さるかに再考
絵本『かにむかし』の表紙はカラー刷りだが、本文と見返しは黒と朱の墨絵によるシンプルな色彩で描かれている。それにもかかわらず、迫力満点のダイナミックな筆致により、大人でも十分読み応えがある1冊だ。今回この昔話を🦀カニの気分で読み直してみた。(サルの気分はこちら🐵)
「早く芽を出せ 柿の種、出さぬと ハサミで ちょん切るぞ」は記憶していたが、何度も繰り返していたことに、まず驚いた🦀
このカニは相当なせっかちに違いない。しかも、これは明らかに脅迫ではないか。仮にカニが柿が十分に熟れて落ちてくるのを忍耐強く待てたとしたら、サルカニ合戦の惨劇は成立しなかっただろう。もっとも、語り手としては、カニを怒らせたらコワいぞという伏線だった可能性もある。
もちろん、サルの親切を装った柿の横取りは許せるものではない。このお話を決定づけているのは、まだ青くて硬い柿を投げつけられて死んだ母ガニから、小さな子ガニたちがたくさん現れることだ。あの母ガニの性急さも、妊娠子育て期のことであれば理解できる。そして何より、母親を目の前で殺された子ガニたちによる仇討ちであることから、後半に続く集団暴行傷害致死事件をも正当化してしまうのだ。
となると、この昔話の絵本制作の要は、いかに仇討ちを明確に提起できるかにかかっていると思う。その点、この絵本は両面見開き一杯に泡を吹いて潰れ死んだ母ガニを描き、その下から無数の子ガニが出てくるさまを見事に表現している。
ついでながらこの版では、このあと子ガニたちはきび団子を作って出かけることになる。桃太郎さながら、きび団子を交換条件にして、栗、蜂、牛の糞、はぜ棒、石臼が仲間に加わっている。単に同情から仇討ちに協力してもらえるわけではなく、昔からこの国では贈答品やら賄賂の類がいかに大事だったかもうかがわれる。
… と以前ならこの辺りで終えただろうが、今回この絵本を再読してみて、子ガニたちの姿が、どうしてもガザの子どもたちと重なってしまうのだった。目の前で一瞬にして親を奪われ、心身ともに消えない傷を負った子どもたちの行く末がどうなるのか、心が痛んでならない。もちろんイスラエルにも家族を奪われた人たちが存在することだろう。サルでもカニでもない私たちは、報復の連鎖を断ち切る方法を持ち得ないのだろうか。
🦀追記🦀
若林薫/絵画講師さまが素敵なマガジンに当記事を加えてくださいました。今は何を読んでも、傷ついた子どもたちの姿が目に焼きついたまま離れません。拙い記事ですが、何かしら共感してくださったことに心から感謝申し上げます。