「優しさ」って?
優しいってなんだろう。
相手が「優しい」と感じることか、
そうじゃなくても優しいことだってある。
相手が求めていない言葉や行動が優しいこともある。
相手が想像もしていなかったような嬉しいことも優しさだったりするのか。
そのどれにも共通しているのは、
思いやりと想像力のように感じる。
ありがた迷惑だってある。
感謝されたい、イイように見られたいと考えて、
相手を欲の対象にする。
そうするとズレた優しさになる。
相手への思いやりが足りていない証拠。
自分軸、他人軸、成幸軸とはこれのことなのだろう。
自分本位に行動するのが自分軸、
相手の耳触りのイイことしか言わない、言えない他人軸、
そして相手のためを思ってする行動や考え方が成幸軸。
でも自分の考える相手の為が本当にそうなっているのか。
ただのエゴじゃないのか。
どう判断したらいいのだろう。
正解は分からない。
分かるのは相手を変えようと考えないということ。
世の中にはコントロールできることと、できないことがある。
できないことに一喜一憂してはもったいない。
人は変わらないけど、自分自身は自分でコントロールができる。
相手の為を想えば想うほど見つめるべきは自分自身のみになっていく。
どんな風に見つめたらいいのだろう。
基準と振り返り。
基準や手本となる人は誰か、その人ならどうするかを考えてみる。
できるなら答え合わせをする。
その後、客観的にみるために書く時間を作ってみる。
そうすると自分を見つめることができる。
行動を改めて、優しさについて考えることができる。
優しさは時代や場面によって変化する。
コレさえすれば優しいなんてこともない。
人によっては優しいと感じ、人によっては何も感じない。
だからこそ常に自分を見つめ直すことが大事なんだと思う。
僕にとっての優しさとは
この思考過程そのもの。
正解なんてない。
その都度変化するそれと向き合って、答えを持つこと自体が優しさのように思う。
あるようで、実はない物差しがあるかのように、優しさのさじ加減を追い求める必要はない。
この過程自体に幸福を見つける。
どうすればそう思えるのだろうか。
優しいという言葉にはフワッとした柔らかい感覚があるように思う。
柔らかい、固いは頭にも使われるし、体でも使う。
様々な場面で共通点がある。
柔らかいモノは変化する。
変化するということは、沢山の感覚や情報を吸収できる。
あらゆることを取り入れられる特徴も、優しいという言葉には含まれているのかも。
変化し続けられる。
それが誰かの為になる。
その特徴を持てる人間は幸福だと思う。
知らぬうちに様々な恩恵を受ける。
幸せというのは、
幸せを目指して得るというよりも、
大切な誰かを考えた先にあることなんだろう。
何が優しいのか。
それは漠然としたものでもいいけど、
優しさを想う過程それ自体に、
優しさの本質があるように感じてならない。
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