戦後の製靴技術を後世へ伝えたい 靴職人・中田克郎
こんにちは!note更新担当のたぬ子です。
今回は、今治市大島で靴職人として活動されている製靴暁・中田克郎さんに、靴職人になられたきっかけや靴づくりの工程、大島で工房をかまえられた理由についてお伺いしました。
靴は、できあがった時が完成ではなく、お客さまが初めて足を入れた時が完成であり、その瞬間が靴の日の出になる。工房は、日の出前の工程を担う場所、夜明けを提供する場所ということで、夜明けという意味の”暁”を屋号にされたのだとか。
手間を省けば、”安く大量に”へ行きつく
― 靴職人になった理由を教えてください。
子どもの頃からものづくりが好きで、高校卒業後の進路選択の際に「これ以上何か勉強というより、ものを作るほうに進みたい」と美大に行きました。美大では、プロダクトデザインを専攻していろいろ学んだのですが、いざ就職活動となると、自分は何を作りたいのか決めきれなくて。様々なデザインを取り扱っている会社へ就職するという選択もありましたが、たまたま大学に来ていた靴メーカーの求人が目に留まりました。
靴って様々な要素をもっているんですよね。まず、ものづくりの要素、職人的な要素、実際に使用するという機能、それにファッション。そのことに気付いて「靴っておもしろいやん」と、そのメーカーに就職し企画部という部署で、スケッチ画から立体にするパタンナーとして20年働きました。
パーツを裁断、縫製してできたアッパー(靴の底を除いた上の部分)を工場に持って行き、底を付けてもらって靴の形にするのですが、アッパーを作っては工場へ、作っては工場へということを繰り返していたら、全て自分で作りたいと思うようになってきたんですよね。
ただ、仕事を辞めて靴を作ろうにも、底付けをして成形する技術がなかったので、西成製靴塾で靴づくりを教えてもらいました。そこでは、当時82歳の現役の職人さんが講師をされていて、戦後のやり方を教えてくれるんですよ。せっかくなら現役の職人さんに教わりたいと思っていた僕としては、理想的な教室でした。
戦後実際に作ってこられた職人さんから教わるのと、同年代の若い先生から教わるのでは、空気が違うんですよね。生の技術、現場の空気というか。それが良かったです。
― 習った当時のまま、現在も作られているのですか。
教えてもらった手順の意味を理解した上で、自分にとってやりやすようにある程度変更している部分はあります。靴づくりって案外手間がかかるんですよ。
底付けをする時の糸も、細い麻糸を複数撚り合わせて、製靴用の糸を作るところからやるんです。強度や作業性を考えて糸を撚り合わせるんですけど、強度としなやかさのバランスが難しいですね。
太いナイロン糸を買ってきて縫えば、現代の強さを楽に手に入れられますが、そうやって手間を排除していくと、工場メイドと変わらなくなってしまいますよね。それだと”安く大量に”というものづくりに行きつくので「そこは手製だろう」と、手間ですけど糸から作っています。
― 糸は一度にどのぐらい作るのですか。
一足分ですね。作ったそばからコーティングに使用しているチャン(松ヤニと脂を混ぜたもの)が乾いていっちゃうんですよ。先生は「糸が風邪をひくぞ、はよ使えよ」って言っていました。
― 風邪をひいた糸は一目で分かるのですか。
カサカサした手触りになりますし、引っ張った時に締まった感じがしなくなります。あまりにも乾いていると、引っ張った途端に糸が切れるんですよ。
― かなり力を入れて引っ張られるのですね。
糸が緩むと縫い合わせが開いてしまうので、ある程度のテンションをかけますね。
― 一目一目力を入れて縫われるのですよね。
私の作る靴のほとんどはハンドソーンマッケイ製法ですが、靴づくりの王道と言われるハンドソーンウェルテッド製法は、底を止めるために2~3㎜間隔の穴を開けて、そこに糸を通して縫います。一目縫ったら、2㎜隣に穴を開けて糸を通して縫ってというのを、10回繰り返してやっと2㎝進みます。
― 片足縫い終えるまでに、どのぐらいの時間がかかるのですか。
最初の頃は日を跨いでましたね。穴を開けたらいいというものじゃなくて、穴の位置が揃っていないとダメなんですよ。少しでもズレていたらジグザグになってしまうので、なるべく真っ直ぐ見えるように縫っています。
自分の技術を誇りに思う
― 素材を選ぶ際に、大切にしていることはありますか。
製作時と靴になった時のボリュームを考えて、しなやかさと強度を兼ね備えたバランスのいいものを選ぶようにしています。
革は案外伸びるんですよ。ゴムのように伸びる革は、切っているうちにサイズが変わってしまうので扱いづらいですね。ただ靴ってパーツは平面なんですが、型に沿わせると三次曲面なので、ある程度伸びないとダメなんです。
― 重要な工程や好きな工程を教えてください。
重要な工程は、つり込みですね。
パーツを縫い合わせてできたアッパーを型に被せて、革を引っ張りながら沿わして形作っていくのですが、平面を立体にするので皺が寄るんですね。皺が寄らないように伸ばして沿わさないといけないですし、この時に注意して進めないと左右の靴でバランスがズレるんですね。靴の全てが決まると言ってもいい工程です。
好きなのは、ミシンや裁断ですね。両方とも修正ができないんですよ。ミシンは、糸が切れたら縫い直しができるんですけど、一発勝負の緊張と責任がおもしろいです。技術を誇りに思っているというか、緊張感のある工程をやっていることが好きなんですかね。
アクセスもよく、自由な島暮らし
― 大島で工房をかまえられた理由を教えてください。
島暮らしがしたかったんですよ。
移住するまで暮らしていた大阪は、便利で出かける場所も多くあったんですが、そこへ立ち寄ってみても楽しめなくて。あまりにも便利だからですかね。都会で安定して、このまま一生過ごすものいい選択だと思いますが、自分はいろいろなことがやりたいと思いまして、移住を決断しました。
本当はもっと寂れた場所が良かったんですが、限界集落みたいな場所だと販売する上で難しいので、バランスが取れたこの大島を選びました。
― いろいろなことをやりたいというのは…。
自分を取り巻く環境、仕事も、生活も含めてですね。
大阪の家は隣家との距離がとても近い住宅街で、音も気にしますし、様々な制限がありました。でもここだと、向いも空き家、隣も空き家、裏側も隣家まで空間があるので、大きな音の出る機械を遅くまで使えたり自由です。
― 使っている最中は、話声も聞こえないぐらいですか。
物音は全然聞こえないです。機械を動かしてたら「ホニャララホニャララ」と聞こえてきて、止めたら「中田さーん!荷物でーす!」ということもありました。そういう機械を、例え夜中の1時に動かしてもあまり迷惑にならないので、仕事でも自由が利きますし、プライベートでも都会ではできない様々なことができる。その環境もおもしろいですね。
教えてもらった技術を継承したい
― 今後、愛媛でやりたいことを教えてください。
事業の拡大など仕事の野望はないんですが、せっかくおじいちゃん先生から受け継いだ、戦後の製靴技術を誰かに継承したいという想いはありますね。
絵しりとり こめかみ ⇒ み○○
靴づくりで一番活躍するこれを描こうかなと、サラサラと描いてくださいました。
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