選ばれないことに苦しむ、孤独な創作者へ
舞台がないのなら作ればいい。セリフがないのなら書けばいい。選ばれないのなら自ら自分のための創作の筆を取ろう。
この記事は、いつかの悔しい気持ちを抱えたままの創作者へ、もしくは今もなお選ばれたいと足掻き続ける表現者へ。そして自分へと届いてほしい、あるひとつの企画とそれの制作過程の話である。
選ばれないことに苦しむ、孤独な創作者へ
読まれない、見られない、選ばれないー。
「こんなにいいものを書き上げたのに」「私の方があの人よりも見てもらえるように努力をしているのに」「毎日SNSに制作物をあげているのに」
選ばれなければ、見つけてもらえなければ、どんなにいいものを作ったって物語が始まりもしないのが現実だ。
クリエイター、音楽アーティスト、表現者。作り、見せることに関わるに人たちはこの肩書きに収まりきらないくらい大勢いる。
創作物を生み出し、評価を受け、また作り出す無限機関のような忙しない日々。
側から見れば生きがいだと楽しそうに映るかもしれないが、その内情はなかなかに厳しく、創作を素直に「楽しい」と言い切れる人間はどのくらいいるのだろうか。もちろん、そんな負の感情とは関係なく作り続けるタイプの人間もいるだろうが。
好きなことへの興味関心が途切れることはないし、自らの手で新しい創作を生み出せるのは楽しい。ただ、好きだからという理由だけでまっすぐに走れるほど純粋なものだけではできていない。
子供時代から現在まで創作活動や表現に携わることに励んできたが、インターネットやSNSが普及した昨今が一番意味もなく周りと比べてしまうことが多くなったと思う。
インターネットに作品を載せれば前の評価との差に落ち込んだり、同じような活動をしている人の人気や仕事ぶりが目に入ったり。こういったことが続くと、もういっそ作ることをやめよう、こんなに一生懸命書いたってそもそも読んでもらえないかもしれないのにと創作意欲にセーブかかかってしまうことも多くある。
私もこの数年何度もぶつかった壁だった。その度頭を悩ませ最終的には納得できる言葉に辿り着くものの、また同じ壁はやってくる。主な活動の場をインターネットにしていれば、評価は嫌でも気にしてしまうものだ。
だって、読まれたい。
自己満足で書いているものならトイレと同じで出せばスッキリするかもしれないが、私は読んでほしい。必要としている人に届いてほしいと思いながらいつも書いている。力を込めて書き上げたものが読まれないことはどうしたってつらく、筆を折る十分な理由にだってなり得るのだ。
そんな冬のある日のこと。
いつもお世話になっている私の好きなお菓子屋さんの店主さんとゆっくり話す時間があった。
店に入るとこんにちはー!の掛け声からはじまる、店主さんの人柄が滲み出るようなちいさく温かなお店。
晴れた日には店内を照らす木漏れ日がうつくしく、天気の優れない日は外の世界から離されたような静けさが心地いい。焼き菓子も季節の果物で作る飲み物も陽だまりのような優しい味がする。
頻度こそ多くはないものの、そんなお店の虜になり、もうかれこれ長いこと通っている。心が晴れの日も雨の日にも行きたいと思える、お守りみたいなお店だ。
ある日ふとした話からZINE(ざっくばらんにいうと個人が好きなテーマで作る冊子。雑誌のようなもの。即売会のようなイベントも開催されている)の話になり、私も興味があるようなことを話した時に店主さんから「やってみなよ」「できたら見せてー!」と声をかけてもらった。
長年写真を撮ったり、執筆したりを続けてきた私にとっては、自分の作品を何かにまとめるというのは小さな願望でもあった。ただ、作ったところで見せる相手もおらず、頒布する予定もない私は腰が上がらなかったのだ。
そんな願望を燻らせていたところに背中を押してもらった私は、ひょんなことからはじめてのZINE製作に取り掛かることに決めた。
はじめてのZINEを作る
今回作ろうとしているZINEについて
これは今回のZINEの製作過程を図にしたもの。
この記事を読んでZINE製作に興味をもった人のお役に立てればいいという思いも込めて、この順に沿って簡単に説明していきたいと思う。
詳細を語る前に、ざっくりと今回のZINE製作の方向性について。
ー準備をする
〈まずは簡単にどんなZINEにしたいのかを書き出す〉
私の場合はテーマは創作の記録。どんなまとめ方をしてどこまで収録するかを数案出した。今回は頒布も展示の予定もなかったが、だからこそ中途半端にならないよう完成予定日を設定し、詳細が決まった後は逆算して細かくスケジュールを決めた。
〈図書館で資料探し〉
私の場合ZINEを手製で作ることが決まっていたため、手製本などの本を読むことからはじめた。紙や道具の販売場所や、いくつもの本の綴じかたが載っていて参考になった。不器用な人には子供用の工作本なども合わせて読むことを勧めたい(子供でもできるような初歩的な本の作り方が載っている)
