『Coincide 同時に起こること』オンライン座談会
『Coincide 同時に起こること』の出演者である田中美希恵さん、木之瀬雅貴さん、小関鈴音さんと、作・演出の穴迫信一による、今作についてのオンライン座談会を行いました。
<オーディオ作品としての演劇>
穴迫 本来、TOKASというギャラリーが会場で、40人くらいのキャパシティで実際の舞台上演を前提として考えていました。そこでフィジカルのパフォーマンスをしながら、俳優へのインタビューを元に構成された事実と地続きのエピソードを一人ずつ喋っていくというのがコンセプトでした。音楽を担当するOlive OilさんのゴリゴリのHIPHOPのトラックに負けない、飲まれない、ちゃんと独自の声を持っている人っていうのが俳優さんを選ぶ時の前提になってたかなと思います。なので結果的にオーディオ作品になったけれど、それは最初に声のいい俳優さんにオファーしようとしたから、選択肢として提案できたという経緯があります。
田中 私は自分の声が特徴的って自覚はあるけれど、声の質的にピュアか邪悪かでいうとやっぱ邪悪寄りだから、勝手に心配してました。オーディオ作品になると決まった時に考えたのは、舞台俳優って体の動きや使い方+声と表情などとても複合的な見方をされるから、完全に声1本ってなった時に大丈夫かなと、あと滑舌もあまり良くないぞってのもあってそういう不安はありました。出来上がったものを聞いたら良かったから安心しましたけど笑
穴迫 オーディオのみに絞るってちょっと勇気いる決断ですよね、それだけじゃ欲求が満たされないとかもあると思うし。逆にオーディオでも十分面白いなってなったら、どうやって舞台上に戻るんだろうっていうのは僕も考えました笑
田中 オーディオの良かったなって思うところがあって。複数のツアー先があると、同じことをやっているんだけどそれぞれの土地でちょっと作品の印象が変わるな~ってのは絶対あると思っていて。それが完全にオーディオ1本にすることによって、どの地域の人たちから見て(聞いて)も、同じ作品を鑑賞することが出来るっていうことが結構アリだなと私は思いました。これは映像作品でも同じことが言えるけど、普段私たちは映像で活動している人達ではないからそこは不利だなって思っちゃう。完全オーディオにしたことによって、ある意味この作品の強みが生まれたと感じました。
穴迫 僕自身、このコロナ禍で、演劇の方が作られているオンラインコンテンツを、それが仮に2,30分程度の作品だとしても、ずっと画面に張り付いて集中を途切らせず見続けるってやっぱり難しくて。それと田中さんが言われていたように映像のプロの方が作られているものにどうしても勝てないって時に、集中して見てもらうよりは基本聴き流しながらってモノの方が、まだ誰かしらの生活に紛れさせてもらえるチャンスがあるんじゃないかってことは思っていました。
<自分っぽいけど自分じゃない>
穴迫 創作の過程として、まず1人に対して2、3回ずつインタビューをさせてもらって、それから執筆、その数ヵ月後に完成したテキストと楽曲を俳優さんとも共有するっていう流れだっと思うんですけど、テキストを読んでみてだったりデモ楽曲を聞いてみたりして、受けた印象など覚えていますか?
