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第6回/来日50年愛媛の外国人のお母さん/ルース・バージンさん

こんにちは!
えひめインターナショナルMeet-upの谷村です。
今回は、2023年10月25日に開催された第5回えひめグローバルトーク_海外出身者編の様子を記事形式で編集してご紹介します。

なお、えひめグローバルトークは、愛媛県で暮らす海外出身の方や、地域で国際交流・多文化共生に関する活動に取り組む日本人住民の方が、ご自身のライフストーリーや愛媛での仕事・暮らしなどについてお話することを通して、同じ愛媛県で暮らす海外出身者のみなさんにロールモデルを示すことや、地域とつながるきっかけとなる方をご紹介することを目指して行っています。

今回のチラシ

ーーーまずは自己紹介をお願いします!

ルース・バージンです。いまから50年前の1973年に来日しました。はじめは英語講師をしており、途中から愛媛大学の留学生向けの講座や、愛媛大学の学生向けの海外短期研修などを行うようになりました。今日はよろしくお願いいたします。

ーーールースさんのご出身はどちらですか?

アメリカのシアトルです。日本人にとって馴染みの深い場所ですね。

ーーー来日はどのような経緯でしたか?

兄のパートナーが仙台の学校で仕事をしていたことがきっかけです。お誘いをうけて、大学生の時に休学して英語講師として来日しました。大学卒業のために一時帰国したのち改めて仙台で働き始めました。

ーーー愛媛県に移住されたのはどのような経緯ですか?

仙台で出会った夫が愛媛大学で働くことになり、私もついて行くことにしたのが愛媛に移住したきっかけです。それからしばらく英語講師として働きましたが、愛媛大学の留学生向けの講師の募集を見つけて応募し、晴れて採用されてからは大学での仕事をしてきました。

ーーー50年も日本で暮らすと思いましたか?

いえ、はじめは全くそう思っていませんでした。50年前は本当に松山で外国人は珍しかったですね。大街道を歩くと、「ガイジンだ!ガイジンだ!」と言われる状況でした。最近では、私の方がこんなに外国人が多くいるのかと驚くくらいです。

ーーー長い松山での生活の中で、留学生担当講師以外にも様々な活動をされてきましたよね?

簡単にですが、アメリカに渡った日系移民の研究をしています。シアトルにある八幡浜出身の方が開いた「宇和島屋」というお店があります。そのお店に着目したのがきっかけです。いま来日している技能実習生などの話を聞くと、重なる部分がとても多いです。あとは、私自身が移民であることに気づかされましたね。

他に、愛媛県の英語版ガイドブックを作りましたね。「The Land of Iyo」というガイドブックです。それがきっかけとなり、松山市からボランティアガイド養成講座の講師を依頼されることになりました。初回は100名もの参加者がいましたよ。当時、そのような講座は珍しかったんだと思います。これにより、観光協会や人権委員などいろいろな依頼をいただくようになりました。あとは、裁判の通訳をした経験もあります。これは非常によい経験でしたが、とても難しいものでした。

ーーー最近はゆいの会を設立されましたね。

愛媛県の国際交流協会と、県内外国人住民に対するヒアリングをした中で、様々な課題がわかったのですが、特に必要な情報をなかなか手に入れられないという話が出ました。そこで、ここをみれば多くのことがわかるという情報が集約されたサイトを作ろうということになりました。

さらに、県内で様々な方々が国際交流や多文化共生のために活動しているので、情報交換やコラボレーションの場も必要だと思いました。そこで、ゆいの会を設立して、横のつながりを作ると共に、情報の集約や行政との連携などに取り組もうとしています。まだまだ試行錯誤ですが、これから活動を進めていきたいと思います。

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