2)の初め、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』の上映で多くの売上げがありました」と田上さんは言う。
映画館は、作品によって、売上げが大きく変わると田上さんは話す。そのため、ヒット作品が上映できるかどうかが大切になる。
インタビュー後、田上さんから、相生座の2019年(令和元)、2020年(令和2)の観客動員数、売上げのデータを提供していただいた。
データによると、相生座の2019年(令和元)の観客動員数は、約40,000名、売上げは、約4,727万円だった。コロナ禍の2020年(令和2)の観客動員数は、約34,000名、売上げは、約4,312万円であった。
そのため、観客動員数は、約6,000名減で、売上高は約415万円減となった。
しかし、一人当たりの消費額は、2019年(令和元)は約1,069円、2020年(令和2)は、約1,268円となり、増加している。
考えられる理由は、2つある。1つ目は、ODS(非映画デジタルコンテンツ)の増加である。ODSは、映画作品以外の映像作品のことである。
映画館では、映画作品以外の作品も多く上映されている。ODSは、映画作品よりも単価が高いことが多く、そのことが売上げに影響することになった。
2つ目は、見た本数が増加していたことである。相生座の会員が映画を見た本数も、2019年(令和元)、2020年(令和2)を比較すると、2020年(令和2)は、増加していた。
そのため、コロナ禍で観客数は、減少したが、映画を見た人々の消費額は、増加していた。
相生座が開館するまではひたすら待つ日々だったという。
映画館で見る良さとして、
「映画は、コンテンツであってはいけないと思います。消費するものではなく、体験、体感するものです。映画館で見ることで映画に没頭することができます。そして、体験、体感したことは心に残ります。映画館では、他人と1つのスクリーンで映画を見ます。他人同士が時間を共有することで感動の度合いが増します。映画は、映画館のスクリーンで見てもらうように作られています。そのため、小さい画面だと細かい情報が伝わりません」と田上さんは話した。
今後の展望として、
「次世代にバトンをわたすことが目標です。若い人はあまり映画を見なくなっています。映画を見る人は、中高年が多いため、若い20代、30代の人々に劇場で映画を見てほしい。ミニシアター、単館系の作品に足を運んでください」と話した。
田上さんは、インタビューの最後に、
「長野県は、人口が少ないわりに、映画館が多いです。そのため、他の映画館も経営が大変だと思います。コロナ禍では、東京の映画館が閉まってしまい、地方の映画館でも上映が遅れてしまいました。
映画の配給や上映のシステムは簡単に変えることはできませんが、例えば極端な話、長野や地方で映画が生まれる流れができれば面白いのではないかと思います。時々、地方で映画が生まれて、全国へ広がっていってほしいです」と話した。
後日、相生座で上映された現代アートハウス入門Vol・2『クローズ・アップ』を鑑賞に出かけた。作品に詳しい監督が上映後に解説を行うことに関心を持った。当作品は、午後7時から上映が始まった。7日間連続するイベントの初日である。観客は約30人で年齢層は、若い人たちから高齢の人たちまで様々で、多くの人々と一緒に同じ映画を鑑賞した。
解説の中で、深田監督が話していた、「演劇は繰り返すことが大切ですが、映画は一回性です」という言葉が印象に残った。一回性と体験には、共通する点があるかもしれない。映画館の画面で見た印象に残った作品は、心に深く刻まれる。
多くの人々の想いがつながり、相生座は長年営業を続けてきた。映画を見続けてきた地元の人々も相生座を支えてきた。今後も続いていくためには、相生座の人々、映画を見る一人一人の行動にかかっている。(了)
参考文献
小林竜太郎『長野のまちと映画館ー120年とその未来』
光竜堂 2017年
信濃毎日新聞 2021年11月10日
中谷商事社長 中谷富美子さんのインタビュー記事
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
長野相生座・ロキシー支配人 田上真里様、
長野郷土史研究会 小林竜太郎様、
お忙しいところ取材に協力していただき、大変ありがとうございました。