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発熱のスリランカ、ヒッカドゥワで叫ぶ。医療費や如何に - 一人旅スリランカ / ヒッカドゥワ
某日、スリランカはヒッカドゥワでの話。
ヒッカドゥワへの移動前、カタラガマで40度越えの熱を出し、地域医療センターに駆け込んだ私についてのお話はここ。
バスで4時間。カタラガマからヒッカドゥワへ
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医療費無料に涙を浮かべながら数日間の休養を経て体調をなんとなく引き戻し、次の目的地、ヒッカドゥワへ。
3ヶ月近くになっていたスリランカでの旅もそろそろ終えて次の国に向かいたかったため、少しでもコロンボにじり寄っていきたかったのだ。
少しと書いたが、距離もまあまああって、バスに揺られること4時間。
バスの中はギュウギュウ。
でも座れたし(座らせてもらったし)、ほぼ居眠りしいていたはいえ海沿いを走っているから景色も楽しめて良かった。
宿はすでに取ってあったので早速向かい、荷を下ろす。
宿のお父さんお母さんも優しくて、庭には猫がいた。かわいい。
再びの体調不良。そしてマジギレ
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さて、近所の店で軽い朝食をとり、戻る道すがら…暑い。
いや、熱い。死ぬほど熱いのだ。
部屋に戻って測ってみると再び熱が上がっているではないか。
「ば、バスに長いこと乗ってたからかな。休憩しよう」
とベッドに横たわるも、熱い。
さらに、暑い。
そう私は、扇風機だけの部屋を予約していたのだった。
なぜだ。
わからぬ。
熱い、暑い。しんどい。
寝ているのにはあはあと息切れまでしてきた。
「…これはやばい」
そう思ったわたしは、病院へ…ではなく、宿を変えることにした。
近くで、安全そうで、クーラーがついていて、ゆっくり休めそうな宿を速攻でみつくろった。
お父さんとお母さんに、実はカタラガマにいた時に熱を出していたことと宿を変えたいと伝えた。
当日分はお金を支払い、残り数日予約してあった分はキャンセルさせてくれた。
このやりとりをするだけでも涙が出るほどつらかった。
そしてお父さんに、次の宿にいくためのトゥクトゥクを呼んでもらったが、なかなか来てくれない。
つらいよう、しんどいよう。
いい大人が、涙が出るほどしんどいのだ。
やっときたトゥクトゥク。
お父さんにもう一度謝ってから乗り込むと、ドライバーのあんちゃんがぐったりしている私に話しかける。
「スリランカは暑いだろう。エアコンのある宿に移るんだって?実は俺の家もホステルをしていているんだぜ、やすくするぜ」
とかなんとか。
違う、そうじゃない。
スリランカは暑いけど、そうじゃないんだ。
「でももう予約したもん。しんどいからはやく宿に行きたい。」
「大丈夫だ!キャンセルしなよ!」
「キャンセルしないよ。だって今日すぐチェックインするって連絡したもん」
「やすくするぜ!ここから近いんだぜ!」
……💢 プチン
「ええで、早よ行けて!!!!」
もちろん英語でだけど、脳内は名古屋弁。
ブチ切れる私。
驚く運転手。
スリランカでキレたのは初めてではないが、
この時も本当にマジギレだった。
やっとホテルへと向かうが、宿がわからない運転手。
道に迷う運転手。
トゥクトゥクを止めて、他の人に訪ねる運転手。
「場所がわからんならもうええて!ここで降りたるに!」
とまたもや叫ぶ私。
そうこうしながらも、なんとかかんとか、新しい宿にたどり着けた…。
泣きながら到着した私
涙を目に浮かべた私を出迎えてくれたのは品の良い老夫婦だった。
私は息も荒く、椅子に座ってるだけでもしんどい。
熱があって辛いよ、エアコンがないから宿を変えたんだよ、運転手がなかなか出発してくれなくてすごく悲しかった!と、涙ながらに必死に訴える。
こんな状態の東アジア人をコロナがあけるかあけないかで受け入れたこの宿のスリランカファミリーは、本当にすごいと思う。
お金を払おうとしたが、釣りがないという運転手に、わたしがまたもや涙を流すと、代わりにお金まで払ってくれて、とにかくすぐに部屋へと招き入れてくれた。
エアコンのしっかり効いた、とっても清潔で落ち着ける部屋だった。
お水もたくさん持ってきてくれた。
「明日には息子も帰ってくるし、
何か欲しいものとかあったらなんでも言ってね」
というお母さん。
私の重たい荷物を部屋まで運んでくれたお父さん。
じゃあゆっくり寝てね…とドアを閉めてもらった途端、
「わーんわーん」と声をだして泣いてしまった。
で、ひとしきり泣いた後、寝た。
私、病院に行く…涙
次の日の朝には少し楽になっていたものの、まだ熱は下がり切らない。
息子さんが丁寧にノックしてくれて具合を尋ねてくれる。
病院に行くことを勧められる。
昨日借りたトゥクトゥク代をかえす。
隣の部屋にいたフランス人老夫婦が「元気になってね」と声をかけてくれる。
カタラガマで下がったと思っていた熱がぶり返したことを考えても油断ならないが、これは熱中症である!と思っているわたしはひたすら自作ポカリといただいたサマハンを飲んで寝る。
そんなこんなで3日ほどがすぎ。
「私、病院にいく…涙」
「それがいいよ!僕たちのファミリードクターで、とってもいい医者なんだ。ゴールまでいって患者をみているんだよ!」
ゴールという都会にまで求められているのか。
頼む、先生。私を治してくれ。
いざ、病院へ。私の病、そして診察料と薬代…。
息子さんが車を出してくれ、名医の小さなクリニックへと行く。
クリニックの外には人がたくさんいて、椅子に座ったり立ったりして待っている。
私の体調を気遣って、息子さんが私の代わりに列に並んでくれる。
私は椅子に座るように言われたが、おじいちゃんおばあちゃんもいるのに、わけのわからん外国人が座れるかよ…と思い、立って待った。
程なくして、私の番だ。
先生曰く、
「ジャングルフィーバー的なやつですね」
……ジャングルフィーバー、的?!
