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2410事件・令和的なもの――発車メロディ変更に寄せて――【若洲日記14】
――昨秋、ある小さくも大きな事件が首都圏で立て続けに起こった。平成年間を通して馴染み深くそこにあった音風景が次々と失われていくその事件は、2410事件として記録されることになる――
仰々しく書き出してみたはいいものの、いったいどれほどの人が関心を寄せているだろうか。JR東日本が列車・電車の発車時に鳴動させるメロディ(通称:発車メロディ)の切り替えが、主要駅を皮切りに一斉に進んでいることに。
詳細を発車メロディの楽譜の著作もある松澤氏のYouTube動画(2410事件という言葉はこちらの動画での命名をそのまま使用した)、及び発車メロディの各駅の変遷を追う次のようなウェブサイトを参考に調べてみると、事件は次のように進行し、2025年1月現在、まだ完全には収束していないと見られる。
2024年10月09日 横浜駅 全ホーム発車メロディ変更
2024年10月24日 新宿駅 全ホーム発車メロディ変更
2024年10月31日 東京駅 全ホーム発車メロディ変更
鉄道の音にまつわる関心を持つ人々にとっては、こうした主要駅の発車メロディ変更は少なからぬ衝撃を持って受けとめられたようだ。
……と他人事のように書いているが、実は筆者もかなりの衝撃を受けた側であり、その衝撃の大きさは自分でも想像以上だった。どんな点が、あるいはどんなバックグラウンドが衝撃の理由となっているのか、今回はそのあたりを書き連ねていこうと思う。
音風景の変化が与える想像以上の驚き
筆者が最初に事件を感知したのは東京駅。後から調べると、変更があってから2週間ほど後のことだった。降り立った山手線内回りの4番線のメロディがいつもと違っていた。通常であれば、ここでは「JR-SH3」という曲が流れる(どれだけ知られているか自信がないが、実は発車メロディには固有の番号や通称があり、基本的には同じ番線であればメロディは固定である)が、流れたのは聞いたことのないふわふわとした音楽だった。
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そしてその1週間ほど後、新宿駅でも同じ経験に遭遇する。埼京線3番線でいつも聞く「遠い青空」ではなく、同じようにふわふわとしたメロディを合図として出発したのだ。そして東京駅で感じたのと同等かそれ以上の強い違和感を覚えた。
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新しいものに違和感があるのは当然のことなので、新旧を比較し良し悪しで語れるものでもないが、聞いた当初の違和感は甚だしいものだった。筆者が東京に出るようになって以来変わっていなかったメロディであったし、変わることを想定しているものでもなかった。ずっとそうあるものとして――あるいはそうあるべきものとして――無意識的に捉えていたのである。変わってしまった事実とともに、自身が知らぬ間に育てていた刷り込みのようなものにも驚く。
刷り込み
生物学において刷り込みとは、次のように定義される学術用語である。
すりこみ【刷込み】
動物の生後のごく早い時期に起こる特殊化した学習の一つ
インプリンティング,刻印づけともいう.ガチョウのひなは,孵化後の短時間の間に親を認識する.このとき親がいなくて他の動物などに出会うと,それを追従するようになる.これは最初に出会う大きくて動く物体を親と認識し,大脳に”刷込む”からである.ひなが成長してもこの行動は変わらない.鳥類・哺乳類に例が多い.なお,サケが産卵のために母川に戻るのも,孵化後の川の水のにおいを刷込んだためと考えられている.ローレンツはこのように臨界時間の短い,その後の修正不能の学習能力を刷込みと呼んだ (1935).
