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よくわかる!エジプトの長ーーーい歴史
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エジプトというと世界四大文明の発祥の地の一つとして古代エジプト文明のイメージが大きいですが、その歴史は中々に複雑です。
そんな長ーーーいエジプトの歴史を分かりやすくおさらいしていきましょう!
古代エジプト
ナイル川流域では紀元前5000年頃には農業や漁業を営む人々の集落があったとされていますが、エジプトを統一し王朝が築かれたのは紀元前3000年頃とされています。(日本では縄文時代の頃ですね)
第3王朝の時代になると有名なピラミッドが墳墓として建造され始めます。
最初のピラミッドはジェセル王(在位紀元前2667〜2648頃)がサッカーラに建造した階段ピラミッドと言われています。
その後にギザの地にクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3大ピラミッドが相次いで建造されました。
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巨大なピラミッド建造という大事業を成し遂げるほどの強大な権力を持っていた統一王朝もやがて衰退し内乱の後にテーベ(現在のルクソール)の地に新王朝が発生、第18王朝(紀元前1550〜1069頃)でエジプトが再び統一されました。
以降500年ほどエジプトは黄金期を迎え、この時代にトトメスやラムセス、ツタンカーメンなどの有名なファラオが登場しています。
またルクソールにある有名な王家の谷やカルナック神殿、アブシンベル神殿などもこの時代に築かれたものです。
しかし第20王朝のラムセス3世(在位紀元前1182〜1151頃)の頃には次第に王権が衰え、また周辺の国からの攻撃により統一王朝は崩壊してしまいます。以降エジプトはリビアやアッシリアなど外部からの支配を受けることになります。
プトレマイオス朝
紀元前332年にアレクサンドロス大王がエジプトを占領し、地中海沿岸にアレキサンドリアの街を建設しました。(自分の名前の街なのですね💦)
アレキサンドロス大王の死後は部下のプトレマイオスが王座につき、その王朝時代には王室支援の元、研究機関や図書館が建てられアレキサンドリアは世界の学問の中心にもなっていきます。
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しかしプトレマイオス朝もやがて地中海で大きな勢力を持ち始めていたローマ帝国の影響を受けるようになり、最後の王クレオパトラの死(紀元前30年)により幕を下ろしました。
ローマ帝国とビザンツ帝国時代
プトレマイオス朝滅亡後エジプトはローマ帝国属州アエギュプトゥスとなります。エジプトはローマ帝国へ穀物を供給する地とされ、同時にキリスト教が持ち込まれコプト教というエジプト独自の宗派が発展していきます。また現在もエジプトでは一部の人々によりこのコプト教が信仰されています。
ビザンツ帝国の時代になるとキリスト教宗派の対立やササーン朝の進軍などで、支配の勢いもやがて衰えていくことになります。
イスラーム時代
ビザンツ帝国とササーン朝が共に戦争で疲弊する中、アラビア半島で勢力を伸ばしていたイスラム教を信仰するアラブ人が641年にエジプトへ侵入してきます。
アラブ人はアレキサンドリアではなく、ファラオの古い都メンフィスのナイル川対岸にあった場所を陣地とし、ビザンツ帝国を退けるとそこに宮殿やモスクなどを建設し、それを取り囲むように要塞を築きました。
この都市はアラビア語で「勝利」を意味するアル・カヒーラと呼ばれ、後のカイロとなります。
十字軍に勝利し、後にスルタン(君主)としてエジプトを統治したサラーフッディーン(在位1171〜1193)により要塞はより強固にされ、現在もシタデルとしてカイロの主要観光地として賑わっています。
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13世紀になるとマムルーク朝と呼ばれる奴隷身分の軍人が支配者となる時代になり、パレスチナやシリアを侵略し東西の交易を支配すると、その利益でカイロは世界有数の豊かさを誇る都市に発展しました。
しかし後に中東で急速に勢力を拡大したオスマン帝国に敗れることになり、エジプトはオスマン帝国の属州となることになります。
近代エジプト
18世紀末にフランスのナポレオン・ボナパルトは対戦国であるイギリスに打撃を与える為、インドとの中継地点であるエジプトを占領しようと上陸します。
一度は統治下に置くことに成功しますが、イギリス艦隊により海側から攻められ1801年にフランスによるエジプト支配は終了しました。
フランス軍が去った後の権力争いに勝利したのはアルバニア人の傭兵ムハンマド・アリーで、オスマン帝国に自らをエジプト総督に任命させ後にエジプト総督権の世襲制を認めさせ、以降エジプトはムハンマド・アリーの子孫により統治されることとなります。
しかしスエズ運河建設や鉄道敷設のための重税や財政の破綻によりエジプト人の反感を買うようになり、アレキサンドリアで暴動が起こるとその鎮圧を理由にイギリスが介入し事実上の植民地となります。
1936年に締結された条約でイギリスによる支配は終了することになりましたが、第二次世界大戦が勃発すると戦略上再びイギリスの支配下に置かれることになります。
現代
終戦後、エジプトは駐留英軍との衝突や第一次中東戦争の敗北などで王政への反感が強まり1952年にナセル将軍率いる「自由将校団」のクーデターによりファルーク国王が王位を退き、1953年にエジプト共和国が建国されました。
翌年大統領に就任したナセルはスエズ運河の国有化を推し進めますが、スエズ運河を占有していたイギリスとフランスが反発しイスラエルと共にスエズに侵攻、しかし世界的に批判され撤退することになります。これによりスエズ運河はエジプトに国有化されることになります。
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その後第三次中東戦争でイスラエルから奇襲を受けシナイ半島を占拠されてしまいます。しかし第四次中東戦争でイスラエルに大きな打撃を与えると両国は和平条約を締結しシナイ半島が返還されることとなりました。
このことからアラブ諸国との関係が悪化しますが、逆に西側諸国やアメリカとの距離を縮めることになります。
湾岸戦争後にはヨーロッパとアラブ諸国の仲介役として存在感を強めると同時に、経済の建て直しにも成功しますが、2000年代には政治の腐敗等で国民の不満が高まりアラブ諸国の民衆運動「アラブの春」により30年以上続いたムバラク政権が崩壊することとなります。
現在は軍出身のエルシーシ大統領が3期目に当選し任期は2030年まで、2014年就任から16年の長期政権になる見通しです。
シーシ大統領はカイロの東側に新しい行政都市建設を進めており、ピラミッドに匹敵する一大事業らしいですがどうなるか楽しみですね😌
以上、エジプトの約5000年の歴史を見てきましたがいかがでしたでしょうか?
アフリカ大陸とアジア、ヨーロッパの交わる地理だからこその複雑な歴史をもつ国ですが、それゆえか住んでみると異文化や外国人にも寛容な雰囲気を感じます。
エジプトへ来た際にはそんな悠久の歴史に想いを馳せながら観光してみると更に興味深い旅になること間違いなしですね♪
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