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週刊俳句上原・冬のまとめと振り返り
いつの時代からか季節行事としての存在感を高めている節分。暦の上は立春の前日にあたり、つまりは冬の最後の日である。冬の始まりは昨年の立冬(11月7日)。週数にして13週が冬。決して簡単ではない週に5句のコンスタントな発表を継続した上原ゑみの、冬の作品を振り返ってみよう。本稿では、若洲が週次の作品をまとめて鑑賞し、冬作品の振り返りを行っていく。
*内容上どうしても内部向けとなるため、ご留意いただいたうえで読み進めることを推奨する。俳句の解釈の方法や句作の方向性についても可能な限り触れるため、観点を活かしていただけたらこれ以上の喜びはない。
発表作品(第24巻46号~第25巻05号)
第24巻46号
銀盆は十一月の空である
ふんはり閉める梟の声を入れ
祥端手の大皿に濃きブロッコリ
猫足の椅子と冬薔薇そして遠出
版画ひよいと抱へてゆけり枯蓮
47号
向かうからこちらへ雲腸の小鉢
雲腸の窪みに溜まるポン酢かな
雲腸の中央探れどもがたつく
リモコンが裏向きにあり冬は壺
八手の花は割れし絵皿を継ぐために
48号
木の葉髪座卓の角を撫づるは癖
すうすうと菊人形の場所なりけり
冬の庭LOVOTに死の迫り来る
小刻みに踏むブレーキは綿虫は
狐火のあれは名作だと思ふ
49号
石蕗の花家に二階を足す工事
風邪悪化して藍に刺す白き糸
毛布の模様が体に悪さうで
風邪声の家族は春日部を目指し
外套のほかはひしやげたダンボール
50号
荷室から車室を覗く冬の雨
雪。襟も眼鏡も茶色の鞄も
毛皮のマリー門限の門閉まる
ひと晩に全て取り出す冬館
沢庵の狭き思ひ出ばかりかな
51号
日短か列車の椅子を逆向きに
大皿を持ち込む冬の泉かな
冬は行かない高窓の陽に褪せて
ストーブを囲み小枝をいぢつてをり
ストーブの管の貫く我が家かな
52号
煮凝を待つキッチンに鶏の爪
煮凝を風の先より取り戻す
煮凝に赤紫の紛れ込む
窓無くて煮凝ぎざぎざと崩す
煮凝の中に物体立ち上がる
53号
数へ日の床下に水溜まりをり
補助錠をがりがり外し花アロエ
冬休み銀のフォークを拭き進め
窓に霜伸びて絵本を丸暗記
両親のくつついてゐる霜夜かな
第25巻01号
元旦の人の体に風邪居ます
昏々と変な二日に目をひらく
病める日の蜜柑の筋を取り切れず
奥行を埋めて葉牡丹混ざり合ふ
リモコンが迷子二日の風強く
02号
箱にあり瞼の重き鮃二尾
フレッシュな海鼠といへど懐かざる
持つときの大虎河豚の穴に指
裸木に窓のぶつかる支線かな
金目鯛定食耳を近づける
03号
白鳥の傷ごと浸ける真水かな
冷凍の子鼠ほどけゆく寒月
目配せをせり冬眠の森を踏み
枯蓮のざらざらと鳴る電話口
がに股の兎よ遠くまで行ける
04号
足元を照らす雪原バスは去り
雪原の技能実習生ふたり
雪原は牧場の門押しひらく
雪原にちらばつてゐる鳥の足
家朽ちて狸の走り止まぬなり
05号
節分の朝のとろみのある食事
切干やなんか太さの違ふ箸
節分の窓に業者の脹ら脛
節分のビルより布をばつと取り
節分の夜の唇を塗り直し
振り返りの方法
世の中に振り返りの方法はたくさんあるが、ここでは「経験学習モデル」のフレームに則って進めていく(経験学習モデル自体は振り返りのフレームワークではない)。ざっくりと、発表作品を「経験」と捉えたときの「観察」と「概念化」を本稿で行うイメージだ。「実験」の方向性も提示できるとベストだが、そこまでできるか確証はない。なお「経験学習モデル」の詳細は以下のリンクから。
対象は立冬から立春の前日までに発表された合計65句。「観察」の項で、まず相対的に良い句とより良くなりそうな句を5句ずつ挙げ、全体を通してのコメントを加える。続いて「概念化」で、特に良かった句や特徴的な句についてその理由の分析や説明を行い、「実験(方向性の考察)」で次回以降の作品作りに活かせるなにがしかが加えられれば、と考えている。
観察
上位・下位5句
対象句の中から若洲が選ぶ上位5句と下位5句はこちら。
〈上位〉
版画ひよいと抱へてゆけり枯蓮
窓無くて煮凝ぎざぎざと崩す
節分のビルより布をばつと取り
荷室から車室を覗く冬の雨
ひと晩に全て取り出す冬館
〈下位〉
毛布の模様が体に悪さうで
病める日の蜜柑の筋を取り切れず
日短か列車の椅子を逆向きに
すうすうと菊人形の場所なりけり
元旦の人の体に風邪居ます
総評
