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インドカレーで死にかけた話【マハラジャンボリー事件】
あけましておめでとうございます。もう1週間2025年が過ぎてしまいました。
新年1発目に何を書こうか迷ったのですが、いまだに2024年の振り返りが終わっていないなという事で、20年近く生きてきた人生の中で本当に死ぬかもしれないと思った去年の話をしたいと思います。
去年は夏用装備で雪山登山したり、免許取得1年で深夜に霧に包まれた山道を走ったり、それは危ない事がたくさんありました。それでもいい経験だったと振り返れる出来事です。しかしこのインドカレーの一件だけはもう2度と経験したくないと思った出来事です。
【注意】
・絶対に真似しないでください
・グロ画像(人による)あります
・アナフィラキシーショック時は病院に行こう
2024年9月、友人と浜松に行こうという話になり、青春18きっぷで東京から遠路はるばる普通電車に乗って浜名湖までやってきました。
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太陽もすっかり高くなり、さてお昼だとなったので店探し。浜松といえば鰻や餃子など名物がたくさんありますが、インドカレー屋を見つけてしまったので入店。当時はインドカレーというものを全く食べたこともなく、興味本位でインドカレーとクソデカナンを注文しました。
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ちなみに私は食物アレルギーがあり、卵、ピーナッツ、くるみ、そば粉など気をつけていれば摂取することはありませんが、身近な食べ物に含まれている食材です。そのため外食時はできるだけ同じ店の同じメニュー、出先でもチェーン店を心がけていました。喫茶店なんかでも頑なにアイスコーヒーしか飲まず、ケーキ等の洋菓子も一切口にせずにひたすら飲み物を流し込んでいました。あまりに不審ですがこうするしかありません。知らない土地で知らない食べ物を食べるだけでドキドキタイムです。
最初のうちは人生初のインドカレーを味わっていたものの、食べ始めて10分ほどして喉の違和感が出ました。言葉にするのは非常に難しいのですが、首の皮を剥がして中を掻きたい感じとでも言いましょうか。とにかく不快感が体を襲います。
最初はサラダにかかっていたドレッシングの卵だろうと考えていたのですが、症状が出るのが少し遅かったこと、時間が経つにつれ症状が悪化してきているのに気づき、これはマズいかもしれないと不安になりました。
原因はもちろんインドカレー。インドカレーにこれらのアレルゲンは入っていないだろうと浅はかな考えで半分ほど既に食べてしまっていましたが、当時はこれに入っていたであろうピーナッツバターがアレルゲンだとは知らずに苦しんでいました。インドカレーに限らずカレーにまろやかさを出すためにピーナッツバターを入れるのはよくあるらしいのです。本当にあった怖い話です。
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とりあえずお店は出たものの、症状は治るどころか悪化しており、吐き気、めまい、手足の痺れなどなど。若干遠のいてきた意識を保ちつつ、ゆっくり歩きますが、ここは真夏の浜松、気温34℃の炎天下の中では体力を消耗するためどこか涼しいところへ……と彷徨っていたところにありました
公民館が
古い建物でロクに冷房も聞いていませんでしたが、まるで砂漠のオアシスに見えました。浜松市民ではありませんがトイレをお借りし、差し迫る吐き気を解放するために嘔吐させていただきました。
ほぼ未消化のものを出しきったものの、未だ吐き気は治らずほぼ胃液を吐き続けること数分。ようやくおさまり歩いたり会話したりする事ができるようになったので、旅行を中止して帰ることにしました。
帰るとは言ったもののここは浜松、自宅までは大体300km、ここまで東海道線で5時間はかかっています。しかし新幹線で帰ろうという選択肢を提案できる余裕はなく、正常な判断ができないまま東海道線で帰ることにしました。
幸いにもご用意された電車はクロスシート、要するにちょっと豪華な電車だったので安心。とりあえず熱海までの安心が確約されたので気を失うように眠りました。ほぼ失神状態だったと思います。
目が覚めると沼津駅、大体1時間半ほど気を失っていたようで、とりあえず生きていることを実感しました。しかし、手足の痺れと全身の痒みが残っており、先ほど嘔吐したため喉の痛みもあります。
ふと腕を見るとものすごい蕁麻疹が腕にありました。画像検索で出てくるような赤みのあるものではなく、みみず腫れとなっているかなり酷いものが腹や背中、首元など確認できる限りでも全身に広がっていました。
以下蕁麻疹の写真です
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熱海からは少しでも体力を温存するためにグリーン車に乗車しました。しかし、手足の痺れ、蕁麻疹に加えて悪寒もしてきたため自宅まで行くことは不可能だと判断。川崎に土地勘のある同行者を頼り、川崎駅で下車して病院へ行くことにしました。時刻は18時、アナフィラキシーショックを発症してから5時間が経過していました。
突然ですが皆さんは「♯7119」をご存知でしょうか?これは救急車を呼ぶか迷った時に専門知識のあるオペレーターが対応してくれる窓口です。
駅を降りた私は#7119に近くの病院を紹介してもらおうと考え、かけてみたものの自動音声の案内は「こちらは横浜市です」と告げてきました。それよりこの窓口に相談する以前に浜松の時点で救急車を呼ぶべきでした。しかし浜松の病院に搬送されて異境の地で夜を明かすことになる可能性が頭をよぎってしまい、流石に朝の4時から動いているから今日は家の布団で寝たいという思いがアレルギーに勝ち、川崎まで来てしまいました。
目論見が外れたのでバスロータリーのベンチに座りながらGoogleマップで評価の高い病院を探します
