
〈クリスマス〉ってどんな季語?【若洲日記10】
現代の俳句と季節感は切っても切れない関係性ですが、若洲日記では、割と季節感を無視して好き勝手に書いてきています。清少納言『枕草子』のすさまじきもの(興ざめするもの)という文章では、春の網代や仲春以降の梅柄の着物などを題材にして、時期が過ぎたものを興ざめする対象として扱っていることも脳裏にあり、できるだけ後の時期の内容にはならないように気をつけてはいるのですが、「まさにタイムリー!」みたいな文章を意識的に書いたことはありませんでした。
……というわけで今回はそれを狙ってあえて書いてみることにしました。クリスマスイブ公開ということで、「ゑひの歳時記」のノリで、季語としての「クリスマス」に迫ってみることにします。
季語としてのクリスマス
すっかり日本文化の一つとして定着した感のあるクリスマス。Googleカレンダーの「日本の休日」の中にクリスマスがしれっと入っていても、あまり違和感がないレベルです。同様に祝日でないのに入っている七五三の方が、日本の文化であるにも関わらず浮いている気さえ、個人的にはしました。
季語「クリスマス」の成立
意外に思われるかもしれませんが、クリスマスはれっきとした冬の季語として認められています。日本発祥のものでなくても、季語として使うことができる、その代表例とも言える存在です。では、いつから季語として使われているのでしょうか?
ネットで調べてみると、季語としてのクリスマスを初めて用いたのが正岡子規であるという説が出てきました(リンク)。ただし、俳句系のウェブメディアをはじめ、この他のサイトで上記の事実を裏付けることはできませんでした。野球を広めるなど、子規は欧米文化を積極的に取り入れた人物ではありますが、この説を信じるのは保留しておくことにします。
とはいえもともと日本文化でない以上、どこかで誰かが「クリスマス」を季語として用い始めた時点が存在することは確かです。東京でのクリスマス商戦の始まりが明治30年代ということなので、おそらく季語として初めて使われたのもこの頃でしょう。
最初期のクリスマスの俳句には、キリスト教の祭事(言い方が正しいか自信がありませんが)に題材を拾ったものが多いと言えます。クリスマス・ミサやクリスマス礼拝の様子を描く俳句や、聖母やイエスを取り上げた句がその代表ということになります。今や熱心な信者でない限り神聖なクリスマスを感じることはできませんが、季語としての出発点は、宗教行事・祭事としての扱いから始まりました。この頃の季語の「本意」は、行事としての重みや宗教性にあったといえるでしょう。

そこから時代が下るに連れて、クリスマスのありようはどんどんラフになっていきます。小売店の年中行事の中にしっかり組み込まれ、季語としてもその宗教性を失っていく運命をたどります。
屑籠に金の紙切れクリスマス 岡崎光魚
クリスマスツリー地階へ運び入れ 中村汀女
子へ贈る本がタンスに聖夜待つ 大島民郎
インターネットや歳時記から拾ってきた俳句の多くを見ると、俳句に馴染みのない方でも、比較的理解しやすいものが並んでいるように思います。もしそうだとしたら、おそらく上の多くの句が、クリスマスの「あるあるネタ」を題材として作られているためです。実際、句会で出てくるのも大方がこのような調子です。
季語としてのクリスマスが辿った経過はざっとこんな感じですが、これだけでは現在のクリスマス俳句を理解するためには把握が雑です。ここからは少し字数を割いて、クリスマスの俳句をグルーピングしてみることにします。
クリスマスの俳句の類型化
宗教行事重視系俳句
蠟涙の一すぢならず聖夜ミサ 木内怜子
降誕祭讃へて神を二人称 津田清子
こちらは、明治時代宗教行事としての重みを重視した作句に努めているパターンで、当初の「本意」に最も近いといえます。作る本人がキリスト教徒でなくても、場合によっては教会に行きミサや礼拝を見ていなくても、祈りに使う道具や建築が頭に入っていれば、器用な俳人ならある程度の精度で説得力のある一句に仕立てることができるかもしれません。
個人的には、この作り方の難しいところは、なかなか突き抜けていい俳句になりにくいところだと思います。句をそれなりの形に仕立てることが仮にできたとしても、単純な描写からミサや礼拝の風景やクリスマスの荘厳さを呼び起こすのは相当な技量を必要とします。写生を目指し風景を描写することはできても、そこから立ち上がらせる雰囲気や気配を宗教の重みの側に設定するのは難しく、仮に雰囲気設定までできたとしても、敬虔なキリスト教徒から世俗のクリスマスしか知らない層までの幅広い読者に対して深く共感を与える句にするのは至難の業です。そもそも俳句よりも圧倒的に長い文化的バックグラウンドを持つものを俳句の題材にするのは、非常にハードルの高い挑戦なのです。