46号では秋の句群の特徴であった焦点の絞り込み、細かいものにスポットライトを当てる視点が全体として継続しており、特に47号ではその視点が雲腸に向けられている。感情や独断に支えられた48号から50号を経て、一般性を意識した51号で揺り戻しを迎える。52号以降は作者独自の解釈を描写から立ち上がらせる抑制的な表現が増加し、02号以降ところどころで笑いを意識した句で力を抜きつつも、一般的でない風景を静かに語る03号、04号などでは作者の姿勢を感じられる句群に仕上がっている。5句のうち3句以上が同じ季語で構成された号が4つに上っており、季語研究的な姿勢が強まっている点も、秋との顕著な違いと言えよう。
概念化
動詞の役割
標準的な俳句では、17音という限られた音数のみ使用することが許されている。多くの俳人はこの範囲に最大限の情報を詰め込み、読者に情報が伝わるように努力している。対象物を観察し、自らの解釈を踏まえて表現に落とし込む過程の中で、特に人による差が現れやすいのが後半の表現の部分であり、逆に言えば解釈から差分を生める俳人は、ごく一握りであるといっていいだろう。上原は中でも解釈の部分にも特徴を有する俳人であるが、今回はあえて、表現の部分に注目してみることにする。
少ない情報量で物事を伝えようとすると、自然に俳句の中に載ってくる単語の種類(品詞)は限られてくる。学校教育で教えられる日本語文法の品詞は、以下にまとめられる。
自立語:名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞
付属語:助詞・助動詞
日常会話では、形容詞や形容動詞、副詞のような、主に修飾語として用いられる語の役割は大きい。一方俳句の中になると、語数が17音にとどまることから、豊かに抽象的な修飾語を使うことは避けられ、基本的な描写の要素となる名詞や動詞、そしてそれらをつなぐ助詞や助動詞の選択に重きが置かれる。修飾語としての形容詞・副詞等の重要性も高いが、そこで音数を使いすぎてしまうと、基本的な描写を圧迫してしまうのである。
冬の上原作品の中では、特に動詞の使われ方に以前との違いを見出すことができる。今回は動詞に焦点を当てて句を見ていくことにしたい。
主体性
上位に選出した句を前回の句と見比べてみると、この項目のタイトルの意味がわかるかも知れない。
前回の上位5句
蛙穴に入る銀色の輪がひらく
井戸の底より仰ぎ見るカシオペア
鉈入るる白舞茸の広さかな
十月のナイフを挿せるドアの裏
ふらんふらんさふらんいろのふゆじたく
今回の上位5句
版画ひよいと抱へてゆけり枯蓮
窓無くて煮凝ぎざぎざと崩す
節分のビルより布をばつと取り
荷室から車室を覗く冬の雨
ひと晩に全て取り出す冬館
明らかに主語が「自分・作者」の句が、今回の上位5句中4句含まれている。それぞれ選出外の句も含めるとバランスは不明だが、少なくとも、前回よりはこの性質の句が上位に食い込んでいることは間違いないだろう。
この理由は頻出する動詞の性質によるものであり、それによって作者の見ている=描写したい風景が明らかになっている句が次だ。
荷室から車室を覗く冬の雨
車のトランクを開け、そこから荷物を出し入れしているのだろう。がらんとしたトランクの空間の奥には、誰も乗っていない車室が見え、その奥には運転席・助手席、フロントガラスがある。汚れのせいか温度差のせいかわからないが若干視界の悪いその先では雨が降っている。そしてトランクを開けて荷物を出し入れしている自分も、その雨を浴びている。このような作者の見ている世界とその認識を、覗くという動詞の選択が伝えている。
通常俳句は視覚に関する情報を元に作られることが多いため、「見る」や「見える」という動詞の選択は歓迎されないこともある。今回描写している動作も「見る」に類するものであるが、「覗く」を選択したことによって水平方向に延びる空間の奥行きが強調されている。また、覗く行為には、よく見えないものを凝視するニュアンスが含まれるため、上の解釈で記載したような視界の悪さも伝達することに成功した。解像度の低い視界の理由は複数考えられるが、冬の雨という季語とその時期から納得できることは多くある。
前回の句群にも主体的に述べることは可能なシチュエーションは含まれていたが、そのような詠み方ではなかった。今回の句群には選択している動詞が筆者の行動を表すものが先程述べた通り4句あり、これは動詞を通じた描写に対する上原の関心が高まっているためと考えられる。
全能化
節分のビルより布をばつと取り
動詞を自分の行動基準で用いることによって、作者以外による行動を作者の行動として描写したり、作者の認識の中で圧縮された時間を表現できることもある。自在に時間や主体を操り、プラスの意味で全能化しているようにも読み取れる。
動詞「取る」は、通常「AがBを取る」の形で用いる他動詞である。うち「Aが」の部分がない場合、俳句においては作者自身の行為として理解することが多い。Bの部分に入るものとしては、作者が物理的に、権利上取得できるものがほとんどである(塩・ペン・チケットなど)。
