木村健二×葉山太司―― 『ふくしゅうげき』出演者インタビュー
9月13日(木)開幕ブルーエゴナク「ふくしゅうげき」インタビューシリーズ第3弾。
今回は北九州の先輩劇団である「飛ぶ劇場」に所属する、また穴迫作品にも多く出演する俳優:木村健二・葉山太司の2人にインタビュー。
穴迫と20歳近く離れた2人に『世代間を通してのブルーエゴナクの印象・方法論への差異』について話を聞いた。
―世代的な違いはありますか?
(木村)世代というか、エゴナクの劇団としての作品は、穴迫くんが外部受注でやっている時と比較してもすごく実験的な要素が多いんです。エゴナクの時の穴迫くんの演出手法と、僕が演劇に対して思ってる方法論とでは違うことが結構あって。それが世代の差なのか穴迫くんと僕との方法論の差なのかは分からないんだけど。
例えば、エゴナクの特徴のひとつに台詞の句読点の位置が前もって決まってることがあります。基本的に僕の考えでいうと、句読点っていうのは『自分の台詞の中の句読点なんだけど、その瞬間は"相手から発信されているもの"を受信する時間』として使っている。でもエゴナクではそれがものすごく削られてるじゃないですか。そうなった時に「俺は発信だけしとけばいいのか?」ってところで躓いたりする。穴迫くんの場合、音楽的な感性で演出をやってる部分があって、僕は音楽の要素をまったく排除して芝居をやっている。どっちがいい悪いではないけど、自分がこうだと思っていることと違うことをどう擦り合わせて納得してやるかってことが大変なこととしてあるかな。
でも、かといって結果的に出来上がったものを見ると不思議とリアリティがない印象は全然受けないんですよ。ただ自分が役者として口から言葉を発する時に、この口の部分で起こっていることに僕の知ってるリアリティとは違う。この正体は何なんだろうなっていう。
(葉山)それ、すっげえわかる。
(木村)この正体をもっと言語化してもらいたいとは思うんだけど、多分きっと穴迫くん自身もいろんなことを実験したいし、その中で初めて関わる人にもストンと落ちる言葉が見えてくるようになるだろうなと思っています。
(葉山)僕なんかは方法論はまったくないから感じたままにやるだけなんだけど、あるシーンの稽古で「これはなんの効果があるんだろう」って理由を考えててしまう箇所があって。理由がないと動けない役者って結構いるんです。みんなは違うかもしれないけど、僕は動機がないと動けないタイプ。それで穴迫に聞いたらそこで手法の理由を説明してくれて。「あぁなるほどねぇ!」って話したり。そうやって意図が分かるまでが大変ですね。
―さっき話されていた劇団とそれ以外のときの差は結構ありますか?
(木村)劇団の時と外部の時でやり方が違いますね。外部のときは普通の人が見てわかりやすい芝居を意識しているのか、俳優としても比較的楽しいですね。で、久しぶりにエゴナクでやると「あ、しんどい。そうか違った、これしんどいやつだ」って思う(笑)。なんだろう、空気感もあるのかな。みんな真面目だから。「演出家がやりたいことをどう具現化するか」ってことにちゃんとメンバーが集中してる気がします。あんまり僕らの世代にはそういう空気はもうないよね。
(葉山)役者の雰囲気も全然違いますね。それはエゴナクだからというより世代の差なのかな。
僕らの世代の人間たちは戯曲を壊すじゃないけど『遊ぶ』要素が強い。この台本を使って穴迫くんが再現したいことを遂行しようとする前に、自分がどう遊ぶかってことを僕ら世代は考えながらやります。それでダメって言われたら「はい」ってなる。
(木村)年齢もあるかもしれません。40〜50代の人たちとやってると、自分が「どうしたい」っていうより「出てきたものをどう組み合わせるか」ってことに興味がある人が多い印象なので。
―若い人たちの作品に出る魅力はどこにありますか?
(木村)面白いですよ。楽しいです。
(葉山)うん、なんか若い子と触れ合う機会があると刺激をもらえるし。…おじいちゃんみたいになっちゃた(笑)。
(木村)新しい子達のやってることが分からなくなったり、理解できなくなることに対しての恐れがあるのかもしれないです。
(葉山)うんうん。
(木村)触れ続けてないと対応できなくなってくる。
(葉山)うん、リハビリ(笑)。
(木村)それが一番ピンとくる(笑)。
(葉山)なんでもやってみないとわかんない、そういう好奇心もあるし。
(木村)置いてかれないようにしなきゃっていうね。
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