『戦う場所』を求めて(カズ選手の思いに自身のキャリアを重ねてみる)
カズこと三浦知良選手と私は、同級生。54歳にして、今でも現役を続ける彼の存在は、同世代の人たちの多くがそうであるように、私にとっても、励みになり、勇気を貰う対象であり続けています。
しかし、彼は、今年1年、出場機会がほとんど得られず、「悔しい思いをした」と自身で振り返っています。
隔週で、日経新聞朝刊のスポーツ欄に連載中の『サッカー人として』で、次のように悔しい気持ちを綴っています。
リーグ戦も残り1試合となり、1年を振り返るころを迎えているけれども、僕にはシーズンを送ったという実感がそもそも、ない。
リーグ戦は1試合、残り1分の出場のみ。チームで公式戦の先発が1回もないのは僕くらいだ。降格していくチームの助けになれず、協力もできず、自分を使えばプラスになると監督に思わせることもできなかった。誰に向けてでもなく、自分に対する悔しさと屈辱感、情けなさしかなく、チームのことを振り返る気になれない。資格もない。
(中略)似た境遇の同僚がいる。最終節、2人してベンチに入れなかったらお互いに殴り合おうと請け合った。「カズさん、スタッフの胸ぐらつかみたいです」「それはやめろ。殴るなら俺を殴れ。俺もお前を殴るから、互いに痛みを分け合おう」
持っていく場のない、マグマのような思い。とはいえパンチだと歯が折れかねないから、ビンタにしておくことにした。冗談抜きで、それくらい悔しいんだ。
(中略)悔しい現実がある。そんなもの、なにくそと思う。でないとプロなんてやってられない。年の瀬、僕の顔は腫れているかもしれません。もし歯も欠けていたら、そういうことです。
カズ選手は、高校1年生の時、サッカーが上手くなりたい一心で、単身、ブラジルに渡りました。多くの人たちが、無謀と呼んだに違いないその挑戦は、当初、厳しいの一言であったそうです。
しかし、試合に出ることが出来るようになり、フィールドで駆け回れる高揚感は、何物にも替えがたいものだったと、彼は振り返っています。
クラブハウスはボロボロ、シャワーは無く、簡易的な水道の蛇口があるのみ、寮は雑魚寝、といった劣悪な環境の中でも、試合に出場して戦える幸せには、比べものにならなかったそうです。
そのような思いがベースにある為か、カズ選手は、より自分が必要とされ、自分自身を成長させる環境を求めて、世界の様々な国々のチームでプレーして来ました。
私自身、カズ選手と同じ思いで、仕事上のキャリアを積み重ねて来ました。合計6つの職場、5回の社内転職は、全て、自分自身の意志による、自発的な異動でした。
私の会社では、基本的に、同じ事業、職種分野で、たたき上げ的にキャリアを積まないと昇進出来ません。
それでも、私自身は、昇進よりも、やりがいや自身の成長を求めて来ました。換言すれば、カズ選手と同じく、『戦う場所』を求めての行動を貫いた会社員人生だったと言えます。
キャリアを重ねれば、会社は、マネジメント的な役割を求めて来ます。しかし、私は、可能な限り、実務的な、現場に近い仕事を継続しながら、マネジメントに携わりたいと考えています。
趣味のランニングにおいても、一人のランナーとして、日々成長を求め、走り続けていないと、コーチ、監督の立場は、自分で納得感を持って務められないとも、思っています。
『戦う場所』を求めて現役に拘り続けるカズ選手を励みに、これからも、自分自身、公私ともに前を向いて、行動していく覚悟です。