バズった本を読み解く:「もうじきたべられるぼく」は食育絵本とよべるか?
気になっていた話題の本を読んでみました。
すでに読まれた方も多いかもしれませんね。
もうじきたべられるぼく / はせがわ ゆうじ 作
対象年齢…4歳くらいから
柔らかなタッチで描かれた、ほっこりした絵柄。
本の帯にはこう書かれています。
なるほど…。
こういったマス向けの煽りはちょっと心情としてハードルが上がってしまいます。今回は色メガネなしに臨みたいので、心をフラットにしてページをめくりました。
始まりから驚きの展開
つまり、この牛の坊やは達観しているんですね。
まず、どんな育ちをしていたらそのような考えになるのかと思いました。小さい頃から「お前は大きくなったら肉牛として出荷され、人に食べられるのだ」とでも言われていたのでしょうか。
ストーリーは主人公である牛の坊やが、(おそらく)「出荷」される前に最後に母親に会いにいく物語です。
TikTokでバズったポイントは下記でしょうか。
ほんわかした絵と、残酷な運命を背負った主人公という組み合わせのギャップ
もうすぐ命を失う予定の主人公が最後にひと目母親に会うために行動に移す(電車に乗って会いに行く)
母親がとった行動
特に、「ぼく」の小さい頃のエピソードが出てきたり、遠目に「ぼく」を見つけた母親のとった行動にウルっとなった人もいるかもしれません。
読み終えてうーん、なるほど!となりました。
そもそも食育になるお話なのか?
こちら「食育絵本」として推されていますが、私の捉え方はちょっと違う。Amazonなどのレビューを見ていただいてもお分かりのとおり「母と子の愛情」など、感想がバラバラで、一見さまざまなテーマが内包されているようにも感じられます。
もちろん、この本を読むことで「人間のために命を落としてくれる生き物への感謝」を感じる人がいるとは思います。
ただし「食育」にしてはお話のファンタジー色が強い。食育しようにも現実味がなさすぎる。
レビューで「小さい子に読み聞かせたら、牛に感情移入してお肉が食べられなくなるかもしれない」と危惧する意見をみて「なるほど」と思ったり。
とにかく、絵やストーリーがめちゃくちゃシンプルなだけに、読み手に各々解釈させるつくりとなっているのです。
作者が伝えたいことを知りたい!
私は、主人公の最後のこちらの言葉から、この本の意義を読み取ろうと考えました。
なるほど。私にとってこのお話は「人知れず世の中を支えてくれている誰かへの感謝への気持ち」を想起させる本ではないか、と感じました。
この世には昼夜問わず、さまざまなところで、人々が「いつもの暮らし」を送るために仕事をしてくれている人がおられます。
そんな方達を思い出しました。
また、そういった方々を時間の横軸とすると、縦軸ではいまの社会を形成してくれた過去の人々にも感謝しなきゃいけないなぁと思ったり(飛躍しすぎ?)。
例えば「このトンネルがあることで危険な峠を通らずにスムーズに山を越えられるが、かつて人知れず命をかけて(あるいは命を落として)作ってくれた人たちの存在を忘れてはいけない」というようなことです。
結論
「もうじきたべられるぼく」は解釈の余地がありすぎて、人々が自分の思うようにとらえる作品です。賛否両論を巻き起こしたのもやむをえないでしょう。
作者さんもインタビューで「この本を読んで、話し合ってもらえたら嬉しいです。相手が自分と違う意見だったとしても十人十色、価値観は違うものだから、おおらかに受け止めてもらえたらいいなと思います。」と仰っています。器が広い。
私はこの本で泣くことはありませんでしたが、人は一人では生きられない(例え自給自足生活をしていても、人外の命はいただくことがあるでしょうし)。
自分が他者によって「生かされている存在である」と認知することで、まわりへの感謝の気持ちを思い出させてくれた本でした。そしてこれは私なりの感想であり、正解ではありません。
さらに、作者さんは最後のセリフ
「せめて ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたら いいな」
に関して、こう仰っていました。
なるほど〜!現代の若者を思ってセリフを考えてくださったんですね。
インタビューを読んで心やさしい方なんだな、と思いました。
インタビュー全文はこちらです↓
ご興味があれば、ぜひお手にとってみてください。そして、もし良ければあなたの感想もお聞かせください。
それでは、ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました!
「食育」ということであれば、ぜひこちらの記事もあわせてお読みください。
生き物に感謝して、今日もお肉やお魚やお野菜をありがたくいただきます。