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東京C級観光局① 旧蛇窪信号場【若洲日記17】

東海道新幹線・JR線・東急大井町線が交差する旧蛇窪信号場。鉄道の要衝としての役割や歴史を詳しく解説し、見学ポイントも紹介する。


旧蛇窪信号場

基礎知識

 蛇窪へびくぼは、所在地周辺の旧地名。現在の品川区二葉ふたば四丁目付近を指す。江戸時代初期までは地域一帯を蛇窪と称し、正保年間の1644年に、一帯をさらに分けて上蛇窪村と下蛇窪村とした。

 地域は鎌倉時代に開かれたと伝えられており、現在の蛇窪神社を中心に、この地域が成立したとされている。昭和7 (1932) 年、現在の蛇窪神社の旧社名「神明社」にちなみ、地域が上神明町・下神明町と呼ばれるようになり、その後昭和16 (1941) 年に現町名に改名された。

 信号場は鉄道用語で、分岐器(ポイント)や信号があるが乗客や貨物の乗降がない場所を指す(乗客の乗降がある場合は駅になる)。信号場は、その場所で列車の往来を整理する必要がある場合に設置される。蛇窪信号場の場合は、2つの重要な貨物線の分岐点であることが主な設置理由と考えられる。

C級ポイント

  • 東海道新幹線・東急大井町線・JR線の3線が立体交差する構造の特殊性

  • 地平を通過する貨物線の歴史

歩き方

 下神明駅の改札を出て品鶴線住吉踏切に向かうと蛇窪信号場の全体を見ることができる。

写真1)品鶴線住吉踏切の東側から北方向を撮影

 写真1の中央に抜けていく線路がJR線。手前が西大井駅、奥にある分岐が旧蛇窪信号場である。現在も同じ目的で使用されているが、旧信号場としているのは、独立した設備ではなく大崎駅の一部として位置づけられているため。分岐を左に行くと品川駅方向で、横須賀線系統の列車がこのルートをたどる。正式には東海道本線の一部であるが、品川と鶴見を結ぶことから通称品鶴線ひんかくせんと呼ばれており、踏切の名称にもこの呼称が使われている。右に行くと大崎駅方向であり、この区間は通称山手線大崎支線と呼ばれている。一般的には湘南新宿ライン系統の列車が通過する。この2路線が蛇窪信号場で分岐・合流する。路線図上は西に湘南新宿ライン、東に横須賀線の線路が分岐するが実際は逆であり、大崎駅の南で横須賀線の線路が湘南新宿ラインの線路をまたぐ。

写真2)品川方面(左方向)に進む特急成田エクスプレス
写真3)大崎方面から西大井方面に向かう湘南新宿ライン快速列車

 別角度からも東海道新幹線と東急大井町線が交差する様子を見ることができる。

写真4)旧蛇窪信号場上で交差する東海道新幹線列車と東急大井町線電車

年表(Wikipedia参照、正確でない可能性あり)

  • 1927年:現在の東急(当時は目黒蒲田電鉄)大井町線が開業し、同時に下神明駅(当時は戸越駅)が開業

  • 1929年:東海道貨物線(品鶴線)の蛇窪信号場を含む区間が開業、信号場は未開設

  • 1934年:蛇窪信号場開設、この時点ですでに大井町線が蛇窪信号場をまたぐ構造になっている

  • 1936年:戸越駅が下神明駅に改称

  • 1954年:貨物専用であった当区間を通過し、大崎方面と西大井方面相互間を直通する旅客列車として、特急「あまぎ」が登場(現在の踊り子に相当)

  • 1962年:東海道新幹線が建設開始

  • 1964年:東海道新幹線が開業し、現在の構造が完成する

  • 1965年:蛇窪信号場廃止、大崎駅構内扱いになる

  • 1980年:現在の東海道線区間を走行していた横須賀線が品鶴線経由になり、普通列車が旧蛇窪信号場を通過するようになる

  • 1986年:西大井駅が開業

  • 2001年:湘南新宿ライン系統が誕生し、山手線大崎支線(通称)から品鶴線に入る普通列車が旧蛇窪信号場を通過するようになる

沿革(Wikipedia参照、正確でない可能性あり)

 明治42年時点の地図を見ると、下神明駅東側には田が広がっている。現在の戸越公園はかつての大名庭園であり、明治に入って「三井邸」となっているが、この存在以外は、東京郊外の典型的な農村地帯であったといってよいだろう。

図1)今昔マップon the webより(明治42年測図)

 品鶴線は東海道線のバイパスとして貨物列車を通過させるための路線として1929年に開業した。そのため東海道をそれたエリアを通過し、鶴見駅で合流するルートになっている。田畑が広がる蛇窪付近では地平に線路を敷設して通過することになった。旅客営業はなかったため、当初は途中駅が設けられなかった。品鶴線の開業から5年後の昭和4 (1929) 年、現在の位置に蛇窪信号場が開設される。同時期の地図では一帯がほぼ宅地化されており、新新幹線の開業までの信号場周辺の景観が固まった。

