コロナ後のまちづくりを考える—PubCreate原田さん、岡山大・岩渕さんとの鼎談から
コロナ禍において、急激にオンラインイベントが広まってきた。ご多分に漏れず、私もzoomなどを使ってこれまで何度かオンラインイベントに登壇する機会があった。
オンラインイベントだと、画面共有がしやすかったりと便利な反面、リアルな会場だからこその空気感とか、来場者のうなずきで感じる理解度や話がウケてるポイントといったものが、どうも、オンラインイベントだと難しい気がしてならない。
オンラインイベントは、どちらかというと一人がわっとしゃべるプレゼン的なものよりも、鼎談とか数人で一緒に話したりするようなものが向いているのでは、と思ったりする。
岡山との関わり−石山公園を軸としたエリアマネジメントに向けて
昨日の夜は、岡山で活動している原田謙介さんと、岡山大学・地域総合研究センターの岩渕泰さんとのトークイベントに参加した。実は、岡山はここ最近ご縁ができた地域でもある。
現在、岡山市の中心地にある石山公園という場所がある。地域の人たちの憩いの場所として親しまれているこの公園は、江戸時代から街の象徴的な建物である岡山城の足下にあり、また日本三名園のひとつに数えられる元禄文化を代表する庭園「後楽園」を結ぶ公園だ。また、周辺地域には岡山県立美術館など多数の文化施設があふれる文化資源の宝庫のエリアで、地域の人たちも「岡山カルチャーゾーン」という名称として知られているエリアだ。
この石山公園の再整備およびパークマネジメントの導入に向けた検討や実証実験を行う事務局であり、地域コミュニティづくりやまちづくりに長年取り組んでいるNPO法人ENNOVA OKAYAMAさんとご一緒させていただく縁ができた。
現在、石山公園活用検討委員会というパークマネジメントの導入とその先のエリアマネジメントの推進に向けて取り組んでいるENNOVA OKAYAMAさんの活動に協力しながら、先の岡山カルチャーゾーン全体の活性化を図り、地域の様々な施設や民間団体、行政らと連携しながら、エリアマネジメントのための体制作りといった戦略策定や地域ブランディングのための取り組みに関わっている。
コロナ後の地域のまちづくりを考える
こうしたご縁もあり、岡山で活動している様々な方々とここ数年お会いするきっかけが増えてきた。もともと、原田さんとは学生の頃からの付き合いで、彼が東京で若者の政治参加や若者教育の活動を支援していたこともある。現在は岡山に帰って市民参加型の社会作りに取り組んでいる。
そうしたご縁もあって、今回、原田さんと岡大でまちづくりに取り組んでいる岩渕さんとのトークとなった。テーマは「コロナ後の地域のまちづくりを考える」。時間も当初は1時間を予定し、結果的に、1時間半近くのものとなった。内容は色々と多岐にわたりなかなかに面白い話となった。まずは、それぞれ自己紹介を兼ねつつ10〜15分程度、現状の課題や問題提起へ。
岩渕さんはご自身が岡山の地域で活動している取り組みをフックに、リアルに集まりづらくなった中において、まちづくりは「人が集まること」を前提としていた。いかにして「人が集まらない」でまちづくりができるかを考えること。とはいえ、身体的なコミュニケーションは孤立や孤独の問題などとも密接に関わってくるからこそ、交流そのものの価値が必然的に高まってくる時代において、まちづくりそのものが地域それぞれの特性や課題にあった形で最適化していくことが求められる、といった内容をお話いただいた。
私からは、シビックプライドの考え方をもとに、人の愛着や都市とのコミュニケーションの重要性がこれまで語られてきた中において、コロナをきっかけに人の交流がなくなったり一部の偏ったものだけになることによって、ネットワーク理論における複雑性が減少し、より単調なコミュニケーションになっていく恐れがあると指摘。いかにして外部性を取り込んでいくかをより意識していきながら、オンライン、リアルを融合させ、地域に関わる人を増やしていくかを新たな考えから見いだしていく必要があるという話をした。
人がリアルに集まることの偶発性や価値の再発見
ここからは、原田さんと岩渕さんとでの鼎談へと移行していった。人がリアルに集まることで生まれる偶発性は、オンライン化に移行したことによって生まれにくくなった。例えば大学のキャンパスはそうした偶発性や学生同士の出会いの場を作る装置として機能していてことを、改めて実感するようになった。
また、世代間においてもコロナの影響にも違いがでてくる。20代や30代など、働き盛りの世代は、どうしても通勤や日々の買い物、趣味や子供の登園、休日のお出かけなどで人との接触ができてしまう。それぞれの世代においてコロナの問題の受け止め方が違う中、世代間の考えを互いに理解する機会が無いことが、結果として世代間格差にもつながりかねない。
