法律家としてのアンガジュマン(第1号)
近況のご報告
前の投稿から、時間があきました。何をやっていたかというと、自分の視野を広げるべく、いろいろな社会問題についても考えようということで、一つの側面として、(私が法律関係の仕事に従事していることもあり)法学の観点から、物事を考えておりました。
その中で、気になるワードとして「公共訴訟」を見つけました。一般的に、弁護士が代理する訴訟というと、離婚や相続といったいわゆる一般民事というものや、刑事事件を思い浮かぶ人が多いと思います。
そのような考えを自分も抱いていたので、上記の通り、「公共訴訟」とはなんぞやということで、気になった次第です。
公共訴訟とは
「公共訴訟」とは、近時専門家集団によるチームとして作られたLEDGEによれば、下記のとおりとされています。
なお、LEDGEについては、「LEDGEは、この公共訴訟を支えるために作られた、各種専門家によるチームです。私たちは、戦略と、プロフェッショナリズム、そして情熱で、法を変え、社会を前に進めます。」という志のもと、集まった専門家集団であり、私も、ごく最近になり知りました。いくつか、現在進行形で訴訟が動いているものもあり、この機会に、LEDGEが取り組んでいる(現在進行形である)訴訟のうち、レイシャルプロファイリング訴訟でLEDGEが裁判所に提出した訴状の内容を見て、いくつか外野からの批判的な視点での支援をしたいと思います(以下からは、である調に変えることご容赦ください。)。
訴訟で提出した資料、相手方からの反論等を含む訴訟経過については、以下のHPで把握できます。広く皆さんに問題意識が伝わるよう、わかりやすい資料もありますので、是非ご参照ください。
CALL4|社会課題の解決を目指す“公共訴訟”プラットフォーム
レイシャルプロファイリングとは
そもそも、レイシャルプロファイリングとは何だろうか。国連の団体である国連人種差別撤廃委員会(CERD)が2020年に採択した一般的勧告によれば、大要、以下のように説明される。そして、実際に日本でも、レイシャルプロファイリングを窺わせる実態について調査がされている(例えば、東京弁護士会は、2024年3月27日付け「職務質問におけるレイシャルプロファイリングに関する意見書」を提出していることについて、20240327ikensho.pdf)。
次の項目では、原告(その訴訟代理人)が提出した訴状(必要に応じて、要約版を参照する。f30e581986a0e07c9013367034b9ad96.pdf)について、専門的な用語が多くなり、わかりにくくなるが、これが原告弁護団の援護射撃の一環となることを祈り、いくつかの批判的なコメントをしたい。
訴状の具体的な検討
実際にレイシャルプロファイリングと窺われる職務質問がなされたことに対する損害賠償請求の主張構成・及びその具体的内容
訴状(ad1dbcd370a7ece6927e1e5aa9c014ee.pdf)10頁の項目「第2 原告らが受けてきた職務質問について」で、原告それぞれが、「レイシャルプロファイリング」と原告が主張する職務質問がなされたことを主張している。
まず、第一に、今回問題視しているのは、まずもって原告らに対する職務質問が不適法であるところ、結局のところ、本来、①原告らに対する職務質問がなされた場面は職務質問をするような場面ではないにも拘わらず、②職務質問が原告らに対してなされたというところが出発点であるはずである(それにも拘わらず、職務質問をしてきたのは、他ならぬレイシャルプロファイリングであるという流れであるはずである。けれども、訴状を見るに、その後、本件事案は横に置かれて、全国的なレイシャルプロファイリングの運用自体の違法性に焦点が移ってしまっており、この点に大変違和感を覚えた。)。
そうすると、構成上の話として、
①職務質問権限を警察官が行使してよい場合の要件(具体的には警職法2条1項では、「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる」)を述べ、
②本件事案において、そのような要件を満たすような事情が一切窺われないことを指摘しなければならない。
※なお、原告らによる求釈明申立書で、被告東京都及び愛知県に対する資料について釈明を裁判所に求めている点は上記の点に関する被告らの主張の根拠の脆弱さを明らかにするものとして有効である。
