Cage. #10【橘香、堕ちる】
誰もいない喫茶店「シェシャソバージュ」。
ドアが開く音に併せてからんころんと鈴の音。
恐る恐る入ってくる橘香。
橘香「こんにちは~…」
あたりを見回す橘香。
橘香「すいませーん! 誰かいませんか~?」
店内からは何の反応もない。
橘香「参ったな…」
携帯を出そうとポケットを探る橘香。
橘香「あ! どうしよう…携帯、上着のポケットだ」
ドアと鈴の音に振り返る橘香。
入ってきたのは「間宮 溢(まみや みつる)」。
目が合い、会釈する橘香。
動かずに橘香を見つめて立ち尽くしたまま、考えている間宮。
間宮「えっと…ゴメン誰だっけ? 顔はなんとなく覚えてるんだけど」
橘香「あ、すいません通りすがりの者です。道聞こうと思って」
脱力し、店内へと進む間宮。
間宮「あらそう。でも私何だか知ってるような気がしたのよねぇ…あ、思い出した。あなたさっきの」
橘香「え?」
間宮「ホラぁ、さっきすんごい勢いで走ってなかった?」
橘香「あ、はい」
間宮「びっくりした。街中であんなに全力疾走するって普通無くない?」
橘香「すいませんちょっと急いでて…」
間宮「ふ~ん…」
間宮、奥へと進み、水の入ったコップを持って戻り、橘香に渡す。
橘香「ありがとうございます…あの、店員さん…じゃないですよね?」
間宮「ええ」
橘香「表の看板見て初めて入ったんですけど、ここって喫茶店ですよね? ランチとかはやってないんですか?」
間宮「…………」
少し驚いた様子で橘香を見る間宮。
橘香「えっと、私何だか迷っちゃったみたいで、道を尋ねようと入ったら誰もいなくって」
間宮「そう…あなた、迷い込んじゃったのねぇ…」
橘香「え? あ、はい…」
間宮、アンニュイな笑みを浮かべながら、物珍しそうに橘香を眺める。
何だか噛み合わない空気に戸惑う橘香。
橘香「…あの~?」
間宮「ああ、ここはカフェだけどランチはやってないわ。夜はバーだけどディナーはない。たまに近所のレストランのシェフが来て気まぐれで作ることはあるかなぁ…あんまり、ていうか全然商売っ気のない店よ。ま、カフェっていうよりサロンって言った方がわかりやすいかも。けど、こんな感じで誰もいないこともよくあるけどねぇ」
橘香「サロン…もしかしてお金持ちや芸能人なんかが来る会員制のクラブみたいなところですか?」
間宮「ふふ、そうね。それに近いかも…でも安心していいわよぉ。ここ、初めての人間にはすごく親切らしいから」
橘香「そうですか…でももう行きます。道訊きたかっただけなんで。お邪魔しました」
間宮「待って、どこに行きたいの?」
橘香「将棋センターってとこです」
間宮「あら、奇遇ね。私さっきそこに行って来たばかりなんだけど」
橘香「え、あなたが?」
間宮「そうよぉ。コレでも結構強いのよ私。意外だった?」
橘香「あ、いえ。あの、将棋をしに行ったんですか?」
間宮「ううん、ちょっと人に会いにねぇ。でもいなくって。もしかしたらここにいるかもって思ったんだけど、ハズレだったみたいねぇ…」
橘香「ぬしさま…ですか?」
驚く間宮。
橘香「間宮、溢さん?」
間宮「あなた…誰?」
橘香「私は相澤橘香、一陽の娘です」
間宮「! あの人の…」
扉の開く音とドアベルの音。
袖から鈴(りん)の声が聞こえる。
鈴「うん、今店着いたから。ガルーお前何時頃来れんだよ? …9時い? 遅いよもっと早く来れないの?」
桑名、ダンボール箱を顔の高さまで積みあげて運んでくる。
その後ろから鈴が携帯で話しながら入ってくる。
鈴「ちぇー、じゃあさ、最初にアレ作ってくれよアレ! なんだっけ? ワクワクピザ! …ピザじゃねぇよ魚の煮付けのすげえヤツ!」
