律子、家族に会えるまで。
2020年3月6日
旦那と当時4歳の娘は一足先にトンガへ飛び立った。この頃すでにコロナが広がり始めていて、本当は3月末出発予定だったが、飛行機の予定を急遽変更して飛び立った。
私は3月31日まで仕事の関係で日本にいなくてはいけなかったので、当時0歳の息子と私は4月の出発を予定していた。
2020年3月19日
トンガ王国🇹🇴国境封鎖
この頃は、2、3ヶ月すれば行けるだろうと安易に考えていたが、みるみるうちに世界中にコロナが蔓延し、世界規模で多数の死者が出て、世の中はますます悪くなる一方だった。しかし、トンガに行けるのが1年先になろうとは、この頃の私は思ってもみなかった。
2020年7月6日
トンガ🇹🇴国境を条件付きで一部解放。
国境封鎖してから初めての帰還者をフィジーから50名受け入れた。
それならば私達もと、何度も何度も在日トンガ大使館に連絡し、家族が離れ離れになっている事を伝え、娘が毎日泣いていることを伝えたり、もちろん在トンガ日本大使館にも連絡したり、出来ることはなんでもしたが、答えはいつも「時期を待ってくれ」だった。
2020年11月6日
初めてトンガ大使館からメールが届く。
内容は、パスポート、戸籍謄本、出生証明のコピー、その全ての英文を送ってくれ、だった。
今頃?と思ったが、やっと動いてくれたかと安堵し、すぐに用意し送った。
2020年12月17日
在日トンガ大使館から私たちの名前が入ったトンガ帰還許可リストが送られてきた。日本からトンガへの帰還希望者は全部で25名だったが、そのリストは10名だった。最初のリストに私達を入れてくれた事にとても感謝し、家族で喜んだ。
その案内メールには、これからの手順が書かれていた。
1.まずは自分でNZのVISAを取得する。そのVISAを取得する際に何が必要な書類があれば支援をしてくれるとのこと。
2.NZの隔離施設を自分で予約する
3.NZ行きの飛行機も自分で購入する
4.NZへ行ったら、トンガ帰還便に乗せてもらうようトンガにいる家族に頑張ってもらう
え、帰還便てこうゆう感じなのか?
内容はほぼ、自分でやってくれ、だった。
2020年12月18日
私はすぐにNZのVISAを申請した。
VISAの申請というよりは、申請のリクエストだ。これの許可がおりないと申請が出来ない。
この日が来ることを見越して、全ての書類は事前に準備してあったので、ただ送るだけだった。
2021年1月14日
リクエストが許可された。しかし、追加書類を求められ慌てて準備し、すぐにVISA申請した。
2021年1月17日
VISAがおりた。だが、NZの隔離施設の予約が取れない。毎日毎時間更新ばかり押して頭がおかしくなりそうなくらいサイトと闘っていたが、もう2週間近く空いているところを見ていない。公園に連れて行ってる間も、電車に乗っている間も、ずっと更新し続けた。
緊急申請もしてみたが、返信すらもらえなかった。
そして念願のキャンセル待ちが空いたその一瞬を逃さず、私の予約をその枠にぶち込んだ。
2021年1月30日
出国日。やっとこの日が来た。
成田空港は閑散としていて、限られた人のみが利用している。朝早くに家を出発し、成田空港でPCR検査した。4時間後に陰性証明書を発行してくれて、その紙を握りしめながらチェックインカウンターへと向かった。
空港の中も人影は無く、免税店も軽食屋もなにもかもが閉まっていた。
同じ飛行機に搭乗するのは私を含め30名くらいいた。全員もちろんマスク着用し、無駄話は一切せず、座る席はきれいに間隔が空いていた。9時間後にはニュージーランドだ。
2021年1月31日
朝9時。ニュージーランドのオークランドに到着。こちらの空港も免税店などのお店は全て閉まっていた。案内されるままバスに乗せられて隔離されるホテルへ直行。そのホテルで2週間隔離された。
2021年1月14日
隔離を終え、親戚がたくさん住んでいるMangereの町にあるホテルに泊まった。そこで10日間過ごす予定だった。
その頃トンガでは2週間ホテル隔離と1週間自宅隔離を、3週間ホテル隔離へと変更。
その都合で1週間スケジュールがずれて、フライトも1週間延びた。
ニュージーランドへ着いたので、トンガにいる旦那に今度は頑張ってもらう番だ。トンガへの帰還便のリストに私達をいれてもらわないといけない。旦那はまず帰還便リストを管理しているチームのCEOの家に行き、色々と賄賂を渡したりして、私達を入れてもらえる約束を取りつけた。
そののちに、そのチームで働いてる知人を見つけ、彼が昔来日した時に色々お世話してくれたお返しにと、本当無理矢理私達をリストにねじ込んでくれた。これで私たちは無事にトンガへの飛行機チケットを手に入れた。
2021年3月3日
NZでコロナ2名発生!これにより1週間のロックダウンとなった。ロックダウンを受けて、トンガへの帰還便も延期となってしまい、次のフライトはなんと3月31日だと告られた。
また1ヶ月も延びてしまった。2度目の延期。
仕方ない。それならそうとNZを満喫しようではないか、ということで、ホテルを出てNorthcoteのシェアハウスへ移動した。
2021年3月31日
NZ出国日。待ちに待ったこの日がやっと来た。親戚に空港まで送ってもらって、担当者に今まで準備したあらゆる紙を見せて、途中危うい場面もあったりしたが、無事にチェックイン出来た。
そして3時間後、トンガに到着。そのままバスに乗り、隔離されるホテルへと向かった。途中、通り過ぎるバスに向かって手を振ったり、声を上げたりしている人達を見て、私に向かってでは無いのに涙が出た。
みんな待ってたんだ。帰ってくるのを。私と同じように家族がバラバラになってしまってた人達がたくさんこのバスに乗っているんだ、と思うと胸の奥が痛かった。
ここで3週間隔離される。限られた行動範囲、限られた食事に1歳の息子は耐えられるのか。
同じトンガにいるのに会えないもどかしさ。旦那は娘を連れて、ほぼ毎日のようにホテルの前まで来て手を振りに来てくれた。
すごく遠かったが、それでも携帯越しではない娘を見るのは1年ぶりで、1年分大きくなった姿を見れて、涙が止まらなかった。
2021年4月19日
そして今日。
今朝7時半にPCR検査を受けた。子供連れと、お年寄りは優先的に早朝に受けたらしい。早く結果が出れば、21日間を待たずに明日出れるかもしれないと、気を利かせてくれたらしい。
明日、明日出れれば1年2ヶ月ぶりに娘に会える。この日をどれだれ楽しみにしてきたことか。早く会って抱きしめたい。早く抱きしめて娘の大きくなった体を肌で感じたい。娘のトンガ語を生で聞きたい。あれこれ想像するだけで涙が出てくる。
離れ離れだった日数 : 412日
かかった費用 : ¥691,702
[内訳]
ビザ関係 ¥12,132
飛行機代 ¥226,941
隔離施設代 ¥241,011
NZ滞在費 ¥211,618
壮絶な旅が終わりを告げようとしている。