しかし、この点について、訴状10頁以降を見るに上記①を冒頭に述べるという作業が欠けており、上記②について現場の状況を記載するのみで、それに対する評価が抜けている。この点は事実を記載すれば明らかだからかもしれないが、そうであれば、そのような評価を明示的に述べるべきと考える(なお、31頁「第5」まで読み進めると上記評価がなされているが、主張構成がきれいに明示されていない以上、裁判官が読み進めるにあたって上記違和感を抱かれてもあるいは読みにくいと評価されてもやむを得ないと思われる。)。
なぜこのようなことを思うかといえば、訴状13頁第3の項目で、「上記のような原告らに対する職務質問は、外国人または外国ルーツの見た目であることを理由として捜査対象とするレイシャル・プロファイリングである。」と唐突に断定していることに違和感を覚えたからである。具体的にな解決方法としては、本件運用については、「本件運用(後記●で定義される。)」という形で、項目を後ろに置くことは、(形式的なコメントであるが、)見やすさという観点からは重要と考える。
極端な話、怪しい動きをしていれば、本件の原告のような容姿であろうとなかろうと、職務質問は適法である可能性はある。
ここでは、職務質問がなされる場面として、具体的にどういった場面が典型的なのかについて、(個別の事案を拾い上げることは困難であるから、オンライン等で入手可能な)何かしらの裁判例等を用いて(訴状30頁で若干の言及があるが、訴状13頁とは複数頁またぐ必要があるという点で参照しにくいだけではなく、具体例を用いていない点でなお不十分と個人的には考えている。)、簡単にでも述べ、本件事案との明らかな差異を明示的に浮き彫りにすべきだったのではないか。
第二に、ここで、当事者である原告らに生じた損害(毀損された法益)は何だったのかについても、より正確に位置づけらた緻密な主張が必要だったのではないか。
この点は、本件運用という全体的な警察行政の動向の違法性確認(訴状24頁第4と思われる。)の中で大雑把に主張されている。
しかし、そもそも、請求として、個人に対する賠償を求めているのだから、原告個々人に対して保護されている法益はどのようなものだったか、どのような形態で侵害されたのかの主張についても必要だったはずであり、訴状の中での記載位置について緻密な検討が必要だったのではないか。
すなわち、請求として、大要、①個々人に対する損害賠償請求と、②組織全体のレイシャルプロファイリングの違法性確認に分かれているのだから、訴状の構成もしっかりと分けるべきであるが、①に必要な主張が、②に挿入されているため、全体的にわかりにくい構成となっている感は否めない。
その上、第5(訴状31頁以下)、第6(訴状35頁以下)まで読まないと把握できず、非常に読みにくいし、36頁では「多大な精神的苦痛」とまとめられて、「憲法上も保護され、又は保護されている権利利益」への言及はどこにいったか所在不明である。
ここでは、おそらく、「差別」という言葉で十分伝わるだろうという意図を読み取ることができるが(これは、平等条項である憲法14条→憲法13条の順で論じていることから推察している。)、具体的に原告らは何に傷ついたか。
ここでは、日本国憲法制定直後の最大判昭和23年3月24 日裁判集刑1号535 頁以来76 年ぶりに「憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重を宣言している」と明言した、旧優生保護法違憲判決(最大判令和6年7月3日裁判所ウェブサイト(令和5年(受)第1319号国家賠償請求事件))が参考になろう。もちろん、この判決自体は、訴訟提起後になされた判決であり、直接の参照は時系列的に不可能であるから、そのようなことは求めない。
もっとも、当該判決について述べられる「特定の障害等を有する者が不良であ」るという評価を下す場合とは、もう少し抽象化して定式化すれば、(さしあたり国家が)「特定の属性を有する者が不良である」という否定的評価を下す場合であるが、これは、このような場合は全て「個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」と考えられると思われ、いわゆる「属性」に基づく「差別」とされる事案が、概ね入り込んでくるのではないかとの指摘もなされており(檜垣宏太「判批」広島法学48 巻 2 号)、この点は、本件でも極めて重要な参照価値を有すると考えられる。