 昭和34 (1962) 年に東海道新幹線の建設がスタートする際には、用地の関係で品鶴線沿いのルートが選択され、現在の3層に鉄道路線が交差する景観が完成した。

 現在では貨物列車に加えて旅客列車3系統(横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄線直通列車)が通過する要衝となっており、地平を走る道路との交差部(踏切)は開かずの踏切と化している。現在も地平を通過している理由として、周囲の宅地化が進んだことに加え、大井町線と東海道新幹線の2つの路線が上を交差していることで、立体交差化の制約が大きいためと考えてよいだろう。周辺では東京都道420号鮫洲大山線の地下化工事や歩行者用陸橋の整備が進んでいる。陸橋の整備後には、その上から旧蛇窪信号場を見下ろす景観を楽しむことができそうだ。

写真5)建設中の東京都道420号鮫洲大山線アンダーパス
写真6)建設中の歩行者用陸橋

 旧蛇窪信号場の全景を臨める住吉踏切の横には、横断者に注意喚起する看板が複数設置されている。写真7を参照すると、その画像に用いられている車両は水色のラインカラーを巻いたE233系と、いわゆる「メルヘン顔」の205系のように見える。前者は京浜東北線用の車両として実在するが、後者に関しては存在しない(「メルヘン顔」の205系は京葉線・武蔵野線にのみ投入実績があるが、水色のラインカラーではなかった)車両である点も興味深い。

写真7)品鶴線住吉踏切の看板群

その他の周辺C級スポット

  • 旧品川用水

写真8)品川用水跡の記念看板

 区立豊葉の杜学園に挟まれた道路は、かつて旧品川用水であった。記念看板の記述によれば、周辺は江戸時代まで渇水の発生しやすい地域であり、干ばつの被害を受けていた。蛇窪神社の来歴にも湧水と雨乞いの歴史が記載されており、かつて水不足に苦しんだ地域であったことは確かである。幕府への嘆願が叶って用水の工事が開始され、2年後の寛文9 (1669)  年に工事が完了。玉川上水から分岐した用水が農業用水として機能し始めたことで、安定した水が得られる地域になったという。

旧蛇窪信号場へのアクセス

地理院地図により筆者作成

住所
東京都品川区西品川1丁目(旧蛇窪信号場)

品鶴線住吉踏切まで
東急大井町線下神明駅より徒歩3分

おすすめの観光方法
徒歩

こんな人におすすめ
層が好き

注意点
2025年1月現在、東京都道420号鮫洲大山線の車道用アンダーパスと歩道用陸橋が建設中。今後の工事の進捗により、周辺の道路状況が変更になる可能性あり。
・旧蛇窪信号場内は線路内のため立入禁止。通過する場合は、西大井←→品川間(横須賀線系統)と西大井←→大崎(湘南新宿ライン系統)の両路線に乗車することで通過できる。

参考資料

https://hebikubo.jp/

Wikipedia

東京C級観光局――東京の知られざる魅力を発掘・発信――

 東京C級観光局は、東京周辺 (Greater Tokyo) に広がる数多のスポットの中から、あえて「C級」と位置づけられる場所を掘り起こし、その魅力を紹介するシリーズです。ここで言う「C級」とは、以下の3つの視点から見つめ直した特別な観光地のカテゴリーです:

  1. Rank C
    東京の観光と言えば真っ先に思い浮かぶA級スポット(例:東京タワー、浅草寺)でもなく、知る人ぞ知るB級スポット(例:谷根千、下北沢)でもありません。地元の人でも目を向けないようなニッチでマニアックな場所やエリアを「C級」として再評価し、その奥深い価値をお届けします。

  2. Culture・Creative
    単なる観光地紹介にとどまらず、文化的・創造的な視点を持ち込み、地域の歴史や背景、人々の暮らしに根差したユニークなストーリーを掘り下げます。「普通・普段」の中に潜む美しさや意外性を見出し、新たな視野を提供します。

  3. Construction
    一見無骨で目立たない建築物や構造物に光を当てることも、東京C級観光局の使命のひとつ。都市の隅々に息づく構造物に注目し、それらの由来や形作る景観の魅力を深掘りします。

 東京C級観光局の使命は、忙しい日常の中で見落とされがちな「東京のもう一つの顔」を発見し、読者の皆さまに新しい発見の喜びをお届けすることです。本局は、東京という街が持つ意外性、懐の深さ、そして無限の可能性を共有します。

 次の週末、あなたの目に映る東京がほんの少し変わるきっかけとなることを願っています。

さあ、C級の旅へ……

 見慣れた街に新たな視点を加え、東京の知られざる魅力を一緒に探しに行きましょう!

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