Cage. #11【敗者復活戦】
秋葉原将棋センター。
鵠沼が一人で将棋盤の前に座っている。
雷雨の音がうっすら聞こえる。
扉の開く音がして、立花が駆け込んでくる。
体に付いた雨滴を払いながら尋ねる立花。
立花「ハァハァ……。カメちゃん! キッカ来てない?」
鵠沼「相澤さんのお嬢さんなら来てませんが?」
立花「何やってんだよあの子はもう! ぬしさまは?」
鵠沼「用事を思い出したので将棋会館に行くと。店員の人に車で送らせて……。その間私、店番頼まれました」
立花「マジで!? ヤバい、どうしよう……」
鵠沼「どうかしたんですか?」
立花「追われてるんだよ」
鵠沼「追われてる? 誰に?」
立花「UTF」
鵠沼「UTF、妖怪犯罪対策チームですか」
立花「そう」
鵠沼「どうして? あなたもチームの一員でしょう」
立花「あいつらキッカを使って右筒(うどう)を捕まえるつもりなんだ。まだその時期じゃないってのに」
鵠沼「右筒……。野狐(やこ)に堕ちたあなたの片割れのことですか?」
立花「ああ」
鵠沼「しかし右筒は——」
立花「封印が解けたんだよ!」
雷光・雷鳴。
いつのまにか橘香、入り口近くに濡れたまま立っている。
鵠沼「あ……」
橘香を発見し、指を差す鵠沼。
振り返る立花。
立花「キッカ!」
駆け寄る立花。
ハンカチで雨滴を拭いてやりながら話しかける。
立花「どうしたの? 遅かったじゃない! 心配したわよもう」
少し俯いたまま動かない橘香。
借りていた上着を掛けてやる立花。
立花「怒ってる? ごめんねキッカ。あの、実はね、あいつら借金取りなの。お店出す時に借りた分の返済がちょっとだけ遅れちゃってさ。大袈裟よねえ? あ、でも大丈夫! 月末には払えるからその方向で話はつける……?」
橘香、立花がまくしたてる合間に何かぼそりとつぶやく。
立花、腰を屈めて下から橘香の顔を覗き込む。
立花「キッカ?」
橘香「嘘つき」
立花「え?」
橘香「嘘つきッ!」
不意に上から怒声を浴び、驚いて尻もちをつく立花。
雷光・雷鳴。
橘香「借金取り? 嘘。あなたもグルじゃない。格安ルームシェア? 嘘。目的はあたしを監視すること。そうでしょ」
立花「キッカ! アンタ?」
橘香「立花美咲? 名前も嘘。本当の名前は…左丸(さがん)、そしてあんたも人間じゃない! 狐の妖怪、白狐(びゃっこ)!」
立花「覚醒……した?」
橘香「嘘嘘嘘全部嘘! 今までずっと騙してた!」
立花「聴いてキッカ! 仕方がなかった——」
橘香「うるさい! 騙して利用するつもりだったじゃない!」
立花「アンタを守るためだ!」
橘香「誰のせいよ!」
立花「……」
橘香「そうよね? 元はと言えばあんたの兄弟のせいじゃない。お母さんに片想いして、お父さんに嫉妬して、逆恨みのあげく闇に堕ちた……あんたはそれを止められなかった」
立花「違う、俺は——」
橘香「何が違うの!? ……ああ、そう。もっと酷い。止められなかったんじゃない、止めなかったんだ。どうして?」
立花「やめろ……」
鵠沼「やめなさい」
鵠沼、橘香と立花の間に割って入る。
橘香「……鵠沼さん、あなたもなんだ。信じたのに」
鵠沼「私は嘘はついていない」
橘香「言うべき事を言わなかった」
鵠沼「しかし君が今しているように、全てを詳らかにする事が善い事だとは思わない」
橘香「いいかどうかは当人が判断する事。それを保護者でもない他人が取捨選択するなんて、おこがましいと思わないの?」
鵠沼「詭弁だ。全てを見通せると思っている君でも、見ているものは物事の一面に過ぎない。ましてや今の君のように憎悪のフィルターがかかった状態では暗黒面しか見えないぞ。己の闇に囚われるな!」
橘香「うるさい裏切り者!
鵠沼「……」
橘香「勘違いしないで。あたしがここへ来たのはカウンセリングのためじゃない」
鵠沼「復讐は何も産ま——」
橘香「あんたに私の絶望がわかるの!? この世はまるでずぶずぶに腐り果てた臓腑(はらわた)よ! それが一気にあたしの頭いっぱいに流れ込んできて、溢れても溢れても延々と汚物を注ぎ込まれる、これ何ていう地獄?」
鵠沼「世界は己を映す鏡。だが君の場合は覚醒した能力のおかげで合わせ鏡になってしまっている。ささいな負の感情が果てしなく増幅して制御できなくなっている状態だ」
橘香「それが何だって言うの? もうあたしにはどうしようもない。この喉まで出掛かった憎悪を飲み込んだら、振り上げた怒りを下ろしたら、……あたしという容れ物は暴発して散り散りになってしまう」
鵠沼「……ならそれは、私が全て引き受けよう。かつて君のお母さんが同じように闇に堕ちかけていた時、君のお父さんがそうしたように」
立花「やめろ、亀! それなら俺が——俺が受ける!」
鵠沼「左丸、あなたじゃ無理です」
立花「けど、俺のせいで——」
鵠沼「これは罰じゃない。あなたが受ける必要はないんですよ」
立花「! ……じゃあ何でお前が?」
鵠沼「敗者復活戦、ですかね」
立花「なんだよそれ?」
鵠沼「それよりあなたには橘香さんの鏡に光を当てる役をお願いします」
立花「え?」
鵠沼「橘香さん、あなたの盛大な八つ当たりがすんだら、さっきの続きを打ちませんか? ぬしさまは今日は帰って来なさそうですし。それに……ぬしさまの実力では少々物足りない」
鵠沼、笑みを浮かべ、将棋盤の前に戻って腰を下ろし、盤上をじっと見つめる。
橘香、ゆっくりと歩み寄って鵠沼の脇に立ち、しばらく鵠沼を見下ろしたあと、おもむろに耳元で囁く。
橘香「……亀、どうして俺を竜宮へなど連れて行ったのだ」
鵠沼、盤上をみつめたまま微動だにしない。
ふいに右手を動かし駒を打つ鵠沼。手を膝に戻し再び停止。
橘香、耳元から顔を離し盤上を見る。
そして少し鵠沼の正面寄りに立って頭を下げる。
橘香「負けました」
橘香、頭を上げる。
立花「亀? どうなった? おい亀!」
立花、鵠沼に問いかけるが反応はない。
さっきと変わらずじっと座っているだけ。
橘香「届いた……」
立花「え?」
橘香「鵠沼さん、最期に頭の中で叫んでた。やっと届いたって」
立花「最期って何だよ……。くそっ! おい亀、しっかりしろ!」
立花、鵠沼に駆け寄り体を揺するが、抜け殻のように無反応の鵠沼。
橘香、将棋センターを出ようとする。
立花「待てキッカ! お前どこ行く気だ!」
橘香「あんたの兄弟を探す。邪魔したらあんたも潰す」
橘香、冷たく言い放って出て行く。
立花「おいキッカ待て! キッカーーーーーーーーーーーーー!」
雨音が激しくなり立花の叫びを消す。
雨音とクロスで暗転
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