五歳息子をYouTube悪から守る
EGU理学療法室
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「つまんない!」
「ぼくはバカなんだ・・・。」
「あーーーーーーっ!!」
なんだか、最近、5歳息子の様子がおかしい。
すぐにキレやすし、すぐに自己否定する。。。
いじけたり、怒ったり。
出来ないことを極端に嫌ったりする。
保育園からも「よく見てあげてください。」と
情緒不安定で、やはりおかしいというお話しがある。
一体なぜ?
5歳と言う年齢、時期的なものかな。とは思ったし、成長の過程なのかな。と、周りから言われたけれども、どうもおかしい。
本人もストレスが溜まっているみたい。
夜中も泣き叫んだり、怒ったり、寝言ですら怒って泣いている。
(さすがにおかしいよね。)
そこで、生活を見直してみた。
このコロナ渦中で、変わったと言えば、ipadを与えてYouTubeを観れるようになったこと、スマホゲームを解禁したこと。
これが原因かは分からないけれど、息子の周りにある遊びが、正解か不正解しかない遊びに多くの時間を割いていたこと。
できた!orできない!の二択しかない世界。
YouTubeも面白い!か面白くない!のどっちか。
ゲームもそう。
それは一見、2択で、できることだけやればいい。ってなりそうな良い話になるだろうけれど、世の中ってその2択でできていたっけ?
できない。無い。
~だったら、こうしよう!って発想の機会を奪っている。
無いモノから生み出す。その能力を育成する機会を奪っている。
・
ある4歳の息子さんをもつ母親が言っていた。
「うちの子もそう。ドラえもんの15分でさえも観てられなくなっちゃっていたんです。」
ドラえもんとか、アニメは起承転結がある。
YouTubeは再生回数を稼ぐために、起承転結を無視しないと無理と言うか、はじめっからぐちゃぐちゃ楽しく魅せる。
(TikTokなんて最たるものだよね。)
エンタメとか、真に面白いことって、面倒なことの先にある。
起承転に、伏線が張られていて、結で、「あぁ!」って気づかされること。
その衝撃は起承転を味わわないと得られないもの。
(YouTubeはそれを奪っている!)
・
そこで、無理やり、YouTube・ゲームを禁止にしてみた。
いや、発狂するかなって思ったの。
「ぎゃー!ずるいずるい、大人だけ!YouTubeみたいーーーっ!!」
たしかに、怒っていたけれど、すぐに次の遊びに行くんだよね。
(なめてたわ、子どもの対応力。よく納得できるね。)
それほど、親の影響力ってすごいんだな、怖いな。と思ったし、
しっかりしなきゃな。って思いました。
(子どもはそれほど、親が与える環境に依存している。当たり前かもだけど、気をつけて!)
・
正解か、不正解か。
できるか、できないか。
そういう遊びは楽しいし、注意をひくし、集中力を生むけれど、すぐに飽きる。
(YouTubeの素晴らしいところでもあり、すごい怖いところでもあるのは、
それを量で補うからエンドレス。)
そういう遊びばかりの環境にいれば、すぐに飽きる子になるし、
できないことは嫌がるし、できるかできないかの世界にいるから、
できない自分を認めたくないし、できない他人を嫌う。
俗にいう。
『物は溢れているけれど、心は貧しいね。』
という状態を創りだしているということになる。
・
もっと、無いモノから生み出す遊び
・ねんど
・森で遊ぶ(虫や魚を獲るためにどうしたらいいかな、とか)
・パズル
など、正解がない。
評価されない。
そういう遊びを多く与えないといけなかった。
だから、最近、息子は褒められるのを嫌ってきた。
そうなんです。
ここまできたら、早めに気付いた方がいい。
本来、承認欲求は人間だれしもあって、褒められるっていうのは喜びに代わって、得意分野や才能を伸ばすものなのに。
評価されるのを嫌う。
そういう状態を創り上げてしまっている。
・
これはまずい!!
YouTubeから引き離してみて、今は穏やかになっています。
寝言も泣かないし、キレづらくなった。
(本当に子どもの対応力はスゴイ)
ある日・・・
家族全員で、TVをみていました。
(自衛隊の特集番組だった)
妻が、息子に。
「あれ、何か知っている?」
と、問いかけた。
これだ!!
って、思いました。
・
こういう場面ってもう、何ヵ月ぶりだろう。
家族が一つの物を一緒に見ている。
見てコミュニケーションをとっている。
この時の母親からの問いかけ、会話で、社会との関わり方を学んでいたんだ。
YouTubeはその機会を奪っていたんだ!!
そう気づきました。
もちろん、YouTubeの良い所もありますが、危ないところも多々ある。
みなさんも気をつけてください。
それでは、音声でもどうぞ!
