煌びやかな街のよくある話
オールドカイロは歴史ある煌びやかな街である。土産物屋、香水屋、金物屋からアクセサリーショップ、レストランなどさまざまな露店がひしめきあっており、一度そこを歩くと売り子からときに英語、ときに日本語で(!)ひっきりなしに声をかけられ、さまざまな物を売られそうになる。一度値段交渉に入ると、大抵はこちらの足元を見てふっかけてくる。全くもって商魂たくましい。
路地を一本入るとそこにはコーヒーやシーシャなどを供す店が立ち並ぶセクションがある。路上に面したその店でトルココーヒーを注文し、友人と会話しながらオールドカイロの喧騒に身を委ねる。
すると、小さな子供に「バクシーシ」と声をかけられる。その半歩後ろには母親の姿。バクシーシとは要するに喜捨であり、この幼い子供は自分に金銭を要求しているのである。私は一体何を思えばいいのだろうか。何を思うことが適切なのだろうか。ある種子供を使ったビジネスと化しているバクシーシという行為そのものに腹を立てればいいのだろうか。自分の半分も生きていないような歳の子が物乞いをしている現実を憂い、金銭を与えればいいのだろうか。「旅行者」という「特権的」な立場からそこに住む人々を見下し、憐れみの感情から金銭を渡すのは果たして「正しい」のだろうか。金を持っていれば、相対的に収入の低い地域に行けば偉くなれるのか。
私はその子と簡単なゲームをした。1エジプトポンド硬貨を使い、右手にコインを持っていると見せかけ実は左手に持っているというマジックを見せた。するとその子は、その仕組みにすぐ気がつき、コインが入っている方の手を指差した。その子はゲームに勝った。だから私はコインをあげた。
※滞在1週間目。喜んで捨てる「喜捨」という感覚がまだまだ全然わかっていないためこのような記事を書いた。私は視野が狭い。その狭い視野で、今感じたことを書いていている。