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えいちゃんってこんな人

遊びに来てくれてありがとうございます。ツイートではややメッセージ性を強く打ち出している(本当は下ネタも好き)けどもともとADHD特性を持っているので、やりたいと思い立ったら即行動していて、失敗するイメージをまるで持つことが出来ないため、経験の分たくさん失敗を重ねてきました。簡単に自己紹介!

えいちゃん、看護師になるまでの歴史

石材店(墓石屋)の次男として誕生。兄と妹がいる。寺とか墓とかで遊んで育つ。お得意先のお寺が運営する幼稚園に入園。ののさま(お釈迦)に毎朝感謝とご挨拶。ゆえにスピリチュアリティ少し高め。今でも付き合いのある親友と出会う。

公立小学校入学。かあちゃんが給食がうまいと評判の小学校を選んで片道2キロの越境通学。半袖短パンで6年間踏破!足腰が鍛えられる。勉強は苦手だったけど親の勧めで中学校私立受験失敗。行きたい学校が決まった12月から2か月死ぬほど勉強したので悔しくて泣く。

公立中学校入学。色々あってブラスバンド部とバレーボール部を掛け持ち。結局バレーボールは2年から人数ギリのためリベロとして全試合出場。中3の夏の東京都大会で準優勝、関東大会3位で全国大会ベスト16進出。最後の試合は地元のチーム、完全アウェイに圧倒されたまま負け。悔しくて泣く。

私立高校入学。バレーボールは推薦使わず全然関係ない高校へ。1月に行きたい学校が決まってから死ぬ気で勉強、そこだけ合格(偏差値45→65!)。バレーボール部に入部をして生涯の親友と出会う。高2になり先輩が引退後キャプテンを任命されたが軽いメニューを組んでも誰もついてこれず。考えた末自分だけが頑張れば良い水泳部に転部、生涯の友人とまたもや出会い完全燃焼でゴール!マラソン大会30キロ2時間1分で踏破、全学年1500人中12位表彰される。大学受験全滅。それほど悔しくなかった。

大学に行くことに全く魅力を感じずにいた時に親が高校担任に「あいつは大学なんか行かないで海外にでも行って見分を広げたほうが性にあってますよ」と勧められて海外(オーストラリア)に留学。生涯の友人と出会う。なりたいもの見つけたら帰ってくると盛大に見送られるが置いていった彼女と2か月で破局、親友と仲良くしていたみたいで泣く。その親友とは喧嘩して仲直りして今でも仲が良い。留学1年間で看護師になることを決意して帰国。看護学校受験前に全国ヒッチハイクの旅に出る。9月から必死に勉強、都立看護専門学校合格。

看護学校入学。やはり生涯の親友複数名と出会う。授業を聞かないでひたすら読書、感性を磨く。成績は常にビリながらも留年せずに何とか持ちこたえる。唯一楽しかった実習が精神科だったため精神病院に入職が内定。国家試験は100%落ちると先生たちからのもっぱらの噂だったがQ&Aカルタをせっせと作成してそれをみんなで遊ばせて覚えてたまたま山が当たって合格!看護師の道がスタート!

さて、読んでくれて感謝です。続きはまた後日。ツイートは読んだ人が今日から行動に移せば自分らしく楽に生きられるようになるメッセージを中心に発信しています。こちらのノートはざっくばらんに人生における面白かった出来事を不定期に発信していきたいと思っています。よかったら遊びに来てください。

今後ともよろしくお願いします!!


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