この点で、レイシャルプロファイリングは考慮禁止要素を考慮しているという点で違法であり、かつ、「憲法上も保護され、又は保護されている権利利益」の重要性に伴い、その違法性は重大なものであると考えられる。このことは、後々問題となる、被告国の反論書面である準備書面(1)「第3 被告国の主張」の1(1)で「ここで国賠法1条1項にいう「違法」とは、該公務員が個々の国民に 対して負担する職務上の法的義務に違反することをいい・・・・」との主張についても、効いてくるはずであるので、今後の訴訟展開で主張する必要性は高いと考える。
さらに、違憲の理由付けにおいて最高裁としてはじめて、日本国憲法における包括的基本権規定であるとされる憲法13 条の保障内容について、「人格的生存に関わる重要な権利」が保障されているとした性同一性障害特例法3条1項4号が憲法13 条に違反し無効とされた決定(最大決令和5 年10 月25 日裁判所ウェブサイト)は既に訴訟提起前に存在しているから、当該判決を参照レベルで言及することはできたのではないか。
当該判決は、依然日本社会においてトランスジェンダーに対する偏見が根強くあることを踏まえると、非常に重たく受け止めざるを得ない判決であるが、今回問題視しているレイシャルプロファイリングも、(少なくとも警察内部での)偏見が根強くあることも斟酌するとそこに共通項を見いだして訴状においてその旨言及すべきだったのではないか。
※なお、要旨として「公立図書館の図書館職員である公務員が、図書の廃棄について、基本的な職務上の義務に反し、著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは、当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。」とした最判平成17年7月14日民集第59巻6号1569頁も参照価値があるように思われるが、検討が未熟であるため更なる言及は控える。
条約との関係性について
訴状27頁では、下記引用のとおり、レイシャルプロファイリング(全国の警察で行われていると主張する運用を「本件運用」と訴状では定義付けている。)が人種差別撤廃条約違反であることを主張する。
この主張自体について違和感を覚えるわけではないが、より重厚なものにするために、例えば、齋藤正彰『多層的立憲主義と日本国憲法』(信山社、2022年(初出2013年))で提示されている、国際法調和性の原則という視点を十分に盛り込んでも良かったのではないか。これは、泉徳治「最高裁の「総合的衡量による合理性判断の枠組み」の問題点」石川健治ほか編著『憲法訴訟の十字路』(弘文堂、2019年)の「条約適合審査」(382頁以下)での指摘も踏まえたものである。なお、15年前の論文ではあるが、日本の裁判所の条約に対する消極的なスタンスについては、石川健治「「国際憲法」再論-憲法の国際化と国際法の憲法化との間」ジュリスト1387号(2009年)の脚注17)でも触れられている。
また、夫婦別姓を認めていない民法750条が憲法24条1項に違反しないとした最高裁令和3年6月23日大法廷決定において付された宮崎・宇賀の両裁判官反対意見の参照可能性はなかったのかと考えさせられる。
これらの反対意見では、法的拘束力を有する条約ではなく、国際機関の委員会による「勧告」それ自体が法的拘束力を持つわけでないものの立法府の裁量逸脱濫用の根拠の1つとして位置づけている。今回は、警察権の行使、すなわち警察行政権の行使であるから、立法府の裁量に関する話ではない点で全く同じというわけではないが、法的拘束力をもたない「勧告」でさえも、このような受け止め方がされたことについては一定の参照価値はあったと思われる(なお、被告国の準備書面(1)16頁で勧告に法的拘束力はなく、「一般的勧告が法的拘束力を有することを前提とする原告らの前記主張は、その前提を誤ったもの」と述べられている。これ自体の主張の合理性はともかく、一見して隙をつかれた印象を受ける。)。