桑名「(鼻声)ね、リンちゃんコレ、どこ置けばいいの?」
鈴「そうそれ! アクアパッツァ! 鯛の尾頭付きでチョーウマそうなヤツ買ってきたからさ。頼んだぜガルー! じゃあな!」
電話を切る鈴。
桑名「(鼻声)リンちゃんてば!」
鈴「何その変な声?」
桑名「(鼻声)目の前に魚の箱があってすっごい生臭いんだよ。ねえちょっとコレここに降ろしていい?」
鈴「ダーメー! とりあえず厨房に置けってさ。そーれキリキリ運べい!」
鈴、桑名の尻にミドルキックを入れる。
桑名「(鼻声)あ痛っ! ちょっ! だからリンちゃん、前見えないんだって!」
鈴「うるせえなーホラ!」
鈴、桑名の持つダンボールの一番上を取ってやる。
桑名の視界が開ける。
見えてなかった顔の半分に引掻き傷。
桑名「ぷはー! 死ぬかと思った…あ! つぅちゃん!」
鈴「え? ホントだ、おつうだ」
間宮「リンちゃん、クワナくん、久し振りぃ」
ひらひらと手を振る間宮。
鈴「珍しいなーおつうが来るなんて。あれ? そいつ誰?」
桑名「お! もしかして女子の増員ですか? うほっ! さすがオーナー! 俺の好みわかってるねぇ…」
鈴の無言の爪アピールに黙る桑名。
間宮「彼女、相澤橘香さん」
鈴「アイザワキツカ?」
桑名「キッカちゃんか~カワイイ名前だねえ」
鈴「バカ! アイザワっつったらアレだろ? 香澄の旦那の名前じゃねえか」
桑名「あ、てことはつぅちゃんの愛人の」
鈴「わーーーーー!」
鈴、叫びながら魚のダンボールを桑名の顔の前に戻す。
鈴「はーやくそれ厨房に持ってけよ!」
桑名「(鼻声)だから前が見えないんだって!」
鈴「目にばっかり頼るな! 心で見るんだよ!」
桑名「(鼻声)ええ? …かっこいいけどココでいうセリフかなぁ?」
鈴「なんか文句あんのー?」
桑名「(鼻声)ないです~」
桑名、ダンボールを抱えて厨房へ消える。
追い打ちを掛けるように叫ぶ鈴。
鈴「クワナ! アサリ塩水につけて、砂吐かせとけよー!」
桑名「(鼻声)はいー」
間宮「上手くやってるじゃない店長さん」
鈴「店長じゃねえって! あの道楽坊主のオーナーがちゃんと仕事しないから仕方なくだなー…あ、なんか飲む?」
間宮「ううん。ありがと。あなたは? 橘香さん、何か頂く?」
橘香「いえ、お水ありがとうございました」
コップを差し出す橘香。
受け取る鈴。
鈴「ん?」
間宮「あ、ごめんねぇ、お水勝手に出しちゃった」
鈴「あそ、別に構わねって」
鈴、コップを持ってカウンター奥へ行く。
橘香「あの、間宮さんお話が」
間宮「その前にちょっとお化粧直しに行ってもいい?」
橘香「あ、はい…」
間宮、化粧室へ。
鈴、戻ってきて橘香に顔を近づけ、じっと見る。
橘香「え? な、何?」
鈴「どうだ?」
橘香「はい?」
鈴「読めるか?」
橘香「な、何を?」
鈴「アタシが何考えてるかだよ」
橘香「さ、さあ?」
鈴「なんだよ! 大丈夫か? こんなヤツ仲間にして…」
鈴、視線を外して離れ、カウンター奥へ消える。
橘香「仲間?」
桑名「リンちゃーん、塩ってどれくらい入れればいいんだっけー? あれ? いない」
桑名、厨房から現れる。
橘香を見ると嬉しそうに寄ってくる。
桑名「あ、俺クワナ。よろしくね。じゃいくよ? クイズ心のイントロ、ドン!」
頭の中で何かの歌を口ずさむ桑名。いい顔。
橘香「え? え?」
桑名「はい!」
橘香「はいって言われても…」
桑名「答えは”妖怪人間ベム”でした! あれ? 難しかった? じゃあ次はちょっと簡単なのいくから! クイズ心のイントロ、ドン!」
再び頭の中で歌いだす桑名。切ない顔。指揮者のような動き。