なんか名前はかっこいいけど、それ怖いやつじゃないの?!
ジャングルなんて行ったつもりないよ?!
でもよく考えたらこの国全体がまあまあジャングルなのかもしれない?!
私、脳みそがフィーバーして死ぬの?!
あからさまに不安な顔をする私に
「マダム、そんなに心配しなくて大丈夫。
この薬飲んだら、明日にはもう治っちゃう!」
と先生。
↑ まじかよ。
なんか、つい先週あたりにゴールで日本人がおんなじようなことになってたらしい。
処方箋をもらい、すぐ近くの薬局までいって、
スリランカのポカリみたいなやつと、なんか薬たくさんもらった。
で、気になる診察料とお薬代はといえば、
診察料が1500円ぐらい、お薬代が800円ぐらいだった。やっす!!!!
↑ まじかよ2。
医者に診てもらったことでほっとして、薬を飲んで寝る私。
先生の言った通りに、次の日にはよくなってたんだけど?!
↑ まじかよ3。
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自作ポカリで耐えてた私、バカすぎる。
保険も入ってるし、別に医療費を恐れて病院に行かなかったわけじゃないけど、素直に病院行っておくべきだった。
まあ、エアコン効いてたのでとりあえず寝れたからっていうのはあるものの、カタラガマでは謎に地域病院に行ったくせに、どうしてここですぐ病院にいかなかったのか。
まあ、後からしてみたら、いろんなことがそんなもんだよな。
そういうわけで、翌々日には病後のだるさもとれて、治った!と言える感じに。
とっても喜んでくれる宿のスリランカファミリー。
ここまででもものすごいおもてなしというかケアだったのに、
ここからもすごい。
ひろーい素敵なお庭をようやく堪能できた。
高い木の上に、小さなフクロウ(ミミズク?)がいることを教えてくれたり、植物の名前を教えてくれたり、フルーツの餌をおいて、かわいい鳥がくるようにしてくれた。無料で!
ウミガメさんがくるビーチにつれていってくれて、ウミガメさんにあげる餌までくれた。海藻なんてただで手に入るのに、ビーチにいる人から餌を買うと高いからね!のこと。これも全部無料で!
シュノーケリングにつれていってくれて、私の浮き輪を必死にひっぱり、たくさん綺麗な魚をみせてくれた。これもなんと驚きの無料で!
しまいには、私がチェックアウトをし、コロンボへと向かう日、「朝早くでいいなら、僕たちの車に乗って行きなよ!僕たちもコロンボの手前まで用事があるから」と車に乗っけてくれた。お礼をさせてくださいと言ったのだが、受け取ってもらえず、これもまた無料だった…。
車から降ろしてくれたところで、息子さんがきっちりトゥクトゥクと交渉してくれたので、お値打ちにコロンボの宿までたどりつくことができた。
ご夫婦は、スリランカを出た後のネパールからインドにいくかどうか迷っていた私を「一人で大変かもしれないけど、行ってみましょう」と勇気づけてくれた。
もう随分前にインドに行ったけど素晴らしかったよ……と目を細めながらおっしゃっていた。
余裕があるから人を助けられるのか。
もしかして、人を助けることで余裕を生んでいるのかもしれない。
などとも思った「インド洋の真珠」での出来事。
とにかく、本当に不安な中助けられたし、優しくしたもらったし、ヒッカドゥワを楽しませてくれたファミリーに感謝しかない。
2024年はスリランカには行けなかったけど、
今年はぜひ戻りたい。
そうしたら、また絶対、この宿に泊まる。
ヒッカドゥワに行って彼らに会うのではなく、
彼らに会うためにヒッカドゥワに行きたい。
それで今度は万全の体調で「ハロー!」と明るく登場するんだ。
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最後に一言「また会いたいなと思える人ができる旅なんて最高じゃん」