⇩
「ぼくはバカなんだ・・・。」
「あーーーーーーっ!!」
なんだか、最近、5歳息子の様子がおかしい。
すぐにキレやすし、すぐに自己否定する。。。
いじけたり、怒ったり。
出来ないことを極端に嫌ったりする。
保育園からも「よく見てあげてください。」と
情緒不安定で、やはりおかしいというお話しがある。
一体なぜ?
5歳と言う年齢、時期的なものかな。とは思ったし、成長の過程なのかな。と、周りから言われたけれども、どうもおかしい。
本人もストレスが溜まっているみたい。
夜中も泣き叫んだり、怒ったり、寝言ですら怒って泣いている。
(さすがにおかしいよね。)
そこで、生活を見直してみた。
このコロナ渦中で、変わったと言えば、ipadを与えてYouTubeを観れるようになったこと、スマホゲームを解禁したこと。
これが原因かは分からないけれど、息子の周りにある遊びが、正解か不正解しかない遊びに多くの時間を割いていたこと。
できた!orできない!の二択しかない世界。
YouTubeも面白い!か面白くない!のどっちか。
ゲームもそう。
それは一見、2択で、できることだけやればいい。ってなりそうな良い話になるだろうけれど、世の中ってその2択でできていたっけ?
できない。無い。
~だったら、こうしよう!って発想の機会を奪っている。
無いモノから生み出す。その能力を育成する機会を奪っている。
・
ある4歳の息子さんをもつ母親が言っていた。
「うちの子もそう。ドラえもんの15分でさえも観てられなくなっちゃっていたんです。」
ドラえもんとか、アニメは起承転結がある。
YouTubeは再生回数を稼ぐために、起承転結を無視しないと無理と言うか、はじめっからぐちゃぐちゃ楽しく魅せる。
(TikTokなんて最たるものだよね。)
エンタメとか、真に面白いことって、面倒なことの先にある。
起承転に、伏線が張られていて、結で、「あぁ!」って気づかされること。
その衝撃は起承転を味わわないと得られないもの。
(YouTubeはそれを奪っている!)
・
そこで、無理やり、YouTube・ゲームを禁止にしてみた。
いや、発狂するかなって思ったの。
「ぎゃー!ずるいずるい、大人だけ!YouTubeみたいーーーっ!!」
たしかに、怒っていたけれど、すぐに次の遊びに行くんだよね。
(なめてたわ、子どもの対応力。よく納得できるね。)
それほど、親の影響力ってすごいんだな、怖いな。と思ったし、
しっかりしなきゃな。って思いました。
(子どもはそれほど、親が与える環境に依存している。当たり前かもだけど、気をつけて!)
・
正解か、不正解か。
できるか、できないか。
そういう遊びは楽しいし、注意をひくし、集中力を生むけれど、すぐに飽きる。
(YouTubeの素晴らしいところでもあり、すごい怖いところでもあるのは、
それを量で補うからエンドレス。)
そういう遊びばかりの環境にいれば、すぐに飽きる子になるし、
できないことは嫌がるし、できるかできないかの世界にいるから、
できない自分を認めたくないし、できない他人を嫌う。
俗にいう。
『物は溢れているけれど、心は貧しいね。』
という状態を創りだしているということになる。
・
もっと、無いモノから生み出す遊び
・ねんど
・森で遊ぶ(虫や魚を獲るためにどうしたらいいかな、とか)
・パズル
など、正解がない。
評価されない。
そういう遊びを多く与えないといけなかった。
だから、最近、息子は褒められるのを嫌ってきた。
そうなんです。
ここまできたら、早めに気付いた方がいい。
本来、承認欲求は人間だれしもあって、褒められるっていうのは喜びに代わって、得意分野や才能を伸ばすものなのに。
評価されるのを嫌う。
そういう状態を創り上げてしまっている。
・
これはまずい!!
YouTubeから引き離してみて、今は穏やかになっています。
寝言も泣かないし、キレづらくなった。
(本当に子どもの対応力はスゴイ)
ある日・・・
家族全員で、TVをみていました。
(自衛隊の特集番組だった)
妻が、息子に。
「あれ、何か知っている?」
と、問いかけた。
これだ!!
って、思いました。
・
こういう場面ってもう、何ヵ月ぶりだろう。
家族が一つの物を一緒に見ている。
見てコミュニケーションをとっている。
この時の母親からの問いかけ、会話で、社会との関わり方を学んでいたんだ。
YouTubeはその機会を奪っていたんだ!!
そう気づきました。
もちろん、YouTubeの良い所もありますが、危ないところも多々ある。
みなさんも気をつけてください。
それでは、音声でもどうぞ!
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