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かかわり

退院後の生活のなかで
人やものや、組織や社会、もっとおおきなもの
いろんなものとのかかわりのなかで
わたしは生きているんだなと感じることが多くなった

人とものがあって、学校という大きなかたまり、病院というもっと大きなかたまり、さらに大きな社会というかたまりがある
わたしの精神も
そういうので、作られてた

ぜんぜん意識してこなかった
わたししかいない世界くらいに思っていた
だってわたしがいなかったら、わたしの世界はないから
ちょっと合ってて、ちょっと違った

みんな、全員がそれぞれの世界を作っていた
わたしがいなかったら、わたしの世界はないということと同じように、そのひとがいなかったら、その人の世界はなくて
その世界とのかかわりがあることを知らなかった
知らなかったわけではないけど、無視してきたのかな

言葉にしにくいから、抽象的にしか書けないけど
人やものがつくる世界とかかわりについてちょっとわかった気がする


それぞれが作っている世界は
明確な形がなくて
質感もちがう
色もちがうと思うし
きっと大きさもちがう
それで、絶えず移ろっていくものだとおもう
移ろう動きとか、はやさも、ちがうとおもう
もっと言うと、作っている世界の最小単位は粒で
物質と同じように、粒の構成によって
形、質感、色、大きさとかが決まるんだと思う
そこにエネルギーが加わって、移ろう動きとかはやさが
決まるんだと思う


たとえば、銀ぎらで、とげとげで、小さな世界をつくっている人が
薄黄色の、大きなわたがしみたいな世界をつくっている人と出会って、一対一のかかわりをもったとき
わたがしが形をかえて、とけどけを包むかもしれないし
とげとげが刺さって、わたがしを裂いてしまうかもしれない
わたがしが形を変え続けたら、とげとげと擦れて、削れて
球体になるかもしれない
わたがしが裂けたら、雲になって、雨になって
ぎんぎらのとげとげを溶かすかもしれない
裂けちゃう前に突然変異して、カチカチの黄色い氷になって
とげとげと衝突するかもしれない

ちいさな黒い粒のような世界をつくっている人が
たくさん集まったら、大きな黒い液体になって
その近くで赤い赤い霧のような大きな世界をつくっているひとがひとりだけ、いたとしたら
黒いちいさな粒たちが作った液体に、津波みたいにのみこまれて、ぐちゃぐちゃになって消えてしまうかもしれない
もしかしたら、赤い赤い霧が、黒い粒たちを燃やしはじめて
とっても大きな赤い霧が、発生して、赤い雨を降らせるかもしれない
黒の液体と、赤い赤い霧が混ざって、赤黒い水蒸気になって漂うかもしれない


もも色の小さな粘土みたいな世界と
深みどりのほそい管みたいな世界と
橙色のつよい光みたいな世界とが
三角に
かかわりあったら
もも色の小さな粘土には、深みどりのほそい管がまとわりついて、ときには貫いて、深みどりのほそい管には、橙色のつよい光があたって、乾いてくる、橙色のつよい光には、もも色の小さな粘土が影をつくる
いびつな影ができて、つよい光がすこし減る
乾いた深みどりの細い管は砕けて、もも色の小さな粘土と一体化していく、するともも色の粘土と、深みどりの管だったもののかたまりがつくる影はさっきの影とは大きさも形もちがっていて、もしかしたら、きれいな影ができているかも

ずっと、絶えず、変わっている
それぞれの世界は意図的に作り変えることもできるし
そうできないときもある
それは、わたしもみんなもおんなじ
だから、かかわり は
無限の通り道があって、無限の方向にすすむ
だから、かかわり とは
刹那的でとても愛おしいものだと思った、さいきん
あと、ある程度の予測はできるけど
ときに考えもしなかったものにかたちを変えたりするから
とてもおもしろいものだなと思った、さいきん


集まってできた世界は、たぶん簡単には作り変えられない
ポッとたまたまできたり、意図的につくったりした(たぶんとてもむずかしい)みんなが形をかえやすい世界に
とても大きなエネルギーをもってきてはじめて
集まってできた世界をうごかしたり、作り変えたりできるのだと思う
わたしには、方法がわからないし、今はやりたいとも思わない
わたしと、その周りの世界とのかかわりの中での
たのしさを、やっと見つけたところなので



これもあたりまえのことなのかな?
ちょっとスピなのかな?



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