よさそうな病院を見つけたものの1件目は救急外来は受け付けておらず、2件目はそもそも電話が繋がらず、3度目の正直でようやく救急外来が受付可能な病院を見つけられました。
「患者はどのような状態ですか?」
「昼頃にアナフィラキシーショックになりまして、今は吐き気は落ち着いてるんですけど、蕁麻疹や手足の痺れなどがあります」
「それはすぐに救急車を呼んでください。うちに搬送されるかはわかりませんが、すぐに処置を受けることをおすすめします。患者の意識ははっきりしてますか?」
「私が患者本人です」
たぶんXとかに書かれてる病院の面白患者とかってこう言うことを書いてるんだと思います。嘘松の中にほんの一握りの異常患者が含まれているのですね。
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しかし、帰宅ラッシュ真っ只中の川崎駅前に救急車を呼んだところで来るのも搬送されるのも時間がかかりますし、何より迷惑になってしまいます。受け入れ先でたらい回しにされるぐらいなら自力で病院に行こうということで、駅から1kmほど歩いて病院に行きました。
病院のカウンターで普通に受付をするとにわかにカウンターがざわつき始めました。察するに「さっきの電話のヤバい奴が本当に来た」の意だと思います。本当にすみませんでした。
救急外来とは言っても意識のある状態なので普通に問診票を書かされました。しかし手の震えでまともに書ける状態ではなく、ヒエログリフに匹敵する悪筆で提出しました。
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そうこうしているうちに名前が呼ばれ、歩いて救急外来のベットへ。体に色々な機械が取り付けられたのち点滴が繋がれます。点滴のラインを取るのに何故か5回もやり直しになり、ただでさえ悲惨な腕が両腕とも傷だらけに。私が命の危機迫った患者ではなかったので助かりましたが、瀕死の患者だったら処置が遅れて今頃死んでいたことでしょう。
そしてお医者様がいらっしゃりモニターを見て一言
「この状態でよく自力で来たねー」
モニターを横目で見ると素人にもわかる明らかに異常な波形が映し出されています。死は覚悟しませんでしたが後遺症はちょっと覚悟しました。
処置としてはアドレナリンの投与、点滴をして血液検査の結果待ちとのことでとりあえず寝ててくださいと言われ、家族に連絡を取ろうとスマートフォンを触ろうとするも手が痺れてまともに文字が打てません。友人に助けを借りて連絡できた時の写真がこちらです。
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そしてお医者様が再びやってきて症状の説明をしてくださいました。要約すると
•重度のアナフィラキシーショック
•急性循環不全
•脈拍早すぎ 血圧低すぎ
とのこと。以下は誇張を加えたお医者様との会話です。
「何時に食べたの?」
「1時です」
「7時ね……じゃあ1時間ぐらい前か」
「1時です。午後1時」
「じゃあお昼ごはんか……どこで食べたの?ご自宅は千葉県みたいだけど」
「浜松です」
「浜松からこの状態で来たの!?新幹線の中とかで具合悪くならなくてよかったね…」
「在来線で来ました……」
お医者様は唖然。世の中にはこんな人間もいるんだと知ってもらえたと同時に、こんな奴でも平等に医療を受けられる日本に感謝します。
そして20時20分、スマホに一件の通知が
スクールアイドルコネクトにアクセス!
そうだ……今日の分のギフトまだ投げてない
ご存知ない方に説明すると、要するにゲームの配信を見なければと体が脳に訴えかけてきました。
この状況でもまだリンクラを気にする余力がある自分に驚きでしたが、自分の容態よりFan Lvが気になったのと、ひめぎんを摂取してこの辛い状況を少しでも忘れようという魂胆がありました。
そうなのです。この日は2024年9月5日、ひめ×ぎんmeetsが配信された日でした。
そんなこんなで救急外来でWith×MEETSを視聴する異常患者が爆誕しました。一応スマホ使ってもOKとのことだったのでイヤホンで聞いてましたが、あまりの可愛さに心拍数が上がる上がる。ボルテージは上昇中⤴︎なんて可愛いものではなく心拍数は瞬間的に150に達しアラーム音を鳴り響かせます。150というと全速力で走った時ぐらいの心拍数ですが、これを寝ている体で叩き出してしまいました。かなりの動悸を感じつつ、自らの命を賭けたWith×MEETSが無事終了。すごく良かったです。
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と同時に家族が到着。顔面蒼白でアホ面を晒している私の前でもう一度丁寧に症状を説明してくださり、大事をとって入院を薦めてくださいました。
しかし早朝からの疲れにより今日ぐらいは家のベットで寝たかった私、お医者様に無理を言って自己責任のもとで帰宅することにしました。再三のご迷惑をお詫びすると同時に、日本の公共交通機関が充実していることに感謝しながら帰宅、そして就寝しました。
翌日、緊急処置用の薬ぐらい持っておこうと反省して内科を受診しました。無事にアナフィラキシーショックの薬をいただけましたが、今現在にいたるまで結局携行していません。それよりもインドカレーがトラウマになり、インドカレー屋の前を通ってあの独特な匂いを嗅ぐだけで背筋が凍るようになりました。インドカレー屋の前を避けて通るようになったほどです。
いかがでしたでしょうか?
この話は一見笑い話のようにも聞こえますが、そんな事はなく本当に危険な状態でした。自分の精神力の強さとたまたま運が良かったから死ななかっただけで、アナフィラキシーショックは死亡することもある危険な症状です。
この機会に食物アレルギー、アナフィラキシーショックの危険性を広く知ってもらい、少しでも皆さまの認知度が高まれば幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。この記事のような事が再び起こらないように気をつけていきます。