小関 テキストを読んだ時は、自分と近いけど自分じゃない気持ち悪さはありました。一体誰なんだろうって笑
木之瀬 一般的な俳優の作業として〈誰かの台詞を自分の体を通して言う〉みたいなのとは全然違う感覚になりましたね。普通に芝居したら結構ロジックでやっちゃうんですけど、今回は自分の実話が元になっているだけあって、発話の動機を、ストーリーを拠り所にした時に、自分の中にある本当の光景が重なり過ぎて、逆に難しくなっちゃうような。
穴迫 なるほど、単純に主体を見出しにくかったってことだよね
木之瀬 そうそうそうです。冷静に戯曲に立ち返ろうとしてもそこに描かれてるのが自分だから、やや折り合いがつかない。
田中 2人ともそんなに自分なんだ笑。私の場合はもちろんインタビューを受けたことが反映はされているんだけど、そこまで私ではないから普段の戯曲を読んでいる感じでしたね。もちろんテキストの中に出てくる風景とか、ちょっとしたエピソードみたいなものは入っているけど、そこまでインタビューのことがそのまま反映されている感じじゃないですね。3人のエピソードのバランスもあるかもしれないけど。確かに自分に近いと逆に難しいかも。自分のエピソードじゃんって思いながらやるのとでは取り組み方がだいぶ違うんだなって思いました。
小関 どういう思惑があって、俳優へのインタビューからお話を作ろうと考えたのか気になります。
穴迫 コロナ禍の影響もあったんですけど、元々僕が書きたいことを書く場にはしないでおこう、ってのが最初にあって。あくまで言葉の意味と音の検証をするタイミングだから、僕が何かしらの意見とか態度を示す場所にしないことを前提にしたかったんですよ。でも本当に何も無いところから書き始めるって難しいから、俳優さんのことを書くようにすれば、書きたいことが沢山出てくる気がして、インタビューから始めようかなって。そしたらこういった時世に突入していって、これはもうみんなが悩んだことだと思うけれど、この期間に何か能動的に作品やメッセージを発信するとなると、コロナに対する応答へと回収されてしまう難しさもありました。
<演劇的発話とラップ>
穴迫 演劇的発話とラップの違いは色々あると思うんですが、どうやって分けていましたか?
小関 音楽に気持ちを乗せていく方がいいのかなとは思っていました。
穴迫 音楽も登場人物の心象風景の一部として捉えていた。
小関 はい、そんな感じの方がいいのかなって。
穴迫 田中さんはどうでしたか?
田中 レコーディング前のリハーサルの時に、感情というよりは滑舌とリズムを意識してくださいと穴迫さんに言われ、ラップの部分をレコーディングしたものを送ったら、もう少し感情を入れてくださいと言われて笑。でも確かにすごく微妙な作業だなと難しさを感じていました。普段のお芝居だとその場の空気やキャラクターのバックグラウンドが加味されながら、しかも稽古場で何回もリハーサルしていく中で喋る根拠のようなものを見つけていくので。
穴迫 田中さんは稽古がオンラインのみだったので、特に大変だったかと思います。
田中 ラップで感情をのせるって感覚がちょっとラッパーじゃないから分からなくて笑。
穴迫 しかも今回は自家発電で全部作らないといけないから、そういう難しさはありますよね。極端な話、別に棒読みでもいいかなと僕自身の作品に対しては思うんですけどね。
田中 でも私も舞台を見ていて棒読みの方が逆にいいなって思うことはあります。人が演技しているのを見ていて、喜怒哀楽のどれかが突然大きくなった時に、舞台上と自分の心の動きのギャップに冷めてしまうことがあって。逆に棒読みくらいでやってくれた方が、見る側からしたら想像しやすくなるのかなと思ったり。完全に好みの話ですけど。
穴迫 歌唱になった時に情報のフェーダーが一つ増えるような感覚があるんですけど、それをどう扱うかという話もあるのかなと。舞台上に起きていることが個人の話のまま感情的になると「自分とは関係ないこと」になっちゃってお客さんは冷めちゃうけど、音楽あるいは歌唱というレイヤーによって、個人の話から少し開かれたところから始まるから、そういうものに耐えられる作用もあると思います。
<オーディオ作品のハードルを越える>
小関 今の時代って手軽なものというか、分かりやすく目を引くものとかにみんな手を出しがちっていう。だから今回のオーディオ作品は、時代の流れとは逆だなって思いました。しっかり聴く体力がないとダメなのかなと作品が出来上がるまでは思っていて。でも実際に聴いてみたら、ちゃんと聴かなきゃって気持ちじゃなくてもいいというか、何回か繰り返し聴いてみてだんだん分かればいいんだと感じました。
穴迫 今は1作品あたりの秒数がどんどん絞られて短くなっていって。だから時代には逆行していて挑戦的なところもある。舞台芸術はそういう時代とか社会的な状況にどう応えるかってことも1つのポイントとしてあるから難しい選択ではありましたね。ただ、やっぱり集中して20分って仮に映像があったとしても難しいんじゃないかなとは思っていて。だから聞き流すくらいを推奨しておいて、推奨しつつも、聴いた人がなにかピンとくるとかグッとくる箇所をリピートしてもらうとか、そういうことが許されている作品の方がいいのかなって。