記述で例示されている通り、鳥類の雛が生まれた直後に目にした動くものを親鳥として追従して育つような事例が特に有名だ。生前にそうプログラムされているがゆえに、どんなに理不尽であってもその前提に動かしがたく従ってしまうような融通の効かなさ。今回の2410事件の一連は、自分の日常の中にそうした刷り込み的なものが垣間見える瞬間でもあった。
そう刷り込まれるのには理由があった。原因は1枚のCDにある。
筆者の記憶は関東圏の郊外での生活に始まる。物心がついたときには乗り物への関心の強い子どもであり、その関心を失わないままある程度育った経験を持つ。幼少の頃は頻繁に東京に出ることはなかったから、親やテレビなどのさまざまな媒体を通して、東京の影響を受けている子ども時代であった。東京に在住している人と、東京を想像の中で組み立ててから東京に来る人の、ちょうど中間のような感じと言ったらいいだろうか。東京と地続きになっている感覚、同じ文化を共有している感覚もありつつ、詳しく知らないところは想像で補っていたような、キメラ的な状態である。
その媒体の一つとしてあった問題のCDは、首都圏の発車メロディ音源をまとめたもの。その1枚のサウンドトラックは新宿駅の発車メロディから始まっていた。つまりCDプレイヤーでランダム再生設定をしなければ、いつも新宿駅のメロディから再生していたことになる。また、そのCDの最後には「新宿STATION」と題されたオリジナルの楽曲が入っており、新宿駅のテーマ性を強く持つ音源だったわけだ。そして振り返れば幼少の頃に新宿を訪れた記憶はあまりないので(親としては大混雑の中を子どもを連れて歩くのは大変だったはずなので避けて賢明だと思う)、自分の東京像の中でも想像の強く働いていたエリアだった。当然、初めて現地で発車メロディを聞いたときには「おおっ」という感動というと大げさだが、それに似た感覚は少なからずあったのだ。
変化前と変化後の印象の違い
こうして強固に形成された刷り込みの反動として、東京駅及び新宿駅のメロディの変化をきっかけに2410事件を検知することになった筆者だが、変更前と変更後ではメロディの印象がかなり異なるように思う。
印象ベースの記述で恐縮だが、冒頭で述べた通り、どこかふわふわとした曲調に変わったものが多いような気がする。これはおそらく、以前多く使われていた鈴や鐘などの音が減ったことや、低音や高音の音が弱くなったことにより、拍子が不明確になったことに起因する。旧メロディで鐘の音が印象的な新宿駅2番線などでは特に、少し印象が淡くなったように思うが気のせいだろうか。
松澤氏のYouTube、また他の発車メロディ情報をまとめたサイトの情報によれば、前のメロディは20年前あるいはそれ以上前に採用された(そしてそれ以前に作られた)ものであるという。その頃の日本で起きていたことといえばバブル崩壊からの世紀末、音楽でちょうど流行に乗っていたアーティストを挙げるなら「SMAP」「ゆず」「スピッツ」あたりか。隔世の感があるが、その頃の曲調と言われたらそうかも知れない。ということは、変化後の音源が「令和的なもの、2020年代的なもの」として将来語られる日も来るのではなかろうか。
令和的なもの
新宿駅で新しい発車メロディが採用された2024(令和6)年は、新宿駅がまさに大変革の中にある年だった。西口にあった小田急百貨店本店の解体が完了し、坂倉準三が設計した西口広場の解体がいよいよ始まろうとする時期であり、西口にはポッカリとした空間が存在していた。これにより、西口のハルク(小田急系の商業施設)から東口のルミネが見渡せる状態になっていることも、ちょっとした話題になっていた。その前年には新宿歌舞伎町に歌舞伎町タワーと称する独特な高層ビルが竣工した一方、新宿アルタ営業終了の足音も近づいていた。JRの線路を改札外でくぐる自由通路以外の動線は頻繁に切り替わり、勘で歩くと意図しない場所に連れて行かれる感じが、ただでさえ迷路と言われる新宿の往来をさらに難しくしていた頃。
駅に限らず、新宿の混雑そのものに拍車がかかっていったのもこの頃。令和2年春に始まったコロナ禍からの復活が完全に済んでいるかは見解の分かれるところと思うが、少なくとも外国人観光客の波は押し寄せるばかり。どの歩道も人で溢れかえり、さまざまな言語が飛び交うさまは、いかにも「アジアの街角」である。歌舞伎町周辺の治安と行政の「戦い」はコロナ禍から継続しており、やや立ち寄り難いエリアになっていた。それとは対象的に、西新宿に行政・ビジネス街は屹立し、厳密に秩序化された世界がそこには広がっている。
そんな混沌とした新宿の実態と、拍子の強く響かない発車メロディの印象は、個人的には怖いくらい重なる。誰の主張も力を持たないものの、全体としてはバランスが取れており、明確ではないが一応ハーモニーを奏でている。ひょっとすると令和とは、まさにこういう時代のことを言うのかもしれない。「令和」は公式に和訳するなら “Beautiful Harmony” なのだそうだ。それがBeautifulなのかどうかは、まだ判断を保留しようと思う。
海進の迫る新宿構内の発車メロディふゆにふやけて
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