人を変えられるのは、自分をより変化させた人。
らしい。
悩みの大半の理由は人間関係。
そしてそのきっかけや、根底には、
「相手が自分の想像するように動かない。」
というものがある。
ストレスがかかる時は、変えようのないことを変えようとする時。
と聞いたことがある。
バッターボックスに立った時に出来ることは、バットを振ることのみ。
バットに当たって離れたボールは、相手のミスでヒットになることもあれば、相手のスーパープレーでアウトになることもある。
それはコントロール外にある。
自分のコントロール可能な範囲と、出来ない範囲の線引きを明確にする。
そうすると集中するべき部分が分かる。
集中するべきは自分。
自分と相手の境界線が明確になると、どうするべきかが分かる。
人は変えようとしても変わらない。
でも人は、人や、環境に影響を受けて変化する。
箸を使って食べるという洗脳を受ける。
日本語という言語を扱うようになる。
外国の人はもちろん違う言語を使う。
周りの影響を受けて、それぞれで変化していく。
だから、相手にとっての「環境」になる必要がある。
相手に、何を言うか、躍起になる。
何を言ったか、ではなく、何が伝わったか。
相手に伝わるものは、言葉だけじゃない。
日頃の態度や姿勢、周りの人への接し方、どんな自分が言っているのかが重要になる。
万引き主婦のありがたい言葉?
誰が言うのかが大事になる。
そして、近しい存在ほど、言葉は入っていかない。
耳のシャッターが閉じる。
言葉を言葉のままに受け止めることができない。
自分にとって近い存在なのだから難しい。
だから、伝えたいメッセージが伝わる「環境」を用意する必要がある。
自分自身がというのも、もちろん。
自分の伝えたいことが、どうすれば伝わるのかを必死に考える。
聖書には
「あなたの言葉を塩で味付けされたものとしなさい。」
みたいな言葉がある。
食べ物も、脳で味わっているように、
言葉も脳で味わうもの。
いくら栄養が高いからと言って、泥だらけの野菜を何の調理もせずに出す人はいない。
どんな雰囲気で
どんな器に盛って、
どんな順番で出して、
相性の良い飲み物も用意して、
相手が喜ぶように、食べたいと思えるようなものを用意する。
相手に何かを伝えようとするとき、それくらいの繊細さと、愛情が必要なのかもしれない。
これは相手がどうかじゃなく、全て自分がどう考え、自分がどう行動しようとするかにかかっている。
そもそも、なぜ相手にそこまで変化を求めるのか自問自答しないといけない。
愛情か、
自分自身の弱さからか、
自己肯定を裏返しか、
自分と会話できないのに、相手と会話できるはずもない。
自己完結だけにしない。
相手にも思いを馳せる。
そのバランスと努力が、
結果として相手が変化していくことにつながっていく。
それを本当に理解できたとき、
僕は本当に生きやすくなっているんだろうなと思う。