テレワークの功罪—雇用と居住地のアンバンドルの先にあるもの
議論のなかで私が提示したものとして、大企業のテレワークが推進される一方、企業の雇用条件から居住地をなくし、どこに住んでいても採用するという取り組みを始めた企業が出てきた。コロナをきっかけに地方移住やUターンする人も増えており、コロナが収束した後はますます移住が加速していくと思われる。こうした流れは、企業側や雇用される側にとって良い影響がある一方、地域の中小企業にとっては難しい問題に直面することになる。
それこそ、これまでは雇用と居住地はある程度は一体化してきたからこそ、多くの人は東京など都心や都心郊外に住み、通勤や仕事をしてきた。今後、雇用条件から居住地の制限が緩和されると、どこに住んでいても仕事ができる。しかし、その仕事はいまだ都心部や大手企業の仕事がテレワーク化されただけでしかない。
これまでは、地方への移住をきっかけに、年収は多少少なくなるものの、地元の中小企業で働いたり独立や起業したりする人もいた。しかし、人という人的資源が、都心部や大資本の仕事に結びついたまま、身体や住む場所は地方で生活する。そうすることで、人材の流動性が減少し、雇用だけが大都市圏や大資本に結びついたまま地域への知的資源、人的資源が流れていく機会が減衰していく恐れがある。結果として、地域の基盤が次第に薄まっていくのではないか、という課題が今後でてくる可能性がある。
また、テレワークができる職業や職種そのものがある程度限られた仕事でしかないということも一つある。ものづくりや製造業、飲食店、旅館、サービス業、介護や医療といった、物理的、身体的な接触や身体的な行為でしか労働できない職種もある。テレワークなど遠隔で仕事ができるホワイトカラーとエッセンシャルワーカーやブルーワーカーによる格差や人材の流動性という意味においても、地方が次第に人的な雇用問題に直面していくのではないか。
給与水準などをみても、都市部と地方では物価の差が出てしまう。遠隔でも仕事ができる人にとってみれば、給与水準が高い仕事に就きたいと思うのは必然的だ。もちろん、お金だけが仕事のモチベーションではないかもしれないが、一つの要因としては大きい。やりがいや働きがい、地域社会をもり立てる役割であることの意義など、より地方で働くということを伝えていく必要があるだろう。こうした課題に、地方の中小企業は真に向き合っていかなければ、ますます採用や人材の確保が難しくなってくることは明白だ。
もちろん、仕事だけが地域に関わるものではない。岩渕さんからも、空いてる時間や日常的に地域に関わり、リソースを提供することによって、地域をよりよくしていく方法はあると話す。それは間違いない。であるからこそ、地域で長年過ごしてきた人たちこそ、こうした新しい世代や若い人たちが地域に参加する、もしくは参加したくなるような仕掛けを考えていくべきではないだろうか。そうしなければ、本当に、地域は衰退の一途をたどってしまいかねない。
世代間それぞれが向き合うべき課題
また、新型コロナがきっかけで地元商店や地域経済にも大きな影響を及ぼしている。都市部と違い、地方においては以前から空き家問題などがあげられていた。特に、空き家問題はシャッター商店街を例にあげるように、それそのものが地域の停滞をより悪化させてしまう。こうした空き家問題に対して、すでにいくつかの解決策が指摘されている中、その一つが資産所有者の社会的責任があるだろう。
地域は点と面が互いに作用しあっている。一つのお店が繁盛するだけでなく、そこから連鎖して商店街や地域を活性化するきっかけにもなる。また、昨今の「まちやど」のような街全体をホテルに見立てる取り組みのように、地域一帯の資源を活かした新たなプロジェクトを立ち上げることで、エリア全体の活性化にもつながっていく。しかし、そうした可能性や展開も空き家や空き店舗を所有するオーナー自身がそうした地域貢献への考えを持っていなければ難しい。コロナ禍をきっかけに、若い人たちへの挑戦や新たな変革期を迎えるタイミングの波をうまく見極め、若い人たちの活動を応援するような上の世代なりの責任や次世代へのバトンパスをうまく引き継がせていくかどうかが鍵となっていくはずだ。
雇用の問題、つながりの問題、新たな地域経済の作り方。コロナ後の地域のまちづくりはますます課題が多様化してきつつある。かつ、コロナの影響はまだまだ続く。いつ収束するかも見通しがつかない。仮に今は大丈夫であっても、夏以降、冬以降、どうなっているかわからない。
だからといって、今のまま手をこまねいてはいけない。従来の形式やあり方を取っ払って、新たな一歩を踏み出せるかどうか、誰かの新しい挑戦を応援できるかどうか。そこに地域の未来はかかっているだろう。