《残された者になるのを前提に猫との日々を楽しんでいる》 猫歌人・仁尾智さんに訊く 猫との出会いと看取り #いい部屋ペット
「猫」との暮らしを題材に「短歌」を詠む“猫歌人”として活動する仁尾 智(さとる)さん。過去13年の間に誌面で発表してきた短歌+エッセイを収録した初の著書『猫のいる家に帰りたい』(イラスト・小泉さよさんとの共著、辰巳出版)は、上梓とともに猫と暮らす人たちの心を揺さぶり続け、増刷を重ねています。
猫といっしょにいるからこそ生まれる笑いも、贔屓目も、のろけも、妥協も。そして、やり場のない悲しみ、命の重みさえも。仁尾さんの猫短歌には、これまで保護してきたたくさんの猫、ともに生きてきた・暮らしている猫たちとの関わりが濃密に反映されています。
出会って、保護して、暮らして、別れを体験してきた猫との生活の日々を、猫短歌とともに振り返っていただきました。
保護したばかりの子猫と『猫のいる家に帰りたい』
出会いはいつだって“消極的”で“気が重い”
《 猫と住む前のそんなに猫好きじゃなかった僕を思い出せない 》
自ら保護した猫たちと、庭のある一軒家で生活している仁尾さんご夫妻。猫との暮らしも長年にわたる愛猫家です。
「2000年に結婚し、妻が実家で一番可愛がっていた猫・ミルキーを連れてきたので、そこからですね。妻が生まれたときからずっとそばに複数の猫がいる家で育った人で。僕は、実家で飼っていた時期もあったけれど、そこまで熱心ではなかったんです」
《 ミルキーはママの味すら知らないで鳴いてた猫に名付けた名前 》
ミルキーちゃん
猫との暮らしが始まると、路上で、自宅の庭で、ゴミ捨て場で、巡り合わせが続きます。過去20年のうちに一緒に暮らした猫たちは、くう、しぐれ、なつめ、いち、わらび、きり、 こみ、しろち、うみ、てん、ふく、ちょう、あーる、ぼう、ニャンニャ……。
暑さや寒さだけでなく、交通事故や感染症のリスクにも晒される「外」の猫を保護し、家の「中」へ迎え入れてきた仁尾さんは、猫たちに訪れた変化をこう話します。
「いつも感じるのは、警戒心の強い険しい目つきだった猫が、保護した後、あるときを境に劇的に穏やかな表情になるということです。栄養状態がよくなったことが理由なんだろうけれど、ちょっと感動するくらい変わります。それだけ外は厳しかったんだろうな、と思うと『贅沢はさせてあげられないけれど、ご飯と温かい寝床は一生保証するから』と言ってあげたくなります」
《 ノラだった頃じゃできない顔で寝て 油断とスキしかない猫でいて 》
きりくん(14歳・オス):写真上が保護当時、下のキリッとした表情が現在
仁尾さんにとって猫たちとの出会いはすべて、出会おうと思って出会うわけではない、突然の巡り合わせです。
「僕の猫との出会いって、かすかに鳴き声が聞こえたり、視界をよぎったり、弱って動けなかったりと、『ああ、猫かなあ……猫じゃなければいいなあ……』っていう“消極的な出会い”。気持ちの準備も全然できていない状態で、不意打ちのように、どう転ぶかわからない命をひとつ任されるということだから、正直まあまあ気が重いことが多いです」
《 見て見ないふりをしてたら死んでいた猫じゃなければ見なかったかな 》
しぐれちゃん(18歳・メス):大阪在住時、車の通りが多い道の植え込みで連日鳴いていたところを保護
子猫の譲渡は、短歌がたくさん生まれる
2010年頃から、保護した子猫が健康であれば、猫を迎えたい方を募って譲渡をするように。ほく、ろく、にこ、ばん、ほた、トム、シーニー……
「譲渡するときって、独特な気持ちになるんです。あまり他では味わえないような、寂しいんだけどうれしい、喜ばしいんだけど寂しい、微笑ましいのに泣ける、みたいな。自分の猫との出会いがいつも“大歓迎!”な感じではないからこそ、里親さん宅に届けて、とても歓迎されている様子を見ると、なんだか泣けてきちゃうんです。だから短歌もたくさん生まれます」
《 里親を探すつもりの猫の名は「1」 愛着がわかないように 》
《 もらわれていった子猫にこの家を思い出さない未来を望む 》
《 仮の名を呼びなれた頃もらい手が決まって猫の名だけが残る 》
《 口角を上げる練習 里親に猫を届けにゆく助手席で 》
《 キッチンで物音がしても気にしない もう悪さする猫はいないし 》
生後数日の頃に知人が保護し、仁尾さん宅で授乳〜離乳期のお世話をした子猫・トムくん。その後、仁尾さんの姉の家に迎えられました。現在も元気いっぱい
どう考えても、自分には「猫×短歌」だった
てんちゃん(9歳・メス):仁尾さんの妻の実家に産み落とされ、母猫とはぐれしまったので保護
<仁尾さんの猫・短歌の年表(略)>
1999年:「五行歌」という五行で書く形式の詩を書き始める。
2000年:猫との暮らしが始まる。
2004年:短歌を書き始める。
2006年:猫短歌+エッセイの連載開始(猫のムック『ネコまる』辰巳出版)
2011年:肩書を「猫歌人」に。
「猫」と「短歌」。仁尾さんが先に出会ったのは「猫」でした。それから「猫短歌」に至ったのは、愛猫家の必然でしょうか?