橘香「あの、ちょっと! なんていうかホントわかんないんで…え? ネスカフェのテーマ?」
桑名「ブー! 惜しい! 答えは”もののけ姫”! …おかしいな、俺の歌変だった? 香澄ちゃん結構当ててたんだけどなあ…」
橘香「あの、母のこと、どうして知ってるんですか?」
桑名「え? 聞いてない? ここで一緒に働いてたんだよ」
橘香「ここって、このカフェ?」
桑名「いやいや、おんなじチームでってこと。ここはその司令部っていうか、たまり場みたいなところかな」
橘香「チーム? 司令部?」
桑名「あれ? なんにも聞かされてないの? あ! ひょっとしてムリヤリ拉致られたとか? 非道いなあの二人!」
橘香「チームって何のチームなんですか?」
桑名「えー? どうしよ…俺が言っちゃっていいのかな?」
間宮、現れる。
間宮「妖怪犯罪対策チームよ」
桑名「つぅちゃん!」
橘香「よう、かい?」
桑名「つぅちゃん! この子、バラくんとトミーが連れてきたんじゃないの?」
間宮「自分で来たみたいよぉ。迷っちゃったんだって。あ、もしかして橘香さんさぁ、その二人に追いかけられてたんじゃない?」
橘香「黒いスーツにサングラスをした二人ですか?」
桑名「あ、そう! それ」
間宮「ねぇ、なんでそんな格好を?」
桑名「さあ?」
橘香「ようかいってあの妖怪?」
間宮「そうよぉ。ゲゲゲの妖怪」
橘香「…そうですか。わかりました
間宮「あら? 早くない? 信じちゃうの」
橘香「別に信じたわけじゃありません。民俗学研究の市民団体みたいなものだろうと理解しただけです。でも犯罪現場にまで首を突っ込むのは危険ですし、捜査の妨げになります。警察関係者として見過ごすわけには行きません。代表の方はどちらですか?」
間宮、桑名を見る。
橘香「あなた?」
桑名「違う違う! オーナーはたぶん出かけてると思うんだけど。あー、そうだ奥にいるかも知れないから見てこようか? うん、見てくるよ!」
桑名、慌てて厨房の方へ戻る。
間宮「…逃げたわねぇ」
橘香「間宮さん、訊いてもいいですか?」
間宮「ああそうだった…お待たせ。ゴメンなさいねぇ」
橘香、なにか質問しようと口を開けた状態で止まり、やめて考え込むのを2回ほど繰り返す。
間宮「なぁに? どうしたの?」
橘香「いえ、何から訊いたものかと…」
間宮「あの二人が来る前に訊きたかったのはお父さんのこと?」
橘香「…はい。今日の午前中、将棋センターでぬしさまと鵠沼さんに会ってお話を聴きました」
間宮「鵠沼、さんに?」
橘香「ええ。とても自殺するようには見えなかったと」
間宮「そう…」
橘香「父は何らかの事件に巻き込まれたんじゃないかと思うんです。間宮さんは父の唯一の弟子なんですよね? 最近父の周りで変わったことはありませんでしたか?」
ゆっくりと首を振る間宮。
間宮「実はしばらく会ってなかったのよねぇ」
橘香「どのくらい?」
間宮「2年くらい」
橘香「そうですか…」
間宮「ごめんなさいねぇ。お役に立てなくって」
橘香「いえ…そういえばあの、どうして父の弟子に?」
間宮「…将棋指しと結婚した私の友達が死んじゃってねぇ。もともと体が弱かったうえに、慣れない生活や出産で体力使い果たしちゃったんだろうって。他のみんなは不幸な事故みたいに言ってたけど、私は相手の男が許せなかった。将棋に没頭するあまり彼女の体を気遣う事をしなかったんじゃないか。それをぬしさまに話したら、自分で見極めてみろって言われて」
橘香「ぬしさまの紹介で父の弟子に?」
間宮「ええ。ふふ、将棋なんて全然知らなかったのに。おかしいでしょ?」