〈ZINEの収録内容の詳細を決める〉
◯どんな手段で編集を進めていくのか(エクセル、その他のアプリ、手書きなど)
私は今回iPhoneやmacなどで使えるApple社の無料のアプリ〈Pages〉を使用した。いくつか他の方法も検討したが、感覚的に使えて且つ無料で、写真なども簡単に差し込める(表紙を含めた全ページをpagesで担当)、PDFで書き出し可能なことを考えると自分にとってはpagesが使い勝手が良かった。バージョンによっては縦書きでの編集も可能なので、小説を扱う人も使えると思う。
〈収録内容のまとめ方、内容量の配分、ざっくりページ数予想〉
どんな編集の仕方、切り取り方で載せるか。個人的なものを作りたいのか、人に読ませる前提にするかで、編集の仕方も変わってくると思う。ざっくりでいいのでページ数の予想をしておくと、工程の想像もつきやすい。
ここで一番大事なことを先に伝えておくと、ごく一般的な本の形で製本したい場合、ページ数は4の倍数にすること。細かいページレイアウトは個人の好き勝手にするのが良いが、表紙と裏表紙があるのも忘れずに。
私はページ数の考慮をしないまま編集作業を進めてしまったため、後々調整が必要になった(後からだと面倒だし結構苦労する)参考として、手元に本を用意して進めるのがいいかもしれない。
〈装丁アイデアと買い物リスト〉
私のようにコンビニ印刷を利用する人でも、アレンジ次第ではオリジナリティを出すことができる。カバー的な感じで表紙だけ紙を変えたり、ホチキス留めではなく糸で縫ったり、限られた製作でも工夫次第でこだわりの装丁の本が出来上がる。
印刷所を使う人も、納期や工程によっては早めに動いた方が何かといい場合もあるので、あらかじめ装丁アイデアとそれに伴う買い物リストは決めておくのがいいと思う。
写真集の場合はどんな仕様で作るかどのように印刷するか(コンビニ印刷または写真屋で印刷を頼むか)なども決めておくといい。私はプリンターを所持していないので外部頼みの製作になったが、自宅にプリンターがあれば好きな紙に印刷したりとZINE作りの幅が広がっただろうと思う。
〈ページ割り、スケジュール調整〉
ページ割りを決めることでいつまでに何を終わらせる必要があるのか分かるので、印刷や製本作業を含めるスケジュールを書き出しておくと作業が進めやすい。締め切りがある方が目標にもなり、また完成した暁には◯◯をするなどのご褒美設定があるとなおよし(私の場合はアフターヌーンティーをすることだった)
ー編集開始
Pagesは同期すればiphoneとMacの両方での作業が可能なので、場所や用途などに合わせて編集を進めた。余裕があれば、文字の大きさや詰まり具合など自分の想像しているものと違和感がないか、擦り合わせをするために試しに印刷してもいいと思う。
ー印刷、買い物、作業(製本)
エッセイなどをまとめた創作記録本と小説作品集はPDFでデータを書き出し、コンビニで印刷をした(写真を多く貼り付けたからか、ネットワークプリントで印刷できる許容量を超えたため、USB経由で印刷した。コンビニ印刷を利用する際は、自分が利用する印刷サービスのデータの許容容量を調べてから行こう)
ちなみにコンビニのコピー機には〈小冊子プリント〉という便利な機能があり、持ち込んだ原稿データを指定されたページ順に自動で並べて印刷してくれるのだ。
(わかりやすく参考になったセブンイレブンさんのサイト)
印刷後は紙の重ね順を入れ替えずに半分に折ると、冊子が出来上がるという便利な仕組みになっている。そう、本を作るにはそのまま印刷しただけでは正しいページ順にはならないのだ。(もちろん目指す本の形にによって幾通りの印刷方法がある)
本作りには欠かせないこの〈面付け〉という作業を編集ソフトによってはデータ上で行うことができ、最初からそのまま印刷できるという方法もあるが、私の知る限りpagesではそのような機能は現在存在しない。
写真集の印刷は写真屋のプリントサービスを利用し、印刷した写真を買ってきた紙に両面テープで貼り付けをした。紙はこだわらなければ身近なショッピングセンターや100円均一などでも手に入るし、多くの種類から選びたいのであれば和紙や紙の専門店も存在する。画材などを扱う世界堂でも豊富な種類から選ぶことが可能だ。
製本作業に関しては今回は糸で綴じる方法を採用した。やり方などは製本に関する本やインターネットにも多くのパターンが掲載されているので、自分の理想にあったものを参考にしてほしい。
何冊も作る場合は難しいかもしれないが、糸綴じは凝った印刷やデザインがなくともオリジナリティが出て愛着も湧くので、ごく小部数であればぜひおすすめしたい方法だ。
