§1 セカイの外側に降る雨
「水?」
上空を見上げて少女が呟く。仰ぎ見た少女の額に一粒の水滴が撥ねた。
見る間に辺りの地面が黒い点描で塗りつぶされていく。
頭に被っている薄汚れたパーカーのフードを背中へ落とし、
少女は顔や髪が濡れるのを気にする様子もなく、
ただ不思議そうに無数の水滴が降り注ぐその現象を眺めていた。
「ルゥ! 何してんだよ中入れって、風邪ひくぞ!」
少女の背後にある錆びたトレーラーハウスの窓から声がした。
変声期途中の少年らしき、独特なハスキーボイス。
少女が振り返ると、顔も手も機械油で黒く汚れた少年が手招きをしている。
「ジュノ、上から水がたくさん落ちてくるわ」
「雨だよ。」
「雨? これが・・・」
少女は思い出したかのように目を瞠り、再び空を見上げた。
言葉としては知っていたが、実際見るのは初めてらしい。
差し出した掌の上で雨粒が踊る様子を興味深そうに見つめている。
不意に頭蓋を打つ水滴の感覚が消え、
代わりにバラバラという音が鼓膜を打ち始める。
「そうか、”セカイ”には雨降らないんだよな」
いつの間にか先ほどの少年が隣に立っていた。
手には傘を持ち、少女の頭上に翳している。
「じいちゃんはよく、恵みの雨だって言ってた。
雨は地上の生命に力を与えてくれるんだって。
でも今は魔法で全部賄えちゃうもんな」
少年は傘を少女に持たせながら言った。
「珍しいだろうけど、あんまり雨に当たんなよ。
昔と違って悪いものが混じってて身体に良くないらしい」
「うん・・・」
生返事を返す少女。
傘に弾かれる雨の音に心を奪われているようだ。
「もう少しで夕飯だから。早めに戻ってこいよ」
「うん・・・」
相変わらずの生返事に、やれやれといった風に肩を竦め、
少年はトレーラーハウスへ駆け戻っていった。
少女は半透明の傘越しに雨空を見上げている。
「あはは」
表情に乏しい顔からは想像し難いが、どうやら上機嫌らしい。
「トンタントタタン、タトトンタン」
雨音に合わせてリズムを口ずさみながら、
くるくると踊るように廻り始める少女。
「これが雨なのね。やっとわかったわ、あの詩の本当の意味が・・・」
ひとしきり舞い踊ると、少女は目を閉じて歌い始めた。
どうやら雨にまつわる詩のようだ。
澄んだ小さな歌声は雨音に掻き消され、
トレーラーハウスの少年はおろか、誰の耳にも届きはしなかった。
しかし、故障したまま何年も放置されているはずの街灯が、
少女を中心として半径数十メートルにわたり、うっすらと点灯し始めた。
陽は沈んだばかりで辺りは薄闇に包まれており、
雨に煙るその灯りはさながら夜光虫のように神秘的に見えたが、
それに気付いた者はほんの数人しかいなかった。
その殆どが周辺に点在するトレーラーハウスの住人だが、
別段気に留める風でもなく、すぐに興味を失ったようだった。
ただ一人、遥か遠くからその灯りと正体に気付いた者がいた。
「あれは・・・魔銀燈? 旧セカイに魔力の発現が?」
§
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