このような前提があるために、本項最初の俳句の表現には違和感が生じる。おそらく布は工事の際に使われる防音シートか、ブルーシートのようなものであろう。ばっとそれを取れば、新しい建物や外壁、あるいは解体された建物の跡地が見えるのが順当な期待だが、「ビル」という表現があることから、おそらく新築のビルが現れるのだろう。
布に覆われていた建物が露わになり、そこに新しい人々の流れが生まれることになる。種明かしのようではあるが、その新しい日常へコマを進める感覚が節分の季節感と合致しているのだ。
この読みを踏まえて「取る」を理解し直せば、ビルにかけられた布を自ら取るという工事現場の作業者以外は不可能な主観的解釈を通して、後続する春という季節を自ら進めるような意識を垣間見ることができる。表現の中には詩的な要素は少ないが、意味内容を解釈すればそこには俳人としての独自の世界の認識と、その世界をドライブする感覚が存在するのだ。
実験(方向性の提案)
ここで、前回の振り返りでも扱った、作品が生まれるまでの過程概略を再掲しておく。
風景・実物の観察→風景・実物の解釈→風景・実物の表現
「解釈」は2段階目、「表現」は3段階目に当たる。そのうち3段階目の表現形成過程において、動詞に焦点を当てることで、自らを中心に表現の模索を続けていく方向性も良いが、表現以前の解釈の工夫も引き続き伸ばしていくことも、上原作品の重層性のために必要となるだろう。今回の句群から解釈をテーマにした句を2つ掲げる。
ストーブの管の貫く我が家かな
毛布の模様が体に悪さうで
1つ目の句に関しては、一定程度解釈の独自性があると思われる。北国の一軒家で見られるような家をテーマとしつつ、主役に登らない家の構成要素であるストーブの管を中央に据えた解釈は興味深い。句の中心に据えるものを切り替えるのは一つの手段となりえそうだ。2つ目の句は解釈自体はやや平凡に思われるほか、表現の順当な点も見られる。
これらを踏まえると、次のような対応が適切ではなかろうか。
独自の解釈を意識的に蓄積すること
解釈をうまく表現に落とし込む方法を開発すること
1. 独自解釈の意識的蓄積
余談だが、現代を生きる俳人の多くは「表現」の向上に意欲的に取り組んでいる。独自の表現を手に入れるべく、文語体だけでなく口語体での作句に
取り組む俳人も増えてきている。ありふれた風景、俳句の題材となり尽くした風景であっても、描写・表現の新しさによって、読者に新たな印象を与えることができるのは確かである。
一方の「解釈」に関しては、あまり着目されていない節がある。これは意図的に開発するのが難しいこともあってのことであろうし、表現の中に溶けてしまうことも多いためだろう。
だからこそ、自らの句の特徴(用語としては眼目ともいう)を認識する際に、それが解釈に起因するのか、表現に起因するのかを自ら見極め、解釈の特筆すべき点を意識的に言語化して保管しておくことが、今後の俳句の重層性を担保するために必須の基本動作になるように思われる。多くの俳人では、気を抜くと「表現」の工夫に終止した作句を継続してしまうため、解釈上の独自性がいかほどであるかを厳しくジャッジし続ける緊張感を保つ必要がある。
2. 解釈の表現
作った句の解釈が眼目として機能していた場合に、解釈の面白みを表現が十分伝達可能な状態になっているかどうかについても、意識的でなければならない。
例えば〈毛布の模様が体に悪さうで〉では、やや年季の入った毛布を作者が見ているさまを思う。トレンドアウトした柄・色使いには、時間が経ってみるとかなり冷めた感想を抱くものだ。ここまでの感想が相当程度一般的に共有可能であるという点に基づいて解釈がやや平凡と先ほど述べたが、今回述べたいのは解釈ではなく表現の方である。
もちろん、上記のような解釈が「体に悪そう」という表現に帰着することには高い水準で納得できる。だからこそ逆に言えば、高い水準の納得感の醸成で、このフレーズの役割は完了してしまっていないだろうか。
「毒を持っている感じ」「血色の悪い色味」など(あくまで一例で、いい句になるかは別の問題だが)、体に悪影響を及ぼしそうな感じを表現する方法は他にもある。その中で「体に悪そう」という直接的な表現を用いることが最も適切だったか、その確認はしてもよいだろう。確認したうえで妥当であればそのままの句で問題なく、妥当でないのであれば、推敲を重ねる必要がある。この過程を繰り返すことによって、より適した表現の開発が可能になるだろう。
まとめ
以上、週間俳句上原の冬の句について振り返りを行った。文章中にあったように体調の悪い時期もあったが、毎週5句の発表を継続したことで、特に表現の部分の大きな変化が見られた冬となったと思われる。伸ばしていく部分が他にあることも意識しつつ、引き続き句作を継続していただきたい。春の毎週の発表内容にも、ぜひともご期待いただきたい。