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【わたしの随筆#1】 たった一つの望み


1、愛があれば?

15円の駄菓子も、10円では買えないように、

いくらお子さんのことを大切に思って、愛していても、肉体的、精神的な余裕がなければ大切にすることも愛することもできなくなってしまいます。

周産期医療が発達して、出生時に命の助かるお子さんが増えたことは、本来、喜ぶべきことです。

しかし、あえて言うなら現在の医療の弱点は「その後の生活」には構造上、無関心、無関係であることにあります。

急性期を乗り越えた先に、両親、やはり特に母親への肉体的、精神的な負担は想像を絶するものがあります。

例えば、夜中に何度も泣いて起きる、手のかかるお子さんがいるとします。お母さんも寝不足になり、辛い日々が続きます。しかし、多くの場合、それはお子さんが成長していく過程の中の一時であり、永遠に続くと考えることはありません。健常児であれば、泣いても構ってもらえないと自分で学習して、放っておいても寝てしまうこともあるでしょう。

一方、様々な障がいや特性によって、睡眠、覚醒のリズムがうまくいかないお子さんもいます。夜中に寝ない、そして医療的ケアがあり目を離すことができない、つまりお子さんが起きているなら親も起きていなければならない、という生活が、お子さんが2歳になっても、3歳になっても続く場合、「この生活が一生続くのだろうか」と、気が滅入ってしまいます。

愛があればとか、母親だからとか、世間体とか精神論でどうにもならないこともあるのです。

医療も必要、治療も必要、養育義務とか人権とか、法律とかルールとか、正しさとか常識とか、そんなことは百も承知の上で、それでも、お母さんたちには「休息」が必要なのです。一人ですべてを背負える人間なんていません。

医療、福祉制度は糸が絡まったように複雑で、制限も多くあります。

だからできない、ではなく、どうすれば子どもたちと親にとって良い環境が作れるのか?をもっと考えていかないと、いくら鍼治療やマッサージ施術の重要性を伝えたところで、環境的に「それどころじゃない」ということになってしまう。

リハビリを頑張る前の、感覚の土台をつくるのが、鍼治療でありマッサージ施術だとすると、その土台のさらに基礎部分は、お母さんの気持ちの余裕であったり、そのための環境づくりであるといえます。

2、たった一つの望み

いち鍼灸マッサージ師が考えることではないのかもしれないけど、でも大事なこと。

障がい児を育てるママたちも、別に自分たちを優遇しろとか、お金を(必要以上に)くれとか、そういうこと言ってるんじゃなくて、

ただ、

「普通に暮らしたい」

って、

たったそれだけのことを実現するための困難が多すぎるから、だから頑張らざるを得ないのであって、誰かから何かを奪おうなんて1ミリも思ってないわけで、医療的ケアを好きでやってるわけではないし、そりゃ経管チューブだって、胃ろうだって、できるなら全部無くして口からご飯食べさせてあげたいし、気管切開や人工呼吸器だって、必要ないなら閉じてあげたいし外してあげたいんです。

愛があるならとか、母親なんだからとか、そういうこと言って全部押し付けるんじゃなくて、みんなが当たり前にやっている、「たった一つの望み」を叶えられる社会になるために、自分には何ができる?ということを、みんなで考えていく必要があるのではないかと思うのです。

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