絵本屋のわたしをつくる絵本 その1 『ちいさい おうち』
わたしが小さいころ、母は夜、寝る前に絵本を読んでくれた。双子の兄と私で母を挟んで3人であおむけに布団に寝転んで、母が図書館で借りてきた絵本を読んでくれた。
わたしの母は厳しかった・・・と思う。でも、それは世界中のどの時代のどの子どもも思うことなのではないかと思う。友達のお母さんはみんな優しそうに見える。「いいなぁ、〇〇ちゃんのお母さんはやさしくて。」子どもはみんな、一度はそう思うのではないかと思う。…が、今、自分が親になってみて、振り返ってみても、うちの母は、近所の幼馴染のママたちと本当に全然違っていた。でも、それが子どものころの私の自慢だった。「私のお母さんは特別。そんな特別なお母さんの子どもである私。」そう思っていた。
まず、女性は結婚後は専業主婦が当たり前の当時、母は仕事をしていた。近所で「仕事をしているお母さん」は、うちだけだった。仕事をしていない時でも、近所のママたちが井戸端会議を楽しんでいる間、母は家で勉強をしていた。教員資格課程を大学の通信教育で受けていたのだ。そして、見事に教員採用試験に合格し、その後小学校教員になる。
母は、自分に厳しい分、私たちにも厳しかった・・・と思う。甘えを許さない、そんな空気がいつもあった。
そんな母が絵本を読んでくれる時は、その絵本の世界を一緒に楽しんでくれることがとても嬉しかった。いつもは厳しいけれど、本当は私たち子どものこともわかってくれているんだ、という安心感を感じていたのだと思う。
さて、わたしが子どものころ、母に読んでもらった絵本の中で、特に覚えている作品。ダントツの1位はこの『ちいさい おうち』だ。ただし、私が覚えているのは「岩波の子どもの本」の小さい判型のもの。もちろん、写真のような新版の”HER-STORY”もない。
「ばーじにあ・りー・ばーとん」とひらがなで書いてあるふしぎな名前。曲線が多用された絵と文字組。流れるような絵と文に、時間と季節の流れを子どもの私は感覚的に感じた。
そして、子どもの頃の私がなによりも見ていたのは、ちいさいおうちの「顔」。幸せな時は笑っているように、どんどん周囲が変わってきて、ビルとビルの間、高架道路の下に隠れてしまって、だれからも気づかれない時は泣いているように描かれた顔。
そして、おしまい、と母が絵本を閉じて、いつも感じたことは、ちいさいおうちのハッピーエンドに「よかった!!」という喜びや安堵感ではなく、「…これ、また周りがどんどん変わっていっちゃったりするんちゃうの?」という心配。でもいつも、「いや、ちいさいおうちが悲しむようなことは、もう二度としないはずだ。大丈夫。大人がそんなひどいことをするわけがない。」と自分で自分に言い聞かせて、「…そうやんな!大丈夫大丈夫。」とここではじめて安心していた。
それは、今思えば、自分が生きてるこの世界への信頼感だったのだと思う。
絵本には、ちいさいおうちのその後のことは描いていない。でも、バートンが描きたかったのは、「環境汚染への危惧」や「開発による自然破壊への警告」というよりは、「この世界を生きる人々への信頼」「未来への祈り」だったのではないかと思う。
そうでなければ、あんなに美しい色彩と曲線、流れるようなことばと文章で絵本をつくったりはしないのではないだろうか。
主人公である『ちいさいおうち』自身が、実は人間が自然を取り除いて建てた創造物である、という点からすると、人間の生きる営みと自然との兼ね合いをどこに線引きするのか、その線引きの位置をつねに意識的に考えなさい、と子どもの私に語りかける絵本だったと思う。そして、それは母からの語りかけでもあったのだと思う。
…『ちいさいおうち』が出版されてからすでに半世紀以上が経っている。私たちの生きる世界はどう変わったのか?ちいさいおうちは笑っているのか、泣いているのか。