僕がそもそも大学に行った理由
第27回目の投稿です!
とうとう大学を卒業しました!
4年間という時間が、長かったような短かったような。
そんな “よくわからない感覚” なのですが、とても密な生活を送れていたのではないかと思います。
卒業式の日(卒業式自体は無くなっています)からしばらく経ちましたが、卒業式の日から3日間の出来事が、本当に素晴らしいものとなりました。
なので、その期間の出来事、それに対する僕の考えを順番に書いていきたいのですが、それよりも先に、今回は「そもそも僕が大学に行った理由」について書いていこうと思います。
以前の投稿で、「僕がずっと死にたがっていた」と書いていますが、それを乗り越えた後に高校を卒業し、大学に進学しているので、“乗り越えたからこそ見えてきたことが、進路に反映している” ということになります。
なので以前の投稿を踏まえて、今回の投稿を読むとより面白いと思います。
では本題へどうぞ。
大学に行く理由って、人それぞれだと思います。
専門的に学びたいことがあるから大学に行く、とりあえず大学に行こうと思ったから行く、という人が多いのではないでしょうか。
僕の場合は「専門的に学びたかった」というものが少なからずあります。
富山県は標高3000mの山があり、深海1000mの海底がある全国的に見ても、珍しい地形となっています。
そのため季節毎に変わる風景や、アウトドアのスポーツが楽しめる自然が豊かな場所です。
僕は、そんな富山で自然環境や生物について勉強したかった。だから僕は今の大学を選びました。
入ってみたものの、結局、専門的な知識が必要ない業種に就くことにしたので、あまり意味がなかったのかもしれませんが、それでも、面白いと思える知識を得られたので、よかったのだと思っています。
しかし、僕が大学に行ったのは、それとは別に、“ある大きな目的” がありました。
その目的は、「自由を感じたかったから」です。
人生を思いっきり楽しめるような「自由」が欲しかった。心の底から笑えるように遊びたかった。
先に述べたように、僕はずっと死にたがっていました。
自分の力では、どうにもならないこの世界に絶望し、途方もない虚無感に襲われ、それがいつからか孤独を呼び込み、僕を苦しめていった。
そんな状態にいたからこそ思ったんです。
僕は “自分の人生を「幸福」だと言えるのか” と。
これだけ「死」と向き合ったのだから、もう少し「生」を満喫してもいいんじゃないかと。
こんな状態のまま死んだら、僕という人間が、僕の身体が、可哀想じゃないかと思ったんです。
そんな状態の時に進路選択を迫られたので、僕は迷わず “進学” を選びました。
大学は “人生の夏休みだ” と聞いたことがあったから。就職するよりも、大学に行ったほうが ”自由になれる“ と思ったから。
ちゃんと自分の人生を楽しみたかったので、家を出ることも決めていました。
地元は親や友達がいるけれど、僕にとっては “実家” という場所が「失敗を経験した場所」だったから、どうしても離れたかったのです。
“変えられない現実を体験した場所” だったから、その場所に留まっていたら、本来の姿で心の底から笑えるとは思わなかったから、家を出ました。
「一人暮らし大変?」と聞かれることがありますが、僕は大変だなんて微塵も思いません。
家事は実家で手伝っていたからある程度できていたし、なにより “一人” で住んでいたけれど、“独り” ではなかったから。
“独り” のときと比べたら、こんなもの辛くもないし、大変でもない。
「大抵のことは死んだりなんてしない」から、あの時よりも辛いことなんて、ほとんどないのだと思う。
そんなことを考えながら、大学生活を過ごしていきました。
「死」以外のことは怖くないから、それを武器に大学ではやりたいことをやりました。
普通の生活ではできないようなことにもチャレンジしてきたし、全力で生きていくことができた。
そのため、自由になれたと思うし、心の底から笑うことができた。
僕は大学に行く “目的” を達成することができました。
成績は低かったし、問題児のような行動をしていたので、教授からは厄介者扱いされていたようですが、それは僕にとって、“考えること” ではありませんでした。
“目的” さえ達成できればそれでよかった、大学を楽しめればよかったんです。
だからたくさん遊びました。
“楽しむ努力” をしました。
そのため、とても楽しかった。
楽しんでいたから、周りにもそれが伝わったのだと思います。「明るい」「輝いている」と言われるような人間になれた。
その結果、思いっきりふざけあえる友達、心から信頼できる仲間、尊敬できる人達とも出会うことができた。
大学での生活の全てが、僕にとって “かけがえのないもの” となりました。出会ってくれた皆に感謝しています。ありがとう。
自由を感じるために、楽しむために、“遊ぶ努力” をした人ってあまりいないのではないかと思います。
そんな変わった努力をした人間が、これから社会に出てどうなるのか、それが自分でも楽しみです。
これからは社会人として頑張っていきます!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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