橘香「いえ、おかしいのはそこじゃない。さっきの話、亡くなった間宮さんの友達って私の母のことですよね? あなたもぬしさまも、母と同じ世代には見えません。むしろ私の方に近いんじゃ」
間宮「あら嬉しいわぁ。私もまだイケてるってことねぇ」
橘香「冗談はやめて下さい!」
間宮「冗談かどうか、あなたならわかると思うんだけど?」
間宮、詰め寄る橘香の顔に自分の顔を近づける。
一瞬気圧されるも、間宮の眼を睨むように見つめる橘香。
橘香「……」
間宮「私が、私たちが年相応に見えないのは、サバをよんでるからよ」
橘香「……」
間宮「私たちの見た目は、意識して変えようとしない限りはほとんど変わらない。即座に変えられる能力を持っているタイプもいるけど、普通は長い時間をかけてイメージ通りに変化していくものよ。ちょうど人間が成長するのと同じくらいのスピードでね」
橘香「……」
間宮「そう。私たちは人間じゃない。あなたたちが昔かられると同時に親しんできた、人と自然と言葉との産物…妖怪よ。そしてあなたの中の半分も…」
橘香「…いや…そんな! 嘘! 橘香 …いや…そんな! 嘘!」
橘香、間宮から顔を背ける。
間宮「香澄は「サトリ」。心を読む事ができる能力を持った妖怪。娘のあなたもその力を幾分かは受け継いでるんじゃない?」
橘香「あたし…そんな…」
間宮「香澄は昔、凶悪犯罪を犯した妖怪を捕らえようとして敗れ、操られてしまった事があるの。人間、妖怪を問わず無差別に襲い、考えてる事や隠し事、トラウマといった負の感情や記憶を暴いて精神を崩壊させた。そして偶然あの人を…相澤さんを襲った」
橘香「お母さんが、お父さんを?」
間宮「ええ、全てを暴かれても相澤さんは正気を保っていた。それどころか目隠し将棋に香澄を引きずり込んだ」
橘香「目隠し将棋って、頭の中で将棋を指すっていう?」
間宮「そう。そして考えてることが筒抜けっていうハンデを背負ったまま勝った。正確には将棋で勝ったわけじゃなく、相澤さんの膨大に枝分かれして増幅される思考を、香澄の能力が処理しきれずにパンクし、操っていた妖怪の呪縛が解けたの」
橘香「まさかお父さんも?」
間宮「いいえ、あの人は人間よ。そしてあなたは人間と妖怪のハイブリッド」
橘香「……そう、そういうことだったんだ」
間宮「理解出来た?」
橘香「嘘つき!」
突然の橘香の剣幕に、怯む間宮。
間宮「嘘じゃないわ。気持ちはわかるけど」
橘香「わかるわけないでしょあんたなんかに」
間宮「橘香さん?」
橘香、間宮に詰め寄って眼を覗き込む。
橘香「…吹雪、兎罠、機織り機、建附けの悪いふすま」
間宮「な、何を?」
橘香「毎晩のメール、借りたハンカチに香水、ペアの携帯ストラップ、終電間際の長い化粧直し…」
間宮「やめて!」
橘香「私にはわかる。あんたがお父さんに近づいたのは興味があったからよ。お母さんが妖怪だと知ってなお一緒になった人間の男に」
間宮「違う!」
目を逸らす間宮。
橘香「あんたは昔、一緒になろうとした人間の男に裏切られた。正体を知られ、恐怖の眼差しで見られ、そしてあんたは男から逃げた」
間宮「いや…」
橘香「友達? 相手の男が許せなかった? よく言うよ、あんたが許せなかったのは人間に裏切られなかったお母さんの方でしょ?」
間宮「やめてお願い!」
橘香「お父さんを誘惑してお母さんのことを裏切らせようとした。自分だけが不幸だってことを認めたくなかったから!」
間宮「いやぁーーーーーーーー!」
雷光・雷鳴が間宮の叫びをかき消す。
雨音がフェードイン。
雨音とクロスで暗転
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