高齢者の定義を引き上げることがウェルビーイングにはならない
5月23日に開催された、政府の経済財政諮問会議。
そこで、民間議員から、高齢者の定義を現在の65歳から70歳に引き上げることを検討すべきとの提言が出た。
この民間議員というのは、経団連や経済同友会の会長とかが名を連ねる。
また、
単に高齢者の定義を引き上げても、真のウェルビーイングにはならない。
たとえ心が元気で、健康に気を使っていたとしても、体は必然的に老化していく。
働きたくても働けない高齢者は少なくなく、彼らを無理に引っ張り出して活躍させようとするのは本当の意味でのウェルビーイングではないだろう。
そもそも、「ウェルビーイング」という言葉が、年金支給を避けるための便利なフレーズとして使われているように感じる。
確かに、「いくつになっても働きたい人が働く」という選択を否定するものではないが、多くの日本国民にとって、死ぬまで働くことがウェルビーイングにつながるとは限らない。
特に今の現役世代は、60歳までの生活が困難で、貯蓄が十分でない人たちが増えている。政治と金の問題がうやむやになってようと、国民からは容赦なく税金を搾り取る。
高齢になっても働かざるを得ない状況は、政治の無策が招いた結果であり、65歳以上でも「生きるため」に働くことがウェルビーイングと言えるのか?
高齢者の定義を引き上げたところで、それがウェルビーイングにつながるわけではないのである。
また、裁判員制度で一般国民が選ばれるように、経済諮問会議にも真の民間人、即ち一般国民からの選出を求めるべきだ。現状では財界トップが民間議員として選ばれているが、これは政府や与党の方針を支持するだけのいわゆる「太鼓持ち」が選出されているのであって、国民生活に寄り添うことはない。
このような体制では、政府の方針が国民のウェルビーイングを本当に考えているとは言えないだろう。
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