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輸出依頼の嵐

コロナで国境を2年強封鎖している間、
ほとんどの輸出は止まり、
海外から人が来ない為、
どのレストランも閑散として
仕入れオーダーも止まり、
作っていた大量のマニオケの行き場は
トンガに住んでいる人たちの消費任せとなっていました


ギリギリの収入でマジでキツかった
人生初めてレベルの貧乏生活





そしてついに10月、国境オープン

豪華客船でたくさんのアメリカ人が遊びに来たり、
飛行機代はコロナ前と比べてまだ倍近くするものの、噴火を経験したトンガをいち早く見たいと、少しづつ外国人を見かけるようになりました


そして、今まで止まっていたコンテナも再始動

アメリカから1000パックのオーダー
オーストラリアから30パック
ニュージーランドから50パック

一気にドン!



急に大量のオーダーが入っても
マニオケがそんなに無い!

だって作る量って決まってるし
2年ものんびりしてたから生産量追いつかない!


ということで、町ぐるみでマニオケ輸出


マニオケ作ったけど売る場所が無くて困っていた人や、

輸出オーダーを見越して作ってた人や、

お金が今すぐほしくてマニオケが出来てる畑ごと売りに来たり、


とにかく毎日マニオケマニオケ


マニオケ畑で働く男性陣

男たちは朝からトラックで畑に向かい
ひたすらマニオケを収穫

軽トラに乗せられるだけ乗せて、
それを3往復

朝8時からやって、夕方5時頃までそれ

炎天下の中、日陰もないところで
ひたすらマニオケを採る

めちゃくちゃ重労働



そして女たちは、収穫してきたマニオケの
皮をひたすら剥く

この山が一日3回やってくる

一日中皮剥きする女性陣




ということで私もついにマイナイフ購入

そしてまだ慣れない手つきで
みんなの見様見真似で剥き剥きしてます

お陰様で
左手は筋肉痛
右手は腱鞘炎

それでもまだまだマニオケのオーダーは続くので、休んでなんかいられません



皮を剥いたマニオケを
畑から帰ってきた男たちが
大きな水溜めにマニオケを入れて
長い棒で混ぜながら洗います


洗ったマニオケを輸出用のビニール袋に入れて、20kgに測って封をします

一袋20kgなので全然手伝えない


それをトラックに積んで冷凍コンテナへ運び入れ、全体が上手に凍るように綺麗に並べます

冷凍用コンテナ



数日後、凍ったマニオケをまたトラックに積んで、輸送用のコンテナへ移し替え、綺麗にパレットに乗せて、ラップで固定

そうして海外へとマニオケが送られていきます

パレットに積まれた冷凍マニオケ




これを毎日こなす我が家

お父さんお母さん、お姉さん妹、
弟、ハトコ、親戚のおばさん、近所の若者

色んな人に手伝ってもらって、
輸出をせっせとこなしてます






そして1番の難関は、海外からのオーダーは
トンガ人信用されていないので
支払いは後払い

コンテナにマニオケを積み終わったら
その分の支払いをゲットできます

なので、先に払うバイト代がかなりの出費で痛い



だいたい男性陣は重労働なので1日100パアンガ(6000円)

女性陣は1日50パアンガ(3000円)

そしてみんなお昼つき



一つ5パアンガ(300円)のケンタッキー(鶏肉の揚げ物とマニオケのお弁当)をみんなに買うか、

私が大量にカレーや、ヌードルなんかを作って配ったりしてます


輸出ってどんな大変なん…




それでも待ちに待ってた輸出オーダー

嬉しい事には違いない




毎日旦那と、明日も頑張ろうね
と意気込んでから眠りにつきます


私たちが頑張ってる姿を見て
子供達もできることは手伝ってくれるようになりました

1歳児も、3歳児でも、みんな手伝います

みんなでお仕事!
それが生きる為!



なんて素晴らしい環境なんだ!



泥だらけになって
雨が降ってきても、炎天下でも、
みんなで声を掛け合いながら、
こなす畑仕事


なんかスポーツみたいだなぁー

疲れてきたら誰かが手を叩いて喝を入れたり、
休憩の時は旦那がジョークで場を盛り上げたり、

なんかラグビーの続きみたいだなぁ
と勝手に感じてます



裕福な生活ではないし
例えお金があっても物が無いトンガでは
物欲さえ無くなってしまうので
心は豊かになった気がする

欲しいのに買えないのではない
欲しいけど売ってないのだから


欲しいものは自分で作る
それが結構楽しい事を知った



トンガに移住してきて1年と7ヶ月
まだジャパンシックにはなってない自分に
私が一番びっくりしてます🫢



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