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广场舞・イン・ザ・ダーク

4年ほど前に下書きのまま放置していたNoteがあったので、この機会に世に出してみようと思います。※ゼロコロナ時、多分2020年くらいの話です。

さて半年くらい前の話になるが、東莞市のクソ大朗鎮のせいで元旦の休み期間は跨市するのも麻烦で、本当は桂林とか昆明とか杭州とか河源やら何やら行きたいところがたくさんあったんだがやむを得ないので東莞の他鎮で過ごした。(どっかのオッサンはPCR検査をわざわざ受けて広州に行って楽しく過ごしたようだが。)

で前置き長くなりましたが、要するに他鎮まで足を運んだものの、観光できるような場所もないのでヤケクソになって常平公園で广场舞に参加してみたのでその所感を下記にまとめる。

①とりあえずやってみる事は大切。

中国在住者にとって广场舞というのはもはや風景の一部で、来た当初は物珍しいと思っても、すぐに自分には関係ないものとして脳内でカテゴライズされてる人が殆ではないだろうか?そのせいか、実際に参加したという話は聞いたことがあまりない。
そうです。ワタシ達は保守的になっている。何となく失敗したくないとか、何となく結果が想像できることはやりたくないとか思っていたらそれは老化の始まり。せっかく海外に来ているのにも関わらず、チャレンジ精神を失ってしまっている。日本にいるときと同じ行動様式でいてどうする?

②不完全という「悪」――日本人の心に巣食うウイルスと戦え

日本人の多くは、ある種の「不完全は悪」というウイルスに侵されているように見える。それは完璧主義や体裁を気にする文化と深く結びついておりその感染力は日常のあらゆる場面に及んでいる。
このウイルスは、個々人の自由な表現を封じ込め結果として社会全体に窮屈さをもたらしている。たとえば、語学学習では間違いを恐れすぎてコミュニケーションの機会を自ら遠ざけ体裁や決まり悪さを気にするあまり、独自の意見や行動を控えることが多い。
こうして多くの人が型にはまった言動に終始し、安心感という名の安全地帯に閉じこもってしまう。
不完全さは、本来、人間らしさの一部である。しかし、日本ではその不完全さが許容されず、むしろ排除される対象となる。この文化的なウイルスを克服するには、不完全であることを悪ではなく可能性の一部と捉える視点が必要だ。失敗を恐れず、独自の道を歩むことを許容する風土が育てば、もっと自由で創造的な社会が実現するかもしれない。
そこで广场舞ですよ。

③とにかく踊り狂う

聞いたこともない中国語のクソダサBGMが流れる中、ただ周りの人たちの振り付けを追うだけで自然と心が無になる。仕事や生活での悩みや嫌なこと一瞬で消える。そして何よりもいくら間違ってもいい、だれもお前を見ていない!不完全であることが許される!完璧でなくてもいい!
「僕/私はここにいてもいいんだ!世界中の人民におめでとう!」
まさに最高のストレス解消法!これこそ、現代の日本人が本当に必要としているものかもしれない。そう、みんな広場舞(广场舞)に参加すべきだ。

Twitterばっかやってるお前も。国際恋愛して頭がハッピーセットになっているお前も。会社と家を行き来して日本食喰ってKTV、週末はゴルフに行くお前も。駐妻会でマウントを取り合ってるお前も、ロックダウンや隔離で身動き取れないお前も明けたら参加してください。
踊り狂って下さい。






ワタシはもうやらん。

                               完


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ZhenBoy
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