この点、訴状段階で何らかの補足や関連する資料の参照・引用があったのでもよかったのではないかと思われる(個人的には、参照可能性があるものは換骨奪胎してでも、密かに参照する余地を探ることは重要と考える。)。
訴状「第7 違法確認請求が認められること」について
訴状を見るに、この点は、ごく簡単に触れられるのみであり、この点についても、請求の趣旨第4及び第5を認めさせるために重厚な論証が必要だったのではないかという印象を拭えない。この点、参考になるのは、なお、原告らが主張する、権利又は法律上保護される利益侵害事案の場合の違法性の捉え方については、中川丈久「国家賠償法1条における違法と過失について-民法709条と統一的に理解できるか」法学教室385号(2012年)72頁において引用されている判例及びその分析が参考になろう。
その上で、違法性の主張において、上記文献で引用されている判例との比較で上記の「憲法上も保護され、又は保護されている権利利益」の重厚な主張がcrucialと考えられるし、当該判例よりも、一層深刻な問題であることが浮き彫りになろう。
被告らの反論への違和感
ここでは、個別に被告ら側の準備書面を見て、違和感を覚えた箇所を思いつきレベルで、述べる。
まず、被告国の準備書面4頁第3の1で、
「国賠法1条1項にいう「違法」とは、該公務員が個々の国民に 対して負担する職務上の法的義務に違反することをいい(職務行為基準説・・・」と述べ、複数の最高裁判例を引用しており、最高裁判例の立場を断定しているように思われる。しかし、この点については、事案ごとに原告がどのような利益、法律上保護される利益を侵害されたかという問題設定によっていわゆる公権力発動要件説と職務義務違反説の対立が左右されるところは、中川丈久「国家賠償法1条における違法と過失について-民法709条と統一的に理解できるか」法学教室385号(2012年)72頁・95頁において指摘されているところである。また、参考として、山本隆司『判例から探求する行政法』(有斐閣、2012年)541頁以下も挙げる。もっとも、これ以上は深く立ち入らない。
より、実質的な話として、被告国は「当該公務員が、個別の国民との関係で職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と当該行為をしたと認め得るような事情がある場合に限り、違法の評価を受けるものと解するのが相当であるとされている」と述べているが、本件では、本件職務質問が、個別の警察官の言動や周囲の状況、及び、当該職務質問が差別的動機に基づくものであることが強く推認されるから、「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と当該行為をしたと認め得るような事情がある場合」に該当すると考えられる(なお、この具体的な当てはめは立証責任の観点からか述べていない。)。
また、職務質問は作為の話であるにも拘わらず、その後、国側の反論は「公務員の不作為が国賠法上違法となるのは・・・」と続けており、この点も、作為の問題が、不作為の問題へとすり替えられている(不作為に関する争点は、訴状請求の趣旨第4以降の話ではないだろうか。)。
その他にも、組織論の形式的な話に立ち入っており、実質的な反論は見られない。
この点は、論点錯綜を解消するために裁判所の訴訟指揮に期待するほかない。
その他、被告らの書面では、差別的な意図に基づく発言ではない等と反論する箇所もあるが、無意識な差別(unconscious bias and stereotype images)も、また意識的な差別と同等、あるいはより一層問題として根深いことをあらわにしたものであり、当時の警察官の認識として差別はなかったという点は全く以て単なる言い訳にすぎない問題を自白したに等しい。
おわりに
レイシャルプロファイリングは非常に深刻な問題であるが、訴訟提起に際しては、原告となってくれる方が必要である。
そして、今回自ら原告となることを決心してくれた方がいる。そして、その方が感じた苦痛は深刻なものであろう。
そして、訴状の内容を見るに、警察内部でのレイシャルプロファイリングの事態は異常と言わざるを得ない。
本件は一筋縄ではいかない訴訟だと思われるが、このような警察内部での運用ないし実態が速やかに解消されることを願って止まないばかりである。
以 上