小関 普通の演劇作品を見てくれる人に勧めても、え、音だけ?!って笑。音だけで1人で聞くのは寂しいからまだ聞いてないって言われて笑。
穴迫 そっか笑。僕は逆で、見てほしいなって思う人がいた時に、なかなか北九州に見に来てくださいとか言えない。見に来てもらうことが叶わない人達にもメールしたりメッセージを送ったりしたんですけど、皆さんすぐにアクセスしてくれて、しかも形式も含めて楽しんでくれてる印象で。だから普段感想を貰いにくい方にも感想を貰えてそこから話題が弾んだり。まあ基本的には作り手さんとかが多いからオンラインのアート作品とかに触れるハードルの低い人達だとは思うけど。普通のお友達とかだとね、確かに音声っていってもなかなか想像がつきにくいってのはあるかもね。
小関 多分世代による違いもあると思います。
木之瀬 僕だけかもしれないけど、radikoとかで聞く時とかは今なんだったんだ!みたいなところとか気になったところを巻き戻してみたりしちゃうんですけど、今回はOlive Oilさんの気持ちいい音楽に乗って漂いっぱなしで大丈夫ですよっていう。
小関 私は生活をしている中で音をかけていない時がないので、いつもの音楽をこれにして服選びながら。人の生活とか、感覚を覗き見しているような感じもあるけど、自分の感覚と共鳴というか、生活で感じることに寄り添うものとしても聞けると思うので、色んな聞き方をしてもらいたいなと思います。
田中 私は、割と街中で聴くのも悪くないなと。オンラインの配信公演を見る時って家で1人でなるべく集中できるようするけど、結構周りに人がいたりザワザワしている状態の時に聴くのも悪くないなって。音楽を聴くみたいなノリで聴いて貰えたらなって。ラジオとはまた違う感じになればいいなと思いますね。
穴迫 街中で実際にイヤフォンとかで聞いてみたってことですか?
田中 そうそう。ラジオドラマや映像作品、舞台作品の場合はフィクションっていう前提で見ちゃうけど、生活しながら触れることで、少しでもそのフィクション性が薄まれば面白いなって。あ、こういう人がどこかにいるかもなとか。もしかしたら聴いている人にも身に覚えのあることかもしれないし、小学生の頃こういう奴いたなぁとか。そういう気持ちになるのも面白さの一つだなと。音と声だけで発表したことによって、そういう強みも出てきたんじゃないかって思います。
【『Coincide 同時に起こること』について】
韻を踏むという行為の根源に、コインサイド―意味と音を同時に起こそうとする行為―があると考えます。韻文の構造に依って作為/無作為のあわいを漂い、言葉が新たな意味を規定し始めることを「言語によるドラマの誘因性」とし、その可能性を検証します。意味と音の無責任な移り変わりに依って、多面体が反射するような風景の変化をもたらす上演を目指すとともに、テキストとパフォーマンスの関係を捉え直します。
【 『Coincideaudio(コインサイドオーディオ)』について 】
本作品『Coincide 同時に起こること』ではHIPHOPにおける韻を踏む行為から着想した、意味と音の同時性を検証する作品です。そのため、俳優による語りとも歌唱とも取れる発話性は、音声作品というフォーマットとも非常に親和性が高いと考えます。
新形式『Coincideaudio(コインサイドオーディオ)』は、ブルーエゴナクの演劇をオーディオ作品化したものです。今形式では、元々のコンセプトである〈同時性〉を意識し、上記の同時性に加え、日常と演劇を同時に起こすことを目的としており、映像作品のようにパソコンの前でじっくりと向き合う鑑賞体験とは異なり、電車の中、布団の中など好きな場所で何かをしながら聴く(上演する)ことを推奨しています。聴き逃したところを聴き返したり、お気に入りのシーンを繰り返し再生することも推奨します。音楽が、生活の一部に紛れて馴染んでいるように、生活の一部となり得る作品を目指します。歌のように、覚えれば口ずさめる演劇です。
〈演劇/音楽 的体験を促す 音楽/演劇〉として再生されることを望みます。
TOKAS OPEN SITE 5にふさわしい実験的作品になっておりますので、ぜひ。
【配信サイト】
Sound Cloud
https://soundcloud.com/egonaku/sets
Band camp
https://egonaku.bandcamp.com
YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLgpCZPSFmcn-_mD1DUMUwCSoe9OV7gZwD
料金:無料 形式:ストリーミング
期間:1月29日(金)19:00 〜 3月29日(月)23:59
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