スポーツ文化の成熟度(スポーツ選手の待遇に想う)
1週間程前からプロ野球が開幕しました。そして、一昨日、昨日のツイッターを見ていると、年度末、年度の初めということで、スポーツ選手の去就を伝えるツイートを多く見掛けました。
スポーツ選手は、活躍すれば、その栄誉が華々しく報じられ、眩い程のスポットライトを浴びることになります。
しかし、大多数の選手は、日々の厳しいトレーニングに励んでいるのにも拘らず、日の当たらない現役生活、そして、苦労を伴う引退後が待ち受けています。
私は、そのようなスポーツ選手への社会としての待遇の良し悪しが、その国のスポーツ文化の成熟度を表していると考えています。
つまり、スポーツ選手に対する社会的な処遇の有り様が、その国におけるスポーツの位置付けを示しているのだと思います。
その意味において、日本のスポーツ選手への待遇は、以前にも増して、厳しい環境に置かれていると言わざるを得ません。
企業におけるスポーツを通した宣伝活動は縮小を余儀なくされ、引退後の生活保障も、その確かさが脅かされつつあります。
また、野球やサッカーといったメジャースポーツは未だ良いのですが、オリンピックでしか報じられないような種目の選手たちは、トレーニングに打ち込めるような環境になかなか恵まれていないのが実状です。
私が所属するマスターズ陸上競技チームの顧問を務めて頂いている東海大学の高野進先生は、以前、上記のような選手の処遇改善を目指して、練習拠点に程近い場所にイタリアンレストランを開業されました。
選手たちは、トレーニングに励む傍ら、そのレストランで働き、生活の基盤を形成していく取り組みを実践されたのでした。
私も何度かそのレストランに伺いましたが、選手たちの働く姿を目の当たりにして、新しい選手生活の形を見ている気がしていました。
残念ながら、上記レストランは、閉店してしまいましたが、私自身は、高野先生のチャレンジは、スポーツ文化向上に向け、一石を投じた活動であったと考えています。
我が国におけるスポーツ選手への畏敬の念は、けっして低くは無いと、私は思っています。
しかしながら、その気持ちが、社会的な評価、換言すれば、プライスレスな価値があり、それ相応の処遇として表されるには至っていません。
その意味で、日本のスポーツ文化の成熟度は低いと言わざるを得ない状況です。
この国の大多数の人たちは、スポーツを学校の部活動の延長にあるものとして捉えているような気がしています。
国として、スポーツを大切な文化と捉え、その価値に敬意を表して、対価を払っていく姿勢が、まだまだ、日本には足りないと感じて止みません。。。
スポーツがしっかりと社会の文化として根付くような活動の一端を、今後、私自身も担っていきたいと思っています。