父が脳梗塞で倒れたので畑をはじめた話。
今回は、プライベートなお話をさせていただきます。脳梗塞で倒れた父のためにはじめた畑仕事。夫と一緒に畑で汗を流す日々を振り返りながら、いくつか感じたことを綴っています。
もしかしたら誰も興味を持たないかもしれませんが、父によって困ったことなど個人的なエピソードが含まれるため、いちおう100円の小さな壁を設けさせてもらいました。もしご興味ある方がいらしたら、お付き合いください。
昨年の冬の早朝、80歳近い父が脳梗塞で倒れて救急車で運ばれました。幸い命は助かったものの、左半身に麻痺が少し残りました。
ここ十年ほどの父のライフスタイルは、週二回の拳法の指南(習い事の先生)と、日々の畑作業のみで構成されていました。
年齢の割に若くみられることが自慢で「また60代に間違えられたわー」と嬉しそうに言っていたものです。
それが、倒れた日を境に今までの生活が失われました。拳法の先生をすることも、ひとりで借りている畑に行くことも出来なくなりました。
1日にして、父はアイデンティティを失いました。
病院では苦手な病院食が食べられず、すっかり痩せながらも5ヶ月ほどリハビリを頑張りました。その間、ずっとやさぐれていたように見えました。
そこで「少しでもリハビリになれば」と退院後、私や夫や兄たちがたまに父を畑に連れて行くようになりました。父が借りているのは、テニスコート片面くらいのサイズです。
お互いのキャパを考えて、ひとまず三畝(うね)ずつくらい、父のエリアと我が家のエリアに分けてみました。
しかし、我が家の家庭菜園は夫メインだし、私は畑についての知識が断片的です。
「こんな適当でもいいのかな」と思いつつも、暑いし時間も覚悟も無かったので、5月にテキトーにクワで粘土質の土を掘り上げて畝を作りました。
父は体力が無かったのか、冬野菜を抜いたあとの畝に石灰を撒いて、「これで良い」とそのまま利用していました。
後日、ホームセンターで買ってきた苗を植えて、たまに草刈りや水やりに出向きました(こんな感じでも、けっこうな重労働)。
当然、雑草や虫害や害獣などさまざまな被害に遭いました。それでも、8月にはミニトマトやオクラなど夏野菜が少しずつはいろいろ収穫できたので良かったです。
優先すべきは「父を元気にすること」で、収穫物の出来栄えや量は二の次でだったので結果オーライです。
しかしある猛暑の日、私の心は折れてしまいました。その頃、夫と兄も忙しかったために私が中心となって父を畑に連れて行っていました。
そこで我慢できなかったこと。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?