見出し画像

【わたしの随筆#2】触れることの力


1、触覚の力

赤ちゃんは、目で見たもの耳で聞こえたものに、なぜ「触れよう」とするのでしようか。

それは、触れること以外で認知したものは「不確か」だからです。

目は、遥か宇宙から届く光の波長まで感知できます。
耳は、10km先の音の波長も感知できます。

しかし、その存在は曖昧で、不確実です。
見えている、聞こえていることと、そこに確かに存在するといことは、イコールではないのです。

視覚や聴覚とちがい、触覚は物理的な「接触」を必要とします。

触れることは、そこに確かに存在することが確認できる唯一の感覚です。

触れることで、自分の存在も、他人の存在も確かなものだと確認できます。

手の指、そして口唇の神経が、最も鋭敏で最も早く発達するため、赤ちゃんは手で掴んだものを、さらに口へと運び形、固さ、温度、ついでに味の経験を重ねていくのです。

お腹が空いて泣くときも、実は空腹よりも、口唇への触覚刺激を欲しているという研究結果もあります。

もしそれらの触覚刺激がなければ、前後上下もわからない暗闇で大海原に一人浮かべられているような不確かさの中で生きることになります。

だから、触れることで、存在を確かめるのです。

2、世界の認識

存在の確かさを実感できる「触覚」は、同時にこの世界の認識にも関わります。

愛情を持って触れられる経験を積めば、この世界は愛に溢れたものであると認識します。

触れられることが、ストレスや危害を加えられることになる経験を積めば、この世界は不安と恐怖に支配されたものであると認識します。

愛情を持って触れることは、まさに生の喜びを実感し、他者との信頼、絆という社会性を育む上で必要不可欠な「栄養素」です。

人は、3大栄養素(炭水化物、脂質、タンパク質)を摂取し、水と酸素を体内に取り込めば、短期的には生命を維持することができます。

しかし、それらをエネルギーに換える代謝を調節するホルモン(成長ホルモン)の働きが不十分であれば、代謝障害を引き起こすことになり、生命維持に関わります。

触れることによる触覚刺激は、そのホルモンの分泌を間接的に促します。

その影響は、相対的に赤ちゃんや子どもたちにとって大きなものですが、これは大人も同じです。

子どもたちや、大切な家族、パートナーには、たくさん触れてあげてほしいと思います。

3、触れない弊害

※この項は個人の見解で、学術的根拠はありませんのでご了承ください。

医療、公衆衛生が発達し、さらに感染症の蔓延などもあって、人と人とが「触れ合う」という機会が減少しました。

人と人は距離を取り、触れるとしても、マスク、防護服、手袋越しになりました。

近年は、ハラスメント等の問題もあり、良くも悪くも気軽に他人に触れることが社会的リスクにもなります。

コロナ禍のとき、僕は老人ホームへ訪問していました。

隔離や人との接触をなくした高齢者の多くは、明らかに認知症の症状や筋力低下、活動量の低下が急速に進行したように感じました。

例えば、コロナ禍に生まれた赤ちゃんや、多感な時期を過ごした子どもたちが、後に社会性に課題を抱えて、いわゆる広義の「発達障害」などの診断を受けることが増えたとしても、その因果関係の証明は難しいものの、高齢者の認知機能低下を目の当たりにした僕としては、全く無関係ではないように感じています。

特に多感な子どもたちにとっては、今こそ、失われた「触経験」を取り戻す必要があります。

4、愛は遺伝する

体格、顔立ち、声など身体的な特性は、父と母が持っているDNAの組み合わせで決まります。生まれながらに持ち合わせている特性です。

一方、生まれた後の育児経験は、育児してくれた人のやり方、つまり生まれ持った父と母の遺伝情報に関係なく、経験したことを継承します。

愛情を持って触れてもらった経験を積んだ子どもは、自分が親になったとき、同じように子どもに触れます。

逆も然りです。

虐待を受けて育った人が親になったとき、自分の子どもに同じように接してしまことがあります。(もちろんすべての人がそうではありませんが)

愛は、遺伝子に関係なく遺伝するのです。

5、触れ方を伝える

多くの人にとって、自分がどのように触れてもらっていたのか、そして子どもたちやパートナーにどのように触れれば良いのか、改めて考えることは少ないと思います。

でも、誰に、どのように、触れてもらったら心地よいのか、なぜこの人に触れてあげたいと思うのか、は、感覚が知っているはずです。

僕自身は、21歳からずっと(今年40歳)、触れることを仕事にしてきました。ずっとやってると、それはそれで、なぜ触れるのか?について考えることが少なくなります。慣れてきて作業的になるからです。

しかし、小児障がい児に携わるなかで、改めて「触れること」の重要さを実感したことで、

マッサージ師の仕事、という意識ではなく、もっと家庭や育児、生活の中で気軽に「触れる」機会が増えたら良いなと思いました。

しかし、ただ単に触れば良いものではなく、あくまで心地よい「快刺激」である必要があります。

闇雲に触れるより、ある程度の知識や技術があると、快刺激を与えやすくなります。

だからこそ、これからは長年のマッサージ師としての経験をいかし、その方法、触れ方をもっとたくさんの人に伝えていけたらと思っています。

どのような形で伝えていくのが良いのか、試行錯誤になると思いますが、一人でも多くの人に、愛のある触覚刺激の大切さが広がれば良いなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?