先述した挑戦に対して敬意を評しつつ……、私自身は作ったことがない系統ですが読み手としては好きな部類に入ります。読み心地がよいので、いつか宗教行事としてのクリスマスにちゃんと向き合って作りたいものです。
ここにもクリスマス系俳句
大阪に出て得心すクリスマス 右城墓石
聖樹より少し離れて人を待つ 鷹羽狩行
あれを買ひこれを買ひクリスマスケーキ買ふ 三村純也
次によくあるのが、先程の「あるあるネタ」の中核をなす句群です。主の季語を強い関連性を持つ季語を傍題といいますが、クリスマスの傍題である「クリスマス・ツリー(聖樹)」や「サンタクロース」などを取り上げて、それらをどこそこで見たというような形態を取ることもあります。
これは俳人が日常的に行っている「客観写生」との親和性も高く、また俳句を作るきっかけも明らかなので、作りやすく読んで意味を理解しやすい特徴があります。クリスマスの句を量産するときは、経験をベースとしてこの作り方で作るのがもっとも作りやすいでしょう。
ただし俳人がこの手の作り方に凝り始めると、どうも同じような俳句が出力されがちです。具体的には「ここで私はクリスマスを感じました」「こんなところにもクリスマスの影響があります」の報告の形に落ち着き、その発見の独自性で勝負に出るような俳句に収斂していくように思えるのです。
それもそのはず、誰にでも詠めるものや感性を句にしていては、俳人コミュニティ内での差別化ができません。結果、写生の姿勢で詠まれるもの自体の意外性を強調する作り方を試みるわけですが、詠まれるものの量には限度があるので、読み手サイドから考えてみると「似たようなものがたくさんある」と感じる、いわば「レアなあるある飽和状態」になります。こうなると自分がいくら面白いと思ったシーンを描写しても、この構造上どこか「既視感」のある俳句として受けとめられ、評価を受けにくくなってしまいます。
馴染みある手法で作っていくと、最終的には取り上げるシーンやものにこらなければ勝負できなくなる。漫才のあるあるネタの世界は時代が変わるとネタの題材も更新されますが、季語が固定の俳句の世界ではそうは行かず、あるあるの先には果てしのないレッドオーシャンが広がっています。
恋愛・男女関係系俳句
聖しこの夜人の世に人愛し 向田貴子
恋敵先に来ている聖夜かな 鈴木正夫
クリスマスはいつから恋人同士の行事になったのでしょうか。詳細は調査しておりませんが、早くても戦後、盛り上がるようになったのは1970年代以降のような気がします。この新しいクリスマスのありようを「本意」と捉えて句にすることも、もちろんできます。ただ、この系統の名句はあまり多くありません。おそらく主な理由は3つほどあり、時代が比較的浅いから、このテーマに積極的に取り組む俳人が少ないから、卓越した表現を得られる可能性が極めて低いから、とまとめることができるでしょう。
時代が浅いというのは、段落冒頭で述べた通り、恋人同士でクリスマスを過ごす文化自体の短さのことですが、残りの2つは、俳句に関してもう少し補足を加えてから理解につなげるべきかもしれません。
現在、俳句が何によって他の詩の形と区別されているかを踏まえて考えてみましょう。俳句の特徴としてよく挙げられるのは「季語」「5・7・5の韻律」「切れ」ですが、こうした形式的なルール以外に、概念として重視されているものがあります。それが度々登場する「客観写生」という概念で、一大俳人である高浜虚子が提唱して以来、現在でも俳句のクオリティを判断するうえで基準とされやすいものです。客観写生を雑にまとめるなら、「主観を述べる余地は(形式上17音の中に)ほぼないので、客観的叙述によって意味内容を表現し、主観は結果的に立ち現れるものとして扱うべきであるとする考え方」です。この時点で、恋愛や男女関係などのテーマが、主に心情の世界で物語が展開する点で俳句とあまり親和的でないような気がするかもしれません。実際そうで、客観写生の尊重が、恋愛や男女関係をテーマに取り組む俳人の少なさの理由と考えます。
もちろん恋愛や男女関係を俳句で取り扱うことは、技術的には可能です。しかしその実現には、通常の俳句以上の高い技術が求められることになります。なぜなら、短詩をはじめ文芸、さらには他の芸術分野でもテーマとして据えられた結果すでに多くの試みが実行され尽くしており、独自の表現を獲得しにくいからです。
