河野桃子(演劇ライター)×穴迫信一(ブルーエゴナク)対談
おもに舞台芸術についての執筆・編集や、舞台公演パンフレットの制作などをおこなうほか、劇場や芸術祭、観劇のアクセシビリティ、舞台芸術関係のネットワークなどの取材や広報にも携わっている。
穴迫 今日はよろしくお願いします!簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
河野 演劇を主としたライターとして、インタビューやレポート、舞台公演パンフレットの編集・執筆などを行っていました。演劇歴としては、高知で高校演劇を経て、桜美林大学で演劇・舞台制作を専攻。卒業後はいろんな職を転々としながら、演劇公演についての記事を書くようになりました。また、もともと首都圏以外の劇場で働きたかったこともあり、国内外のいろんな地域の劇場や文化施設や演劇祭をめぐるのがライフワークでした。北九州によく訪れていたのはその一環と親戚が住んでいるためです。そのときに「おすすめしたい劇団があるよ。本番のスケジュールが合わないなら稽古場通しにぜひ」と紹介いただき、あつかましくも初対面で稽古場にお邪魔したのがブルーエゴナクとの出会いです。
穴迫 ありがとうございます。その時の印象についてもお聞きできますか。
河野 こんなにビビッドで挑戦的で粗削りだけれども緻密で可能性にあふれた劇団があるんだと久々の衝撃でした。稽古場で、照明も美術もほぼないのに、とてもカラフルな大小様々のかたまりを投げつけられ続けたような、ここはどこかを忘れるような観劇体験でした。今もあの衝撃とかワクワク感は更新されてないです。
穴迫 ありがとうございます。そのように言語化してもらえて大変光栄です。
河野 そして、その時から作風の印象がだいぶ変わっていっていますよね。私が拝見する間が空いてしまっているからというのもあると思うんですが、前回の『波間』はその頃の作品と比べるとだいぶ作風が違うなって。でも考えてみれば演劇としての緻密さ、俳優と俳優のあいだにあるものへの密な意識は常にあり「演劇をみている」「そこになにかの存在を実感する」という観劇の満足感、あるいはそういう感覚を大事にしているところはあまり変わってないのかなという気がしています。
穴迫 なるほど。
河野 その空間で生身であるからこそ感じられる肌感覚みたいなものがあって、演劇であることをこちらが疑いようがない満足感みたいなものは変わってない。その精度が上がっているなという印象があります。
穴迫 ありがとうございます。作風の変化のことを言ってもらいましたが、それは僕も自覚があります。その時々で作品ごとに自分の別の側面が表れている感覚なんですが、時に全く正反対の主張や感覚が出てくるんですよね。その不安定さは強みでもあり弱みでもあるというか。河野さんにお聞きしたかったのは、そういった可変していく僕の作風の中で変わらずに貫かれているように感じているものがあればお聞きしたいと思っていました。
河野 舞台芸術はいろんな要素でできていると思うのですが、その時にどこかの要素だけ飛び抜けて強く出しているというわけではなくて、そこにあるもの全部の音色を意識しているっていう印象は昔から変わらずありますね。
穴迫 10代の頃から近しい文化としてラップがあったので、以前はラップ的なことをどうやって演劇の中に取り入れたらいいだろうと考えていたんです。武器になるかもしれないと思っていたので。でも今はもうまったくラップという形式を取らずにシーンの構成や会話と独白のバランスとかそういったところでビート感へのアプローチをしているイメージですね。それは変化でもあり変わらないことでもある。
河野 あー、そういうことかもしれない。ほかにも特に長くご一緒されている俳優さんも作品の中での佇まいが変わってきたと感じています。これは想像ですけど、きっと穴迫さんが意識していることが俳優さんの体に馴染んできているんじゃないかっていう印象があって。『波間』の印象として、すべてを共有した上で個々の力を出しているというか、俳優さんとスタッフさんとちゃんと一緒に作っているんだなあと作品から読み取れたんです。でも実際に作っているところは見てないから、もしかしたら逆に穴迫さんが全部決めてるんじゃないかと思えるほどのマッチング度でした。「これどっち?!どうやって作ってるんだろう?!」って思いました。
穴迫 森下スタジオでの『波間』はアテ書きではなかったことも大きいんですかね。普段は戯曲より先に俳優さんが決まることがほとんどなので、どうしてもその俳優さんの声とか身体を想像して書いてしまうんです。その良さももちろんあるんですが、森下の時はスタートの時点で、戯曲に対して読んでほしいイメージや解釈が少し僕の手から離れている部分はありました。
河野 俳優さんが演出の意図を具体的に理解しているように写りました。
穴迫 ありがとうございます。『たしかめようのない』は、THEATRE E9 KYOTOのアソシエイトアーティスト公演として『波間』と同じテーマで作っている作品なので、戯曲には一貫している部分があると思うのですが、河野さんが本作に期待されていることや想像されていることはありますか?