製本作業に関しては、調べたり着手するまでに想像よりもかなりの時間がかかったので、余裕をもったスケジュールを組むといいと思う。
印刷した紙を一枚ずつ定規を使って丁寧に折り、本になるまであと一歩。ご無沙汰の裁縫道具を手元に用意し、いざ縫っていく。
中学生のころに裁縫が学年一下手だと家庭科の教師に言われたこともある私が、紙にひと針ずつ丁寧に糸を通し、やっと、人生で初めてのZINEが完成した。
自分が考えて、文を綴り、写真を撮り、本にした。すべて自分の手から生まれたもの。そう思うとたまらなくなって、しばらくのあいだ本から目を離すことができなかった。
約2ヶ月の製作期間。
製作記録を読むと、予定通りに一心不乱に製作に取り組んだように見えるかもしれないが、決してそんな毎日ばかりではなかった。
製作期間中には雲間から雨雲が覗くように気持ちが陰る日もあった。
自分はもとより真面目なぶん、決めたことは誰が見てなくともやり通す強さはあるものの、ZINE作りというはじめてのことに心が踊っていた反面、途中で虚無感に襲われることもしばしあった。
「大勢に見てもらうわけでも、頒布するわけでもないのに何をこんなに一生懸命やっているのだろう」
「自分の同世代はどんどんライフステージを進めているのに、誰に求められている訳でもなく無意味とも取られかねないことに夢中になって時間を割いて、果たして何になるのだろうか」
そう、いつも自分の創作の傍らには劣等感がある。
作ることは昔から自分のライフワークで、それに生かされてきて、作り続けられる自分のことを信頼だってしている。
ありがたいことに個人で仕事をいただいたこともあるし、インターネットに執筆したものをあげるようになってからは、驚くような人数に見てもらえたことも、評価を受けたこともある。
けれど、肩書きに付け加えられるようなものはなく、声高々に言えるような結果は残せていない。
最近は書いたものが日の目を見ることも、読まれることも少なくなってしまった。だから、というわけではないが、SNSなどに「書きました!」と記事の更新のお知らせをするのもなんとなく心許ない気持ちになる時もある。人の目に自分はどう映っているのだろうかと、そもそも視界にも入っていないだろうか、とも。
けれど今回ZINEの制作をするにあたって、書いたものの記録をつけていたら自分の積み重ねてきた創作の量に目を見張った。インターネットで執筆活動をするようになってからおよそ4年。企画から撮影執筆までひとりでこなした記事が50本以上あった。
目録にずらりと並んだタイトルを見たら、ああ、自分はよくやってきたのだと素直に思うことができた。
大きな成果を得られなくとも、立派な肩書きがなくとも、自分の手で一文を積み重ね読み物として世に出したものがこれだけあると思うと、言いようのない感情で心が満ち溢れた。
どんな時も作ることを諦めなかったという証はそれだけで自分の自信となる。
些細なことだけど忘れがちなこと。覚えていたら少しだけ自信がもてること。私は自分の綴る言葉が案外好きだ。
何よりも、自分の作る力を疑ったことは一度もなく、それだけはずっと信じている。
改めて自分の書いたものを読み返すと、好きだと思える一節や、視点に対する気づきもあって、なかなか実りのある時間になった。
目的がなくとも、誰のためにならなくとも、自分のために制作物をまとめる意義はあるのだと、ZINE製作を終えた今なら確かに言える。
自分の作ってきたものをインターネットという場所に置いたままにするのではなく、いつでも見返せるよう手元に残すために、誰かに見せる時が来たら胸を張って見せられるように、そして何よりもここまでひとり作ってきた自分を讃えるために。
誰のためでもなく評価されることのない、作ってきたものには等しく価値があるのだと信じるための一冊を作るのだ。
これは物書き以外の人にも言えることである。
数年前に思いついたどうしてもやり遂げたい企画があって、一人でシナリオの執筆、役の設定に合わせた絵を書き下ろし、スタジオを抑え、自らが演者となり三脚で撮影したことを思い出した。そう、個人で出来ることには制約はあるけれど、やろうと思えば一人でも、プロでなくとも、なんでもできるのだ。
ーーーーーー舞台がないのなら作ればいい。セリフがないのなら書けばいい。選ばれないのなら自ら自分のための創作の筆を取ろう。
いつかの悔しい気持ちを抱えたままの創作者へ、もしくは今もなお選ばれたいと足掻き続ける表現者へ。
作ることに迷い、先が見えなくなったら、どうか一度原点に帰って、今までの自分が積み重ねてきた力を信じて、自分のための創作をしてみないか。
誰の目も、言葉も、評価も気にしないでいい。自分が見たいものを自らの手で作ることは、きっとあなたの力になると心から願っている。