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ショートショート「屋敷人形」


タイトル:屋敷人形
作:絵本と砂の部屋、made with AI

大友家は、500年以上続く名家。当主は代々女性が務め、娘が家督を継ぐ習わしだ。大友家には、女子が生まれると、家に代々伝わる日本人形がその子に贈られ、13歳の誕生日まで共に過ごすという慣習があった。
その人形は、大友家の屋敷人形、と昔から呼ばれている。そして、その娘が13歳の誕生日を迎えると、その人形は次の世代の娘が生まれるまで屋敷の天井裏部屋で眠りにつく。

大友家の長女、香織は13歳の誕生日の前の夜、母に連れられ、埃にまみれた天井裏部屋へ続く梯子を登った。薄暗い空間の中央には、大友家代々の伝統である日本人形が、古びた着物を纏って静かに佇んでいる。滑らかな白磁の肌は仄かに光り、深く黒い瞳は妙に生々しい。時折、微かに動くように見えるほど精巧で、その存在だけが部屋の空気を張り詰めさせていた。
「香織、さあ、人形との別れの儀式よ。」
母の静かな声が、しんとした空気の中で妙に響く。
香織は人形をそっと抱きしめ、まるで別れを惜しむようにその顔を見つめた。この13年間、嬉しい時も悲しい時も、まるで本物の妹のようにそばにいてくれた人形。だが、これからは棺桶のような黒檀の箱に収められ、次の娘が生まれるまで長い眠りにつく。それが大友家のしきたりだった。香織は、まるで弔うような儀式の言葉を唱え、人形を棺桶のような木箱に横たえさせた。その瞬間、香織の視界がぐらりと揺らぐ。香織と目があった人形の瞳が、妖しく赤く光った気がした。また、微かに唇も弧を描いたように見え、香織は思わず息を飲んだ。
「香織、どうしたの、大丈夫?」母は何も気づいていないらしく、心配そうに声をかける。
「う、うん…」
香織は震える声で答え、慌てて木箱の蓋を閉めた。
その瞬間、心臓がバクバクと胸を突き上げ、背中を汗が伝うのを感じた。凄く悪寒がする…。香織は手を引かれながら、天井裏から下に降りた。

あれから数年。香織は実家を離れ、大学生活を送っていた。
ふとした拍子に、あの人形のことが脳裏をよぎる。かつては妹のようにかわいがった存在が、今では底知れぬ恐怖の象徴となっていた。光を失わない白い肌、吸い込まれるような瞳、そして最後に見せた赤い輝き…。思い出すたびに心がざわつき、夜中に突然、目を覚ますこともあった。

ある夏、帰省中の香織は、昔使っていたカバンを探しに久しぶりに天井裏部屋に足を踏み入れた。薄暗く、古びた匂いが充満する空間。その匂いと共に、あの夜の記憶がよみがえってくる。そして、奥には、その時まで決して開けてはならないとされる、あの黒檀の木箱が、やはり棺桶さながらにそこに鎮座していた。
「なぜ、あんな不気味な木箱がこの大友家に代々引き継がれてきたのだろうか。」
幼い頃に、一度だけ、母に問うたことがあった。
確かその時は、「大友家の娘は、あの箱と人形、そのものなの。」
と言われた。
その母の言葉は、いま考えてもよくわからない。
その母も、2年前に病気で亡くなっていた。今は、香織が大友家の当主となっている。その理由を深く突き詰めること自体、香織にはどこか不安で、恐怖心を搔き立てた。でも、私は当主として、この大友家について何も母から引き継いでいない。
そんなことを考えながら、香織はなるべく木箱を見ないように素早く探し物をする。
だが、焦りと暗さが災いし、つい何かにつまずいてしまった。
痛っ!」よろめく拍子に何かを強く押してしまい、ドスンと鈍い音を立てて、あの木箱の蓋がずれ落ちた。箱はまるで苦しげに呼吸する生き物のように微かな振動を繰り返す。
香織が恐る恐る目をやると、わずかに開いた蓋の隙間から人形の顔が覗いていた。その顔は、香織の知っている、13年間一緒にいた人形の顔と明らかに違っていた。
「な、なんで…?」
その肌には細かなひび割れのような皺が刻まれ、瞳は赤く爛々と輝いている。口元は嘲笑うように歪み、その赤いクチビルは、悪魔を連想させる。「だ、誰!」「あなたは、いったい誰なの❔」
その時、人形がゆっくりと身を起こし始める。関節がきしむ音を立てながら、まるで見えない糸に操られるような不自然な動き。
「…香織さん、…久しぶりだね。」
低く、地の底から湧き上がるような声が響く。
それは確かに、人形の口が動き、そこから発せられていた。
「な、なんで私の名前を知ってるの…?」
香織の声は上ずり、恐怖に震える。人形の首がギシギシと回り、真っ赤な瞳が香織を射抜いた。
「私は、大友家の記憶そのものだからね…。大友家に生まれた娘たちの記憶、感情、恐怖…すべてを吸い取り、そして次の代へ受け渡すのが私の使命…」
人形が箱から這い出し、近づいてくる。
香織の心臓がギリギリと締め付けられる。
「わ、私になんの用?」
香織は恐る恐る問いかける。
「あなたに、大友家当主としての記憶を、植え付ける。」
「あと、美咲のことも知ってもらわないとね。」
「美咲?誰、それ…!?」
香織は悲鳴にも似た声を上げた。
何故かその名が心に引っかかる。
「大丈夫、もうすぐ、わかるわ」
人形が妖しい笑みを浮かべた瞬間、香織の意識は真っ暗な闇へと落ちていった。

翌朝、香織は自分の部屋のベッドで目覚めた。昨夜の天井裏での出来事は、悪夢だったようにも感じるし、現実だったようにも思える。探していたカバンはベッド脇に放り出されていたが、どうやってここまで戻ったのかは覚えていない。

やがて5年が過ぎ、香織は結婚し、娘を授かった。
出産のために里帰りした香織は、すぐにあの天井裏部屋へ向かった。そこには相変わらず、棺桶のような黒檀の箱が鎮座していた。それはまるで、香織の訪れを待っていたかのようだった。
香織が開けると、中の人形は以前よりも色あせ、まるで魂を失ったかのように横たわっていた。香織は人形をそっと抱き上げ、微笑むながら話しかけた。
「うちの娘が13歳になるまで、よろしく。」

大友家の女性が迎える13歳の儀式。それを支えてきたのが、この人形と箱の存在だ。古い名家の由緒といえば聞こえはいいが、この家に伝わる慣習や儀式を考えるとおかしなことばかりだ。しかし、この人形によって、大友家が途切れず、代々と繁栄してきたのも事実だった。
ふと、人形の瞳がかすかに揺らめいたように見えた。香織が人形の顔をのぞくと、さきほどまでと違って、生き生きとした表情をしている。そして、人形の真っ黒な瞳が、じっと香織を見つめていた。
その瞬間、お腹の中の子が、どん、と強く蹴った。
「いま、魂が宿った…」
香織は一言つぶやくと、人形を抱いて、天井部屋から降りていった。

その人形を、娘の美咲に贈るために。

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