河野 そうですね。『波間』を踏まえて言うと、1作目のモチーフが「死」2作目が「夢」そこにまた「死」の要素も大きく入ってたと思うんですけど、そういう曖昧なことの存在が上演として成立しているのがすごいなと思いました。今回は「現実」もモチーフのひとつだということですが、その時にどういったものになるのかやっぱり全然イメージできていません。なぜかというと『波間』は「夢」や「死」という現実なのかどうなのかわからないものがモチーフになっている中で、例えば「過去」のような現実的でもある要素が入っている。その曖昧な時空間の中で俳優さんたちが現実的な手触りを持っていて、ちゃんと人間の言葉として台詞が聞こえてきて、はっきりした存在を感じられました。それらが両立されていることにすごく驚いたんです。それで次の作品は「現実」ってなった時に、俳優さんがどのように存在するのか想像がつかないという楽しみがあります。
穴迫 なるほど。
河野 でも遡ってみると、演劇であるということに対する疑いようのない安心感だったりワクワク感だったりはブルーエゴナクに対してずっと持っていますね。どうなるんだろうと、これからまったく新しいもの、面白いものを作るんじゃないだろうかという期待は今よりも荒削りだった頃から感じているものです。
穴迫 ありがとうございます。
河野 そういう意味ではこのタイミングで「現実」というモチーフが出てきて、その作品を客席で見ることはとてもインパクトがあるんじゃないかな。「そこに一緒に存在した」という感覚になるんじゃないかなという期待があります。
穴迫 現実からそう遠くないフィクションを手繰り寄せながら、足を踏み入れたりまたは出ていったりする作品を作る時に、今作は「ちゃんと嘘を作る」上演にしたいと思っています。お客さんが舞台上のフィクションにある種の現実を見るということが起きたらもちろん嬉しいですが、今や現実の方が何を信じればいいのか分からない、ある意味たしかめようのない時代ですから、ここで起きていることは嘘ですと言い切られている演劇の方がむしろ信じられるなと。虚実の判別のつかない実際の現実と「現実」をモチーフに嘘を上演することがどうシンクロするかという楽しみは僕もあります。
河野 もうひとつあるとしたら、これは穴迫さんがどう考えているのかは知らないで勝手に言いますが、ブルーエゴナクというか穴迫さんは迷いとブレのなさが共存しているタイプの作家のように感じていて、作品としては簡単に言語化できないいろんな要素が混ざり合ったりしているんだけれども『波間』や最近の活動を見ていると、迷いは色々あると思うんですけど、創作に対する覚悟とか、自分はこういう創作者たちなんだっていう自覚が結構強く感じられるというか、ある意味すごく安定を感じていて。迷いながらも団体としてすごく積み重ねてきているんだなというのも作品を見た印象のひとつです。
穴迫 ありがとうございます。長く見てもらってきているから、いろんな可能性を踏まえてもらっているような、この前の『波間』だけでは推察できないところまで話してくださって、ブルーエゴナクを知らない方に読んでもらえたら嬉しいな。すごくありがたいお話でした。ありがとうございました!