俳句と近いところで言えば短歌。万葉集にも恋の歌は多数収録されていますし、有名どころの百人一首では、100首のうち半数近くの43首が恋の歌です。「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」など有名な恋の歌をご存知の方もいらっしゃるでしょう。複雑な恋模様を扱う文学作品なら明治期の文豪の小説を紐解けば山ほどありますし、もしかすると日本神話もその中に含まれるかもしれません。当然近代以降の絵画、映画、音楽などを挙げだせばキリがありません。そのような中で俳句が独自の手法で恋愛や男女関係を描写することは、広く芸術世界を見渡したときに、少ない文字数で立ち向かう時点で圧倒的に不利な戦いなのです。「恋の句」に挑戦しその名句を作る努力に興味は湧いても、実際に踏み出して実践してものにできる確率は非常に低い。文字数や季語の存在など複数の要因が絡みますが、俳句において敢えて恋愛を詠んだとしても、さまざまな芸術の中で見たときに抜群の表現が生まれる可能性は極めて低くなります。
以上、あくまで一般論として恋愛や男女関係を扱った俳句の難しさを並べました。とはいえ私自身も努力したいと感じる方向性ではあるので、まったく不可能と決めつけるわけではありませんし、愛や恋の方面が創作者として避けて通れないテーマであることも事実です。クリスマスでも何らか作ってみた暁には、こちらで発表することにします。
クリスマス俳句の革新
ここまでで、クリスマス俳句を3つに大別して説明してきたわけですが、この類型に当てはまらない、あるいは新たな類型の展開を可能としたといえる俳句が存在します。いわばクリスマス俳句を革新した存在です。
不死男が抱いたクリスマスへの違和感
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
クリスマスのきらびやかな街角を背に、中華屋か屋台か大衆的な飲み屋か、そのようなところでワンタンをすすっている作者。口をもぐもぐ動かすと、へろへろと揺れながら口の中に入っていくワンタンの皮。その自分の姿を遠巻きに客観的に描くことで、クリスマスにもかかわらず安っぽい1日を過ごす自分自身を、自嘲的に描写していると理解できるでしょう。
大前提として、クリスマスを特別な日として過ごすかどうかは人によって違うはずです。宗教行事として重要であれば日程変更は不可能ですが、世俗化したクリスマスであればその日にこだわることもありません。もっと言えば普通の平日に過ぎないわけで、きらきらさせる道理も別にないわけです。この句は、世間はなんだかお祭りムードだけど自分には関係ない、という冷静な作者の観察のようにも見えます。更に深読みすれば、何かと理由をつけてイベント化する商業的な打算への違和感や抵抗として解釈することも可能でしょう。
平成中期に「クリボッチ」という言葉が現れて、嘲笑ないし自嘲の意味で広まりましたが、掲句にはそのようなニュアンスもあると言えるでしょう。不死男の表現は、クリスマスをきらびやかに扱う風潮の中で一歩引いた目線を提供していた点で、時代を先取りしています。

現在、自嘲系クリスマス俳句も一定数存在しますが、その祖となったのが不死男の句であることは、俳句界の共通認識であるように思います。
杏太郎の師走のクリスマス
東京を歩いてメリークリスマス 今井杏太郎
「東京」「を」「歩い」「て」「メリークリスマス」――語数わずか5で構成された俳句です。シンプルな作りですが、この句はどのように解釈できるでしょうか……?
この句、おそらく人によってかなり実感が分かれると思います。山手線内でクリスマスの夜を過ごしたことのある方、都内にお住まいの方でも、微妙に違う風景を思い浮かべるかもしれません。なぜなら、見ている立場や風景が鑑賞者によって少しずつ違うからです。鑑賞の仕方が全員同じはずがないのは当然ですが、これほど経験やバックグラウンドが鑑賞に大きく影響する句も珍しいかもしれません。
見たことのある東京のクリスマスはどんな風景でしたか? そしてどのようにそれを見たでしょうか。車で通りかかることも、電車の窓から眺めることも、地下鉄でそれらを巡ることもあるでしょう。しかしこの句の中では、東京を「歩いて」というところに、感慨が詰まっているのです。
クリスマスの都内の風景は、どこも同じようでいて少しずつ違います。位置の違い、地形の違い、集まる人の違い、影響力のある企業の違いなど、複数の要素が重なり、それぞれの独特の風情を醸し出します。
大手町・丸の内から有楽町へゆったり歩ける並木道のイルミネーション。更に南へ抜けて日比谷に向かえば、劇場や公園、高くそびえるホテルの明かりがこれに加わります。東へゆけば銀座の大通りの年の瀬の風景。能や歌舞伎の興行帰りや買い物客の中には、和の装いの人も見つかるかもしれません。日比谷から南へゆけば賑やかな忘年会シーズンの新橋・大門に、霞が関を抜けて東へ少しゆけば、オフィス街虎ノ門の静かな夜にたどり着きます。虎ノ門からさらに歩を進めると赤坂、そして六本木。六本木でも麻布台方面と乃木坂方面では風情が異なります。首都高の下を渋谷方面に向かえば、1時間足らずで渋谷のビル群。人通りの忙しない街に広告とオフィスビルのカラルな照明が一層映えるクリスマスの繁華街です。そしてキャットストリートを北に進むと表参道。高級店のショーウィンドウに街路樹のイルミネーションが輝きます。明治通りから北参道・代々木を抜ける頃には、新宿サザンタワーが目前に迫ります。新宿もまた新宿駅東口・三丁目・西新宿・歌舞伎町では全く違うクリスマスの姿を見せます。

東京と言えどもその中に違う街があり、それらの違いは歩くことで強く感じられます。その中には商業的なクリスマスもあれば、神聖なクリスマスもあり、賑やかなクリスマスもあれば、静かなクリスマスもある。全く違う風景を、作者は歩いて巡ることで再認識し、その全てに呼びかけるように「メリークリスマス」と言い添えています。この述べ方からは、新年が幸福な1年であることへの期待、そして祈りの心情さえうかがえます。言うなれば、先に示した類型が各論として東京の風景の中に存在していることを前提として、その全てに良いクリスマス、良い新年であることを願っているのです。
クリスマスの本意:未来への多様な祈りの包摂
秋元不死男のクリスマスへの違和感、今井杏太郎の俯瞰的なクリスマスの観察の視点を鑑みると、季語クリスマスは、先に挙げた3つの類型以上の広がりをポテンシャルとして持っていることがわかります。筆者なりに言語化を試みるなら、「未来への多様な祈りの包摂」となります。

一般的に、クリスマスはイエス・キリストの誕生日を由来とすると理解されていますが、実際の誕生日は(確認のしようがなく)不明です。12月25日をクリスマスとなった背景に、日が最も短く夜が最も長い冬至の日とし、イエスの誕生以降、より明るい世になってゆくような印象と重なったことがあると、耳にしたことがあります。現実の日付がどうあれ、宗教的価値観と太陽周期の重なりがあったことで、信仰の説得力も増したことでしょう。このことからクリスマスには、信者としての神への祈りと複層的に、新しく「明ける年」、いうなれば未来への深い祈りの存在を読み取ることができます。古代中国でも冬至を指して「一陽来復(陽の気がまた戻って来る)」と表現しており、全人類共通の感覚とまでは言えないまでも、冬至周辺の東西の祈りの習慣には、通づるものがあると言えるでしょう。
また、冬至や一陽来復といった言葉も季語として扱われますが、クリスマスはそれ以上に多様な場面を受けとめうる季語と言って差し支えないでしょう。その理由はこれらを対比的に考えるとわかります。
冬至といえばまず何が思い浮かぶでしょうか。柚子湯の習慣や「ん」のつく食べ物で験を担ぐ習わしなどがあり、生活行事として想像されることが多いように思います。いわば土着的な行事です。おそらくこれを理由として、俳句でも日常や自然の何気ない風景を冬至らしく切り取り、表現することが主です。
行く水のゆくにまかせて冬至かな 鳳朗
寮生の長湯は誰ぞ冬至の夜 野中亮介
一方、先述の通りクリスマスが大衆に浸透していくのは明治以降であり、現在は宗教行事としてのクリスマスの意味合いはかなり薄れています。いわばそれぞれがクリスマスを自由に解釈し、行動に落とし込んでいる状態です。また、そもそもキリスト教圏でのクリスマス前後の過ごし方も、国や民族、宗派によって多様であり、一定ではありません。日本人から見たらいずれも正統的な形態であるにもかかわらず、その中にさまざまな流儀が存在するクリスマスという行事だからこそ、日本人も自由に楽しむことが赦され、また季語としては複雑な祈りのありようを包摂できるように思います。
〈へろへろとワンタンすするクリスマス〉が、自虐的な立場を貫いていながら、救いのない諦めや希望のない世界にいるようには思われないのは、こうした理由からでしょう。もう少しでやってくる新年の存在を意識し、今年より前向きな自分や世界を仮定するからこそ、読み口の軽い俳句に仕上げることができたように感じます。もしこの句の季語がクリスマスでなかったら、ひもじいだけの「ただ事俳句」になっていた可能性が高いです。
また、多様な祈りの包摂の実現の仕方として〈東京を歩いてメリークリスマス〉の作り、すなわち東京のクリスマスの風景をオーバーラップさせた読みぶりは、さらにメタ的な意味を持ちます。このような見せ方、またはその解釈できる理由には、「ゆく年くる年」のイメージの共有が前提されるように思えるためです。全国各所の年越しの瞬間を切り取るNHKのこの番組では、新年を迎える人それぞれの心境・街それぞれの風景を並列的に取り上げます。これと同じように、掲句ではクリスマスの風景を通してより幅広い人々の年の瀬の姿を描き、祝福ないし祈りを捧げようとしているように筆者には感じられます。
どんな祈りも受けとめてくれるクリスマスという季語で、あなたは何を詠みますか?
それではみなさま、メリークリスマス。