「何年か書き続けるうちに、今後自分が一番体重を掛けて表現できるのは、どう考えても猫だろうと思ったんです。僕の中に【作者とは切っても切れない業のようなもの×表現=作品】といった公式があって、それに自分を当てはめると『猫×短歌』だった、みたいな感じです。短歌はとくに、その人なりの“のっぴきならなさ”に読者はグッとくるんじゃないかと思っています。少なくとも僕はそういう切実さが感じられる作品が好きなので、自分だと『猫』だよな……と」
こたつのスイッチは付けなくてもホットカーペットでほかほか=「ネコタツ」で穏やかに寝る猫たち
見て、聞いて、嗅いで、触って。感覚と紐づいた猫短歌も多く発表しています。日々の暮らしの中で、猫を“感じる”うちに短歌が湧き上がってくるようなイメージでしょうか?
「湧き上がってくる、というのとは少し違うのですが、暮らしの中で、短歌に合うサイズの“気づき”みたいなことを、メモしておいて、短歌を作らなければというとき……具体的には連載の締め切り前とかに、短歌の形に落とし込んでいく、という感じです。最初から短歌の形で思いつくこともあるし、むしろフレーズから生まれてくることもありますが、基本的には『短歌に向くサイズ感の感動や感情に気づくこと』から始まります」
《 幸せに匂いがあれば日なたとかパンとか猫に似ているはずだ 》
ふくちゃん(7歳・メス):庭に迷い込んできたところ仁尾さんが保護
ぼうくん(8歳・オス):猫白血病と猫エイズに感染しているため、ほかの猫たちとは隔離して別の部屋で生活
猫と過ごす時間は、「幸せの前借り」
屋外で命からがら生き残った猫を拾って、うちに迎え入れる。そうした体験はときに感動的に語られますが、「ハッピーエンド」ではありません。耐え難いほどつらく悲しい命の看取り「終わり」を覚悟する「始まり」です。
「健康な猫は譲渡するので、家に残るのは、健康上問題がある猫ばかりですよね。看取る猫が増えるのも当たり前のような気がします。今年続けて3匹亡くなってしまって、今年前半の記憶はほとんどないです。猫の匹数は随時変わるし、減ると悲しい。最近は特に必要でなければ、匹数は公表しないで『妻と猫たちと同居中』みたいなプロフィールにしています」
《 里親に猫を出したり看取ったりするとき僕を筒だと思う 》
猫たちの「生」と「死」の中間に位置する自分や家の存在を、猫が穏やかに通り過ぎていく「“筒”であろう」と表現する仁尾さん。自身のnoteでは、猫を看取った後に残された感情をこう綴っています。
(抜粋)
平静を取り戻したように見えるのは、「衝撃的な出来事が起こった」というイレギュラーな状態から「常に悲しみがある」という状態に移行したに過ぎない。
それは「癒えた」とか「慣れた」とか「受け入れた」とか「乗り越えた」とかでは全然なくて、ただ「沈殿した」だけなのだ。
沈殿した悲しみには、意識的にも無意識的にも容易にアクセスできてしまって、ふとした拍子に顔を出す。
そうなるともう再び沈殿するまで、ただただやり過ごすしかない。
「看取りは、本当にきついので、猫との楽しい時間は『幸せの前借り』で、借りていた分は看取ることでのみ返済できると考えることにしています。これが正しいのかどうかなんて全然わからないけれど、自分が少し楽だから、こう『考えている』ではなくて、こう『考えることにしている』です」
《 幸せは前借りでありその猫を看取ってやっと返済できる 》
「猫の看取りに限らず、『時間が解決してくれる』みたいな言説、僕にはあまりピンとこないんです。時間が解決したように見えることって、全部自分が時間をかけて解決してるんだと思う。猫を飼うと、必ず看取らなければならないし、時間は何もしてくれない。しかも、その悲しみはなくならない。それでもなお、猫との暮らしは、たまらなく楽しいです」
《 残された者になるのを前提に猫との日々を楽しんでいる 》
構成/本木文恵
*猫たちの写真はすべて仁尾さんご提供。
【プロフィール】
仁尾 智(さとる)
公式サイト http://kotobako.com/
note https://note.com/s_nio
Twitter @s_nio
『猫